あっ、えっ、あれ?

しろしまそら

消えてる


 書いてた話が消えた。


 俺はついこの間から人生で初めて小説を書き始め、小説投稿サイトに投稿を始めた、しがない会社員である。

 というのも、自らの人生について自暴自棄になったからである。

 具体的に何か大きな出来事が人生に起こったわけではない。だが、だからこそ、だ。将来への漠然とした不安と不満に押し潰されそうな日々であった。

 通勤時間、家事の合間、眠りにつく前、日々の中でささやかな隙間時間を見つけては、俺は自分の生きにくさやその理由にばかり思いを馳せて、疲弊した心をさらに傷めつけていた。

 そんな中で、なんでだったか、俺は小説を書き始めた。

 通勤時間、家事の合間、眠りにつく前、日々の中でささやかな隙間時間を見つけては、俺はちまちまとスマートフォンのメモ機能で小説を書くようになった。

 何も変わらぬつまらない日々の積み重ねの中で、もしかしたら何かが変わるかもしれないとでも思ったのだろうか。しかし──


 書いてた話が消えた。


 全選択を押し、コピーを押し、小説投稿サイトにペーストして投稿する算段であった。

 切り取りを押していた。

 切り取りを押したことを忘れ、別のメモに書いていたエピソードタイトルをコピーした。

 そうして本文が消えた。

 もうダメだ。何をやってもダメだ。

 誰も俺を愛さないと思った。

 そんな俺に一筋の光が差した。あるいは魔が差した。何が何だか分からないまま投稿を始めた小説投稿サイトでは、自主企画なるものがあり、『消える』をお題とし『つまらない小説』を書けというじゃないか。

 自暴自棄になった俺は破壊衝動のまま「書いてた話が消えた」とだけ書いて投稿した。

 つまならない話を書けというのならもうこれで良いじゃないか。

 終わっている。何もかもが。

 俺は何も分からない。俺は俺が何をしたいのかよく分からない。俺はどうしてそんなことをしたのだろうか。俺はどうして小説を書き始めたのだろうか。俺はどうして今の仕事をしているんだろうか。俺はどうして──俺はどうしてこんなに無様に醜く生きているんだろうか。

 俺の人生、この先全てこんなかんじなのだろうか。

 そう自嘲した。

 そうして、後から気がついた。

 字数制限があるじゃないか。

 もう嫌だ。全て消えろ。

 そう思って投稿を削除しようとしたが、見よう見まねで使っているこの小説投稿サイトにおいて、俺は投稿済の小説を削除するのにどこをいじればいいのか分からない。

 俺は何も分からない。何も出来ない。何の役にも立たない。もう消えたい。

 どうだろうか、『サイト名+小説+削除するには』で検索すれば良いのだろうか。

 慌ててsafariで新規タブを開こうとすると、心の中の悪魔が囁く。

 いや、もう良いんじゃないだろうか、と。

 何も気づかなかったふりをして、このまま放っておけば良い、と。

 それもそうだとスマートフォンを閉じようとした。

 しかし、心の中の天使が囁く。

 いや、流石に規定違反の作品を企画に参加させるのはマナー違反なんじゃないんだろうか、と。

 いや普通に規定違反か、と。

 迷惑行為、ダメ絶対、と。

 そりゃそうだ。

 分からん。もう何も分からん。

 この世の全てを消して俺も消えたい。

 いや、待て。

 待て、冷静になれ。

 目を瞑り深呼吸をすると、少しだけ脳がクリアになった。

 俺は、投稿済みの作品の修正の仕方は分かるぞ。

 ならば、もういっそ、このまま即興で何かを書いて、字数制限を越えれば良いのではないのだろうか。ちょうどお題は『つまらない話』だ。

 初心者が即興で書いた小説などちょうどつまらない話になると決まっている。そう考えた。

 いや、いや、いや。

 字数制限を確認する。二千字以上。

 長い。意外と長いぞこれは。

 例えばだ、『つまらない話』の代表格である学校の校長先生のスピーチだって、せいぜい時間にして十分程度だろう。

 人が一分あたりに話す文字数はおよそ三百字と言われている。

 あの退屈を煮詰めたかのような、無限に長く続くかのように感じられる『つまらない話』だって、せいぜい三千字ほどの話なのだ。

 ああ、校長先生って、すごかったのだなあ。

 俺も大人になり、■■年の時を超えてようやく学校の長を務める者の苦悩に思いを馳せられるようになった。

 それに比べて俺はどうだ。

 たかが三千字の話さえまともに書けないのは、俺の中身が空っぽだからじゃないだろうか。

 全てに怯え、全てから逃げ、全てに不満ばかり抱いて、何一つ行動しやしないからではないだろうか。

 俺は何がしたいのだろう。

 俺の言う「消えたい」は、本当に「消えたい」なのだろうか。

 俺は、小説を書き始めたというのに、己の感情の機微の言語化からさえ逃げているんではないだろうか。

 しっかりしろ、俺。

 ひっそりと頬を叩く真似をしてみる。

 書き上げた即興の小説の字数は約千七百字と表示されている。あとたったの三百字じゃないか。

 電車に揺られながら、俺はフリック入力を続けた。あと少し、あと少しなんだ。

 もう少しくらい、頑張ってみろよ、俺。

 あと少しで俺は、自分の殻を破れる気がする。

 ほら、あともう二百字まできてる。

 次の言葉を探せ。ほら、車内広告を見てみろ。世界にはこんなに言葉が溢れているじゃあないか。

 世界には、こんなに──

 

 ガタン。


 あと少しで何かを掴めそうだったところで、電車が終点に着いた。

 ああ、タイムリミットだ。

 これでおしまいだ、と直感的に俺は悟った。

 やっぱりダメだったよ。全て無かったことにしよう。

 そうして全選択を押し、×ボタンを押そうとしたところで、気がつく。

 二千字を超えている。


 書いていた話が消えた。俺は消えたかった。この世の全てを消し去りたかった。


 しかし、神は俺に「消すな」と言っている。「消えるな」と言っている。


そう、なんとなく、信じてみても、まあ良いのではないだろうか。

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