哲学者とは

■ユウコ

なんか、哲学者って凄いね。

色んな事考えてる。




■アマネ

そうだなあ。




■ユウコ

アマネさん、カッコ良くて、結構私憧れてるんだよね。

頭の良さが大事ってのも、何となく解ったし。

哲学者って、皆頭良いの?

どうやったらなれる?




■アマネ

むー、哲学者と云うのは、智を愛する者と云う程度の意味であって、本来的にはそう云う職業や業界がある訳ではないのでな。




■サトエ

え、そうなの?




■アマネ

いやまあ世間的には、大学で哲学を教えたりしている先生を哲学者って呼んだりするし、哲学論文や何やを提出する哲学会と云う世界も勿論ありはするが……。




■アマネ

それは何と云うのかな。

プロスポーツ選手とスポーツ好きの違いと云うか。

仕事として対価を得ながらやっているか、ただ好きなだけの人の違いと云うか。

でも、どちらもスポーツ好きであるには違いないだろう。




■アマネ

哲学者と云うのは本来的には、智を愛する者の事でしかないのだよ。

その中に、仕事として行う者も居れば、そうでない者も居る、と云う事。

プロとしてプロスポーツをやっておらずとも、休日に趣味でスポーツをやってるスポーツ好き人間ですよ、と云うのは可能だろう。




■アマネ

実際私は、別に大学でものを教えている訳でもないし、学会に所属してもいない。




■ユウコ

えっ、じゃあアマネさんって、社会的には何をしている人なんですか?




■アマネ

えー、のべつ引きこもって何か好きな事やってる……自由な人?




■サトエ

なんか、途端にカッコ悪いね。




■アマネ

まあ別に、哲学者なんてカッコいいものでもなんでもない。

智を愛する者でしかないから。




■アマネ

アニメ好き、とかってのと同じ事だ。

アニメ好きが部屋に引きこもって一日中アニメを見ているのと大差ない。

一日を趣味に費やしているだけでな。

アニメも哲学も、別に外に出掛ける必要がないし。




■サトエ

……カッコ良くないなあ。




■アマネ

だから、カッコ良くないってば。




■シン

よく生活できますね。




■アマネ

そこはまあそれ、どうにかなっているのだがね。




■アマネ

だから哲学者と云うのはアニメ好きと一緒で、なりたいと云ってなれるものでもないと云うか。

君は、アニメは好きかね?




■ユウコ

別に好きと云う程ではないかな。

見る事もあるけど。




■アマネ

では、きっと君はアニメ好きではないな。




■アマネ

……哲学者って、そんな感じだぞ。




■アマネ

確かな智が好きかね?

好きなら哲学者、そうでないなら違う。

なろうと云ってなれるものではないし、別になる必要も意味もないと云うか。

ただの気質なのだよ。




■ユウコ

はー……。




■ジュン

じゃあ哲学者って、立派な人とかそう云うものでもないの?




■アマネ

ないない、全くそんな事無い。

哲学を駆使して何かを為す事はできるだろうし、哲学は有意義なものでもあろうが、それをやっていれば立派と云う訳でも別にない。




■シン

なんかガッカリですね。




■アマネ

どんな云い草かね。




■アマネ

まあもっと云うと、立派な人、なんて概念自体がナンセンス、と云うのもあるのだがね。




■シン

ナンセンス、ですか?




■アマネ

だって人間は、どのようであっても自由であり、多様なのだから。

優劣など、そこにはない。




■アマネ

立派と云うのが優等と云う事を意味するのであれば、それは人間に優劣判定をする事であって、多様性に対して矛盾するだろう。

彼は優等な人間だから優遇されます、なんてのは多様性に反する態度だし、優遇される訳でもないのであれば、立派だとか優等だとかの評価が意味を為さない。




■アマネ

彼は立派な人だなあと主観的に思うのは自由だし結構だが、それは主観的な印象であって、客観的には人間に対して立派だとか優劣とかの評価はナンセンスなのだよ。




■サトエ

んーでもさ、大卒の優秀な人間は給料が高いけど、そうじゃなかったら低いっていうのは?




