第5章 瑠璃色の海に誓って

 K大学法学部の面々

 深沢陸人ふかざわりくと……K大学法学部准教授・物権法専攻

 今井孝造いまいこうぞう……K大学法学部教授・知的財産法専攻

 呉葉介くれようすけ……K大学法学部教授・家族法専攻

 斎藤慎也さいとうしんや……K大学法学部4年・深沢ゼミ所属

 津岡朱音つおかあかね……〃

 古賀慧こがさとし……〃

 猪俣藍子いのまたあいこ……〃

 大橋竜之助おおはしりゅうのすけ……〃


 嶋田晃太しまだこうた……K大学法学部3年・深沢ゼミ所属

 五十風空いそかぜそら……〃

 香月美緒かつきみお……〃

 森川扇人もりかわあおと……〃

 九十九海つくもうみ……〃


 青島菜々子あおしまななこ……K大学経済学部准教授

 湖山琥太郎こやまこたろう…K大学経済学部3年・青島ゼミ所属

 秋野琴葉あきのことは……〃


 森川しおり……K大学法科大学院・今井研究室M2

 関橙佳せきとうか……〃

 鹿沼結しかぬまゆい……K大学法科大学院・今井研究室M1

 松田佑亮まつだゆうすけ……〃


 その他の人物

 柊俊樹ひいらぎとしき……警備員

 リ・スビン……留学生・道玄酒場アルバイト

 リ・スア……留学生・服飾専門学校

 比嘉元成ひがもとなり……S大学商学部4年


 碑文谷警察署の面々

 潮見しおみ……碑文谷警察署・警部

 溝端みぞばた……碑文谷警察署・刑事

 太田おおた……碑文谷警察署・刑事



                  21

  救急隊員と警察が到着すると、二人は下へ降りて、パトカーの後部座席に座った。三台のパトカーが居る。降りてきた人の全員が、知らない人だった。現場には規制線が張られ、誰も近づけなくなった。野次馬がこちらを見ている。二人の警察官が近づいてきて、海の近くにしゃがみこむと、

