議論

■不明

では、僭越ながら私が進行係を務めよう。




■ジュン

ねえ、この人は誰なの?




■不明

まずは、君の主張を相手に呈示したまえ。




■シン

は、はい。




■シン

えっと……。




■シン

コウタロウが悪いと云う可能性は、もう考えなくて良いんですか?




■不明

さっき部屋で説明した通りだ。

今回はどうしたって、ジュンが悪い。

君は今、それを彼に説明しに来たはずだ。

この期に及んでは、そちらの考えに集中しよう。




■シン

(強引に引っ張ってきたくせに……)




■シン

えっと……君が悪いのだから、君が謝るべきだ。




■不明

さて、そちらの君がこの主張を受け入れるなら、それで結論だ。

さあ、どうする? 受け入れるか、受け入れないか?




■ジュン

何だかよく解らないけど、受け入れないよ!

僕は、悪くないもん。




■不明

それでは、反論と云う形で、君の意見を呈示したまえ。




■ジュン

えっと……反論の形?




■不明

反論と云うのは、例えば相手の主張と矛盾した主張を示す事だ。




■ジュン

む、矛盾……?




■不明

今回で云えば、

「ジュンが悪い。依ってジュンが謝るべきだ」

に対する反論なので、こうなる。




■不明

「ジュンは悪くない。依ってジュンが謝る必要はない」

云ってみたまえ。




■ジュン

はあ……。

「ジュンは悪くない。依ってジュンが謝る必要はない」




■ジュン

ねえ。

コウタロウが悪いんだから、コウタロウが謝るべきだ、と云うのは駄目なの?




■不明

君がそう云いたい気持ちは解るし、云い分の一つとして呈示しておく分には構わない。

だがそれは、新たな議題であって、既に呈示された主張に対する、直接の反論にはなっていないのだ。




■ジュン

は、はあ……。




■不明

たとえ向こうが悪いと確定したとしても、君もまた悪いのだ、と云う可能性はまだ残る。

だからそれでは、君が悪いと云う主張に矛盾しておらず、反論になっていないのだ。




■不明

議論をする時は、呈示された主張を一つずつ処理していく方が良い。

そうでないと、意見同士がこんがらがって、何が何やら解らなくなる。




■不明

と云う訳で、「コウタロウが悪いんだから、コウタロウが謝るべきだ」と云う主張は、

「ジュンが悪い。依ってジュンが謝るべきだ」と云う主張とは別に、改めて検討する事になる。

だから、反論にはなっていないが、呈示する分には構わないぞ。




■ジュン

ふうん……。

ちゃんと、検討はしてくれるんだね。




■不明

勿論だ。

全ての疑問を解消しないと、納得したとは云えないのだからな。




■ジュン

まあ、検討してくれるなら良いよ。

皆、僕の事を変な奴だって云って、全然話も聞いてくれないんだ。




■不明

人付き合いは、厄介なものだな。

とにかくこの調子で、ゆっくりと、冷静に進めていこう。




■不明

では、君側の云い分を呈示したまえ。

自分は悪くないと云う主張と、コウタロウが悪いと云う主張と。

他にもあるなら、全部吐き出したまえ。




■ジュン

差し当たり、その二つかな。

他にもあるかもしれないけど……。




■不明

思いついた時に呈示すれば良い。

勿論、君も同様だ。




■シン

はあ。

途中で追加しても良いんですか。




■不明

人間は万能じゃない。

事前に全てを想定するなど無理なのだ。

それに、話が進むにつれて新たに意見が生まれる事だってある。

全ての疑問は解決しなくては納得にならないのだから、新たに疑問が生じたら、それもまた解決せねばならないのだ。




■シン

成程……。




■不明

では、次は君の番だ。




■シン

僕の番、ですか?




■不明

今、君の主張に対する反論が呈示された。

「ジュンは悪くない。依ってジュンが謝る必要はない」

もし君が、この内容を受け入れるなら、それが結論だ。




■シン

はあ……。




■不明

だが今回は、互いに、こうである、いやそうでない、と云い合っているだけで、情報は何も増えていない。

だからこのままでは、君は相手の云い分を受け入れる事はできないだろう。




■シン

まあ、そうですね……。




■不明

と云う訳で今、お互いが主張を呈示し、お互いが相手の主張を受け入れない、と云う状態になった。

ここから、議論が始まる事になる。




■シン

どうしたら良いんですか?