■アマネ

それは人間としての優劣の話ではなく、この難しい仕事をしてくれたらこれだけのお金を払うよっていう条件を達成できたかどうかの違いだ。

大卒だと云うだけで高給取りなのではなく、高給に見合った高度な仕事をしてくれるから高い給料を払うよ、なのだよ。

だから、大卒並の仕事ができるなら、大卒でなくとも同じ給料を貰えるだろう。




■アマネ

……本来ならねー。

今の実際の世の中では、どーせ足元見られるんだろうけどー。

給料なんて契約次第だしな。




■ジュン

厭な世の中だね。




■アマネ

まあ話を戻すが、とにかく哲学者と云うのは、アニメ好きってのと大差ない。

確かな智を愛しているだけで、何者でもないよ、別に。




■サトエ

ふーん……。

ちなみに哲学者って、読書家ってのとは違うの?




■アマネ

読書家?




■サトエ

だって、知識が好きなんでしょ。

哲学者って、いっぱい本読んでるイメージだし。




■アマネ

いやー、別に関係ないなあ。




■ユウコ

え、関係ないの?




■アマネ

別に、読書家が哲学者と正反対だ、と云う事はない。

近いところは確かにある。




■アマネ

さっき彼には云った事なのだが、知識量が豊富であると云うのは、脳内でその知識らを組み合わせて様様なアイデアを想定するのに便利と云うか必須なのだ。

積木を組み合わせて、城や高層ビルを作ろうと云うなら、それだけの積木が手元になくてはならない。

高度な思考の為にはそれだけの知識が必要で、知識が豊富と云うのは、そのように有意義なのだ。




■アマネ

だから、頭の良い者だとか、頭を使おうと云う者は、大抵読書家だったり物知りだったりするだろう。

それは、ものを考えるのに知識が必要だから、と云う事だな。

だが、イコールでは全くない。




■アマネ

哲学者は基本的に皆読書家かもしれないが、読書家だからと云って必ずしも哲学者な訳ではない。

それにまあ私なんかは特に、全然本読まないしなあ。

自分の考えばかりに熱中して、他人の考えに余り興味がないもので。




■ジュン

確かな智が好きなのに?




■アマネ

確かな智が好きだからこそさ。




■アマネ

読書家と云うのは恐らく、知識を得る事が好きなのであって、確かな智を愛している訳ではないのではないかな、と思うのだよ。

読書家と云って色んな人がいるだろうから一概に云えるものではないが、もし知識を得る事こそが好きだと云う事であれば、それは哲学者とはジャンルが異なる、と云う事だ。




■シン

哲学者は知識を得るのが好きな訳じゃないんですか?




■アマネ

うーん……まあ好きは好きだろうけど……。




■アマネ

要するに、間違ってるかもしれない知識には全く用がない、と云うのが哲学者なのだよ。

哲学者が愛しているのは、知識や情報そのものではなく、確かな智、正しさ、の方なのでな。




■シン

バッサリですね。




■アマネ

うむ。




■アマネ

例えばこんな話を知っているかな。

左手で頬杖を付く者は左脳がよく働いており、右手で頬杖を付く者は右脳が良く働いている。




■ユウコ

えっ、そうなの?




■アマネ

うむ、最近読んだ医学書に書いてあったのだが、君らはどっちかね。




■サトエ

えー、どっちだろ気にしたことない。




■ジュン

あ、でも僕は左手が多いかも。




■コウタロウ

俺もそうかな。




■サトエ

えー、でもあんたら左脳働いてなさそう。




■コウタロウ

どういう意味だ。




■アマネ

さて今、新しい知識を得て、楽しいかね?




■ユウコ

うん、ちょっと楽しい。




■ジュン

雑学って、楽しいよね。

意外な事実とか。




■アマネ

楽しめたのなら結構だが、実のところ、今の話は嘘だ。




■ジュン

えっ!