「今話せるかい」と言った。小さな子供に話しかけるみたいに、丁寧に言う。

「はい」嶋田は近くにいない。前のパトカーに乗っているらしい。

「身分証明書見てもいい?」

 海は財布から紫色の学生証を取り出すと、警察官に渡した。

「九十九海さん、二十一歳だね?」

「はい」

「発見したのは、君?」

「いいえ、嶋田が、前に乗っている彼が最初に発見しました。僕は玄関に居て、靴を脱いでからそのまま同じ場所に立ってました」

「なにか気づいたことはない?」

「あの玄関に置いていた花は、最近買ったものです。紫色の、紫苑かな。あれは。森川は、趣味で花は買いませんし、この近くに故人は居ないと思います。実家も岩手ですから」

 警察官はふうんと言って、次の話題に移った。

「見つけた時に何か触った?」

「毛布の左端、顔にかかった面を、シャツを介して触りました。後は、脈も取ったから、首筋にも指紋はあると思います。それ以外は触っていません」

「顔は最初から隠れていたんだね?」

「ええ」

「ここに来たことは?」

 海はありませんと言って首を振る。

「何か、いつも身に着けていてさっきなかったものはない?備品でも、気づいたことはないかな」

「さあ、わかりません」事実、本当に分からなかった。

「ここに来たことがあるとか、よく来ていた、みたいな人は知らない?つまり……」

「恋人ですか?居たと思いますよ。でも、誰なのかは知りません。金色のマルボロを吸っている人物かもしれませが」

「マルボロ」

「前に、大学で吸ってました。今までは電子タバコだったんです。珍しいことだなと」

「分かった。今日はどうしてここに来たの?」

「森川に呼ばれました。事件の事で話したいことがあると」

「事件の事でって?」

「K大学の事件です」

「それで、話があったんだね」

 警察官も、そして海も、同じことを思ったであろう。つまりは、その犯人が殺したのだと。

 したがって、直近で海に話そうとした話と同じ話を(若しくは推理を説明した)した人物に絞られることになる。

「鍵は?開いてた?」

「開いてました。ベランダは見ていません」

「電話をしたのは君だね?何時ごろだった?」

「えっと、十三時を二分も過ぎた頃です」

「どうして中に入ったの?そう言われていたの?それとも、開いてたから?」

「後者です。嶋田がドアノブを捻ると、すぐに開いたので」

「扉は閉まっていた?」

「閉まっていました」

「電気もつけたまま?」

「はい」

「何か、森川扇人さんに対して感じたことはない?」

「感じたこと?」

「つまり、トラブルを抱えていたとか、そういうの」

「ないです。ただでさえ、温厚な人でした。どう考えても、K大殺人の犯人が殺害したとしか思えません」

「それは追々検討する」

 救急車にタンカで乗せられ、森川は去っていった。

 救急車が居なくなると、より一層、空気が重くなる。別の警察官がやってくると、「まだ時間大丈夫?ちょっともう少し話聞きたいからさ、警察署まで一緒に来てもらえる?」

「ええ」海は思いついたように「太田さんは、いますか」と訊いた。

「太田?」

「刑事課の刑事です。知り合いで、このあと話せませんか」

 刑事は怪訝な顔をすると、現場の責任者らしき人物の所まで行き、耳打ちした。

 刑事は小走りで戻ってくると、「太田って、太田憲二けんじさん?ちょっと今外してるけど、すぐ戻ると思うよ」と言った。

「分かりました」

「じゃあ、もう少し待っててね」

「ええ」

 警察官は踵を返すと、どこかへ走っていった。とても、疲れていた。涙は出ていない。手が震えている。止める術を持っていなかった。一五分間だったか。もっとかもしれない。ただ、虚空を見つめて時間を過ごした。