■不明

基本的には、自分の主張の正当性を示していく形となる。

途中で意見が変わるのでもない限り、まあ当然の事だ。

今回は、君が被害者と云う訳ではないからあまりピンとこないかもしれないが、もし君が被害者だったとしたら、相手の云い分には納得できないはずだろうからな。




■シン

まあ、そうですね。




■シン

でも、向こうはこっちの云い分を受け入れなかった訳ですけど……何をやったら良いんですか?




■不明

現状は、互いの云い分の、結論部分だけを相手に呈示した形だ。

だからまあ、直ちに納得できないのも当然だ。




■不明

例えば私が今君に、跪いて土下座しろ、と命じたとしても、君は受け入れないだろう。




■シン

ええ、勿論。




■不明

だがもし、君が以前に私の家族を皆殺しにしたとか、そんな事情が示されたなら、土下座でもしようか、と云う気にはなるんじゃないかな。




■シン

まあそんな状況だと、土下座じゃ済まないと思いますけど……。




■不明

適切な理由、論拠さえあれば、こちらの云い分にも一理あると納得できるだろう、と云う事だ。




■シン

それはまあ、そうですね。




■不明

と云う訳で、今から君がやるのは、自分の主張が正当である事を証明する論拠を相手に呈示する事だ。

そうすれば、相手は納得するかもしれない。

納得すればこちらの主張が通った形になるし、納得されなければ、議論が続く。




■シン

は、はあ……。




■不明

まあ、とにかくやってみようじゃないか。




■不明

今君の前には、相手の主張が二つある。

まずは、君の主張への反論に対する再反論を考えていこう。




■シン

コウタロウが悪い可能性は考えなくて良いんですか?




■不明

そちらの云い分は、また後で検討しよう。

何しろ、それを論破できたとしても、ジュンが悪いのだと云うこちらの主張の正当性に無関係で、目下の論点ではないからだ。

今は、君への反論の方から考えようじゃないか。




■不明

では、君の主張への相手の反論に対する、再反論を考えていこう。

基本的には、君の意見の正当性を証明していく形になる。




■不明

さて、君は彼が悪いと云った。

その論拠は?




■シン

常識的に考えれば判るだろ、と云うのはどうですか?




■不明

その云い分が通る為には、常識と云う基準が明確になっていなければならない。




■不明

常識と云うのは時の流れと共に変化していくし、その変化は宣言されてから実施されるようなものでもない。

常識と云うのは、日常生活を送る上では便利なものではあるのだが、重大な決断を下す際の論拠には使えないのだ。




■不明

細い説明は、もうちょっと色色と説明が必要になるので、また今度にしよう。

大雑把に説明するなら、次のような感じだ。




■不明

世間の人皆が、揃ってある誤解をしているとしよう。

するとそれは、世間での常識と云えるだろう。

だが結局、それは誤解であり間違っているのだ。

それでは、常識を基準にしたせいで、間違った結論を導いた事になる。




■不明

そのせいで有罪だの死刑だのになったら、たまったものじゃないだろう?

その判断は、結局間違っていたのだから。




■シン

まあ、そうですね……。




■不明

と云う訳で、常識的に考えて、と云うのは、基本的には論拠にはならない。




■シン

はい、取り敢えず解りました。




■シン

明らかにそうじゃないか、と云うのはどうですか?




■シン

それは、論拠を示した事にならない。

説明にもなっていないし、そんな云い分では正当性を示した事にならない。




■シン

でも、説明するまでもなくそうだ、とか、どう考えてもそうだ、と云う場合もあるのでは?