■アマネ

どうでも良いが、恐らく右利きの人間は左手で頬杖を付くことが多いのではないかな。

左手で頬杖を付きながら、右手で作業できるから。




■ユウコ

あっ、だからか。




■サトエ

訝しいと思った。




■コウタロウ

どういう意味だって。




■アマネ

ま、人に依るだろうがね。

私はよく右腕で頬杖を付く気がするし。




■アマネ

重要なのは、こうした話を受けて、哲学者はいきなり鵜呑みにはしない、と云う事だ。

ある話を受けたら、まず疑って掛かる。

先程も云ったように、哲学は批判合戦だ。




■アマネ

別に、慎重で頭が良いから騙されないとか云って威張ろうと云うのではない。

そうでなくて、間違ってる情報には用がないし、正しさの為には邪魔にしかならないから、本当に目の前の情報が正しいのかどうか、検討せずにはおれない、と云う事なのだよ。




■アマネ

こうだと思われていたが、実はこうだったのだ、と云う形式で語られると、さも何か新発見が為されたかのように聞こえるだろう。

それは、この文法形式がそう云う意味合いを持っているからだ。

つまり、意味内容と無関係にそう聞こえているだけだ。

だから、本当にそうなのか、その意味の信憑性はまだ全然保証されていない。




■アマネ

にも拘わらず、その形式だけでそうなんだと納得してしまっては、詐欺がやりたい放題になってしまう。

主張内容が正当かどうかは別途検討せねばならない。

だから、論拠と云うものが重要なのだよ。

本当にこの主張は正しいだろうか、すぐ鵜呑みにせずにその正当性を確認する、その検討が、哲学研究なのだよ。




■アマネ

だから他人由来の情報の書かれた本を読むのが好きなのではなく、事実それ自体を相手に研究をしているのだよ。

本を読んで知識を得ているだけでは、何も哲学的でない。

それが悪いと云っているのではなく、ジャンルが違うと云うだけだ。

読書家と哲学者は別物だ。




■アマネ

哲学の基本は、考える事。

確かな智に至る為には、得た情報が正しいかどうか、批判検討をせずにおれないのだよ。




■アマネ

だからまあ、ちょっと感じ悪く思われてしまうところもあるのだがね。




■ユウコ

でもさっき云った通り、それは正しさの為に批判検討をしているのであって、性格が悪い訳じゃないんだよね。




■アマネ

うむ。

まあ私のように、個人的に性格が悪い、と云うのも居るだろうが。




■シン

自分で云わないでください。




■アマネ

とにかく哲学者にとって大事なのは、知識の面白さではなくて、確かな智である事なのだよ。

それが確かである、と云うのであれば、内容は何でも良い。

それこそ、不都合な事実だって構わない。




■シン

不都合な事実ですか?