 それは虚無。

 何も見えなかった。何も聞こえなかった。聞きたくもなかった。


 気が付いたとき、海は碑文谷警察署の前で、太田に起こされた。

「さっきの捜査員から聞いた。まずは、上でまずいコーヒーでも飲みなさい」

 ・・・・・・

「立てるか?」

 海はのっそりと立ち上がると、日差しの強さに殺意を抱きながら碑文谷警察署に入っていった。

 三階まで上がると、以前と同じ部屋に通された。嶋田は、どこに行ったのだろう?姿が無かった。

「体調は?」

「倒れそうです」

「無理するな」

「ええ」

「話せるか?」

「ええ」

「じゃあ、なるべく手短に済ませるよ」太田は難しそうな顔をすると、「連続殺人、だよね」と言う。

「そうです。森川は、犯人に繋がる重要な事項を掴んだんだ。それを、犯人に話してしまった。だから、殺害されたんです」

「うん」

「もしかしたら、ゼミにいるかもしれない」

「そう思う?」

「おそらく犯人は、相当身近にいます」

「うーん、そうだねえ」

「とにかく、ゼミの人間を詳しく取り調べしてください」

「そうは言ってもね、そんな簡単じゃないんだよ」太田は静かに首を縦に振って、天井を見つめた。

「嶋田は、どうしました」

「自分のせいだって、ずっと言ってるよ。君もいずれ、辛くなる。それは明白だ。でもね、命を無碍に扱うのはだめだよ」

「警察としてですか」

「人としてだ」

「そうですか」

「あの花、世田谷駅前の花屋で買ったことがわかった」

「いつですか」

「昨日の夜。十九時過ぎだな」

「つまり、俺たちをどこかへ連れて行こうとしてたってことですか?」

「そうだと思う。でも、夕方に一人で行こうとしてた可能性もある。それに、単に趣味かもしれない」

「だとしたら扱いが下手ですね」

「そうだね。まぁ、どこかに供える為に買った花であることは、間違いないだろう」

「なんの花ですか?」

「紫苑。紫の」

「花言葉は確か、」

「天国にいる君を見守る、追憶」

「天国にいる君を見守る?なんか、随分ストレートな花言葉ですね」

「心当たりはないか」

「ええ、なにも……」

「そうか、まあ、今日の所は帰った方がいい。送るから」

「わかりました」

 太田の後部座席に座り、ただ一点を見つめていた。

 スマートフォンが鳴る。

「電話なってるよ」太田はそういった。バックミラー越しに、太田の顔が見える。

 海は返事をせず、同じく電話にも出なかった。

「落ち着けとはいわない。でも、心まで死んでしまってはいけないよ」

 海は黙って、外の風景を見ている。

 何もかもが淀んでいるように見えた。歪んで、ねじ曲がっている。

「太田さん」

「なんだい」

 海は深呼吸をした。しかし呼吸が浅い。

「しおりさんに、森川しおりさんに、全てを伝えてください」

「ああ、彼女はもう署に着いている頃だよ。両親は、今日の二十時頃に碑文谷署に来る」


 残酷なほど、太陽が出ていた。影が伸びる。夕日は、まだ来ない。暗い夜を過ごせる自信がなかった。森川はもういない。これを、どう考えるべきだろうか。自殺という事は、まず考えられない。胸の刺し傷を両手で押さえていた。それに、自殺をする人間が、鍵を掛けたまま行うだろうか?思考がまとまらなかった。警察は、どこまでわかっているのだろうか。今、太田と議論を出来るほどの体力は、残っていなかった。自宅に着くと、ベッドに体を預けた。全身の力が抜けるような感覚に陥る。汗をかいていた。落ち着かなくなり、コンビニまで歩いた。道のりが遠いように思う。ライターとマルボロを買うと、慣れない手つきで火を付けた。風が強いのか、なかなか、付かない。火を付けると、静かに吸い込んだ。あまり、美味くはない。二本を消費すると、ポケットに手を突っ込んで近くを歩いた。居酒屋、ファストフード店、スーパー、レストラン、ドラッグストア。それらの全てが、海の感情の一切を否定しているように、煌びやかに、大げさに明かりを灯していた。車が走る。横断歩道が青になった。前に進む。そんな単調な行動の一つひとつが、重たく、億劫に思えた。ふと、スマートフォンをポケットから取り出す。

 そういえば、電話が来てたっけ。履歴を見ると、森川しおりからだった。少し迷った挙句、電話をかけなおす。三回コールしたのち、彼女は「あ、九十九くん?」と言う。

「そうです」と簡単に返事をすると、彼女は少しばかり黙り込んだ。

「どういうこと?詳しく教えて」森川しおりは強い口調でまくし立てた。

「警察から、聞いていませんか」

「まだ、待たされているだけ。でも、扇人の、死亡が確認された」

「そう、ですか」

「何があったの?言いなさい」

「僕だって、憔悴してるんですよ」

「だから、何?あなたの精神状態と、事実確認に、何の因果もありません」

 今度は海が黙り込んだ。否、何を話せばいいのか、分からなかった。

 森川しおりは耐えかねたのか、「救命措置はしたの?現場の状況は?痕跡は?」

「なにも、ありませんでした。息も、なかったです」

「凶器は?」

「見つかっていません」

「どうして?どうしてそれを予見できなかったの?」

「予見?僕を魔術師か何かだとお思いですか。それとも、予見可能性という刑法の授業をしたいのですか」

「ふざけないで」

「ふざけてません。僕らが悪いと、そう思っているような口調です」

 海は腹立たしかった。何だってこんなにも疲弊しているときに、二人から叱責を受けるのだろうと。どうして、僕のせいにされるのだろうと。

「鍵は開いていたの?」

「開いてました」

「場所はどこ?部屋?」

「ベッドの左側、部屋の中央です。毛布が落ちていて、顔だけが見えない状態でした。ベランダは確認していませんが、あれは死後十時間くらいは経っています。つまり、深夜に誰かを招き入れた。若しくは、スペアキーか何かで侵入したと考えるのが妥当でしょう。ですが、スペアキーを持っていたとすると、どうして鍵を掛けなかったのか、その意図が不明です」

「恋人はいたのかしら」

「居たと思います」

「今は、その人物が一番怪しい」

「それにしては、部屋で殺害するなんで杜撰だと思いますが」

「うん」

「今どこですか」

「碑文谷署、ずっと待たされてる。両親は、新幹線で来るから」

「そうでしたか。あの、本当にすいませんでした」

「私こそ、怒鳴ってごめん。ああ、ちょっとどうしたらいいか分からないわ」

「無理もないです。また電話してください」

 海は電話を切ると、またマルボロに火を付けて煙を吐いた。これで不快な気持ちが無くなれば、そう願って。

                 


 



 













 

 

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