■不明

説明するまでもなくそうだとしても、説明をすべきだ。

もし説明ができないと云うのでは話にならないし、説明ができるなら、しない理由もない。

そしてもし相手が理解できないと云うのなら、理解させる必要がある。

その為の議論なのだから。




■不明

こちらの云い分をとにかく受け入れろ、説明も不要だ、と云うのは、ただの強制であり不当な態度だ。

もしそれで良いと云うなら、私は問答無用で、今君を刺し殺す。




■シン

な、なんでですか。




■不明

説明は不要だ。

どう考えても、君は今ここで死ぬべきだから殺すのだ。




■シン

そんな無茶な……。




■不明

そう、無茶だ。

だから、そんな云い分は通らない、と云う事だ。




■不明

もし君が本当に死ぬべきなら、その理由を示されなければ受け入れようもないだろう。

受け入れる為に、説明、正しさの論拠、と云うものが必要なのだ。




■ジュン

そうだそうだ。

僕が間違ってるとただ云われたって、納得しようがないんだ。




■ジュン

ちゃんと説明してもらわないと、納得も反省もできないよ。




■シン

ジュンが、コウタロウのパンを勝手に食べたから、ですかね。




■ジュン

待ってよ、勝手に食べたって云うけどさ……。




■不明

ヘイ、ストップ。

口を慎みたまえ。




■ジュン

ど、どうしてさ。

こっちにだって、云い分が……。




■不明

君に云い分があるのは解っているし、後でちゃんと君の番が来るから、それまで待ちたまえ。

皆が、自分の好きなタイミングで好きな事を云っていては、コミュニケーションが成立しない。




■不明

もし君が本当に悪くないと云うのであれば、今慌てて発言する事はない。

正しさは、時間やタイミングとは無関係なものだ。




■ジュン

でも……いつも皆ばかりが好きな事云って、僕が発言する機会さえ与えてくれないのに。

発言させてもくれないのに、後になって何かを云っても、今更云うなとか云って却下してくるじゃないか。




■不明

それは、その皆の態度が間違っているのだ。

事実がどうだったにせよ、君の云い分を聞かずに、とにかく君が悪い、と云うのは、ただの決めつけであり不当だ。




■不明

大丈夫、安心したまえ。

今この場では、君が悪かったにせよ悪くなかったにせよ、必ず君の云い分を聞くし、検討する。




■不明

その結果、やはり君が間違っているのだと云う結論に仮になるとしても、頭ごなしに君を責めようと云うのではない。

君が間違っている場合、君もそうだと納得できる形でその結論を示す。

もしそうなれば、君だって謝ろうと云う気にもなるだろう。




■ジュン

うん……。もし本当に、僕が間違っていると云うなら謝るよ。

でもちゃんと説明して、納得させてくれなきゃ。




■不明

その為にも、感情的にならず、ゆっくり冷静に議論を進めなくてはいけない。




■不明

議論は、事実の確認を皆でしようと云う会合だ。

参加者同士の戦争ではない。

相手を急かしたり、相手の発言を封じたり、相手に情報を与えなかったりと、そんな事をしたって事実は明確にならない。




■不明

そして、事実の解明に興味の無い者は、議論の場に参加する資格もない。

当然、議論に参加していない者の云い分に耳を傾ける事はできない。

意見は、議論の場に提出されるものだからだ。




■不明

相手の云い分を退け、封じ込め、自分の意見を押し通す……。

それは議論の態度ではなく、ただの暴力だ。

話し合いに見せかけた、殴り合いなのだ。

そんなもので、何かが解決する訳がない。




■不明

議論は、事実の解明の為に行われる。

その為には、皆の意見を参考にし、検討する必要がある。

だから、議論の場では、相手の云い分を、まず聞く事から始めなくてはならないのだ。




■不明

相手の意見に耳を傾ける、相手の言葉を遮らない、と云うのは、礼儀だとか思いやりだとか、そんなものではない。

相手の主張が手掛かりとして必要だから、耳を傾けざるを得ないのだ。

何しろ、相手の意見が要らないのなら、そもそもその相手と議論をする必要も意味も端からないのだから。




■不明

だから、君の云い分はまた後で必ず聞く。

この場は、こちらの演説の場ではないし、君への糾弾の場でもない。

何が正しいのか、どうするべきなのかを皆で検討し、皆で納得する議論の場なのだ。

そして今は彼の番なのだから、君も彼の云い分に耳を傾けなければ、議論にならないのだ。




■ジュン

ううん……。まあ、解ったよ。

でも、絶対に後で僕の話も聞いてよ。




■不明

勿論だ。

なんなら忘れないように、メモをしておきたまえ。

そして君は、彼がメモを終えるまで、待ってあげる必要がある。




■シン

そうでないと、彼が今忘れないようにメモしようとしている云い分を、後で検討できなくなるかもしれないから、ですね。




■不明

その通りだ。

これは礼儀や思いやりとは別の、議論として必要な態度だと云う事だ。

議論は、対戦プレイではなく、協力プレイなのだ。




■ジュン

メモメモ……。

はい、終わったよ。




■不明

では、話を戻そう。

何だったかな?




■シン

ええと、ジュンがコウタロウのパンを勝手に食べたからジュンが悪い、ですね。




■不明

うむ。

この云い分に、ジュンも云いたい事があろうが、それはまた後で聞くものとしよう