■アマネ

例えば、もし君が五分後に死んでしまうとしたら、それは哀しい残念な事だ。

だが、それが確かな事なのだと云う点だけは嬉しいのだよ。




■シン

どうして、いつも例えが物騒なんですか。




■アマネ

極端で判り易いからだ。

こんな極端なものでさえその通りなのだ、と云う事なのだよ。




■サトエ

極論の有用性、ね。




■アマネ

例えばアニメ好きとかグッズ好きで例えるなら、正規品のグッズであれば幾らでも欲しいが、パチモンの偽物グッズなんて要らないし赦せない、と云うような事だ。

確かな智であれば愛おしいが、出元不明のデタラメな情報は、面白かろうが予想外だろうが、特に用は無いのだよ。




■ジュン

成程ー……。




■アマネ

面白い話であれば、幾らでも人為的に構築できる。

フィクション作品なんてのは、その最たるものだ。




■アマネ

だが面白いかどうかは、事実かどうかとは関係がない。

何しろ、主観と客観は独立なのだから。

だから、面白い話題だとかセンセーショナルだとかスキャンダラスだとか、面白いからって、その話題が正しいかどうかは判らないのだよ。




■アマネ

そして間違った情報に飛びついて鵜呑みにしても仕方がない。

だってそれは、ただの嘘なのだから。

嘘じゃないと思うのは自由だが、事実ではないなら事実ではない。




■アマネ

その嘘を何とか正当化しようとしてありもしない証拠などをでっち上げても、それもまた嘘なのだ。

事実になる事はあり得ない。

そしてもし、事実でもなんでもない、ありもしない事を云い張って他人に信じ込ませようと云うのなら、それはただの詐欺なのだよ。




■アマネ

面白いは面白いんだろうから、面白がるだけなら問題はない。

事実ではない事にだけ注意が必要なのだ。




■アマネ

だから占いだって、楽しいと云うなら楽しめば良い。

事実だと思い込んで、他者の人格診断などに用いて、それを事実扱いしてレッテル貼りしてしまうのが拙いのだ。

フィクションは面白かろうが、史実ではない、と云う事だ。




■アマネ

そして哲学者が愛しているのは、主観的に面白い話や知識ではなく、客観的に確かな智なのだ。

だから、本に書いてある情報だって、正しいのだと確証が得られるまでは、検討対象でしかないのだよ。

中には、論拠も無しに自分の考えをただ羅列しているだけの本もある。

それらは基本的に、哲学者にとってはどうでも良い事だ。




■アマネ

訳の判らん哲学者キャラが、自分で考えただけの正しい訳でもない内容を一方的に長長と語るばかりのノベルゲームなんてのも、世にはあるかもしれないな。

シナリオを考えるセンスがないんだろう、相手しない方が良い。

証明が添えてある訳でもなし、鵜呑みには絶対にしてはならない。




■シン

妙に具体的ですね。




■アマネ

知らん知らん。

とにかく、論拠も添えられていない情報には、用が無いのだよ。




■アマネ

論拠の無い主張は、もしかしたら正しい事が書いてあるかも知れないが、論拠が無い時点で胡散臭いし、自分で証明しようにも、やはりそもそも胡散臭くて相手しようと云う気になれない。

他に幾らでも検討すべきものがあるから、どうせならそっちを優先してしまうし。

だから、本なら何でも良い訳ではないし、知識を得る事の楽しさを目的にしている訳ではない。




■アマネ

哲学者は、自分で考え、自分で研究をしていくのだが、それは確かな智を目指しているから、自分で挑むしかないのだよ。

哲学者、要するに全ての学者が自分で研究を行うのは、まだ誰も知らない事実を、知りたいから自分で研究するしかないだけなのだよ。

本に書いてある事で済むなら本を読めば済む。

それで済まない事さえ知りたいから、どうしたって研究せざるを得ないのだ。




■アマネ

だから研究者とか哲学者と云うのは、研究と云うお仕事に従事している人、と云う職業的な意味もあるが、本質的にはそうではなく、知りたくて仕方なくて居ても立っても居られず、つい研究をしてしまう、それ程確かな智を愛している人、と云うような事なのだよ。




■アマネ

そして、そう云う人が、その後で職業としての研究者になる訳だな。

科学系なんかは特に実験器具が必要だから、個人でやるのは大変だったりするのでな。

だから、なろうと云ってなれるものではない。

単に職業と云うだけならその職に就けば良いが、気質は基本的に人為的なものではないのでな。




■アマネ

そして確かな智を求めていればこそ、基本的に、他人の言葉は採用できない。

それは人間不信な訳ではなくて、論拠があるかどうかが重要なのだ。

だから、数学的証明が為されているのでもない限り、どんな情報にも基本的には懐疑的に当たる事になる。

嘘に決まっていると決めつけて掛かっているのではなく、間違っているかもしれないな、と疑って掛かっているのだ。




■アマネ

正しいと決めつけるのも、間違ってると決めつけるのも、どちらも思考停止の決めつけであり、確かな智には至れない。

本当に正しいのだろうかと疑う事、これに依って、本当かどうかの見極めを行い、だからこそ確かな智へ至れ得る、と云う事なのだ。




■アマネ

人の言葉を疑うと云うと性格が悪いように聞こえるかもしれないが、その実、飛行機の整備、システムのデバッグをしているだけなのだよ。

疑った結果、正しいと判明すれば安心してその情報を受け入れられるし、もし間違っていたら修正をしなければならない。

そしてそれが、哲学研究なのだよ。




■アマネ

正しい事が重要だ。

だからその為には、例えば論理だとか、数学的証明などが有効なのだよ。




■コウタロウ

へーえ……。




■地文

正しさかあ……。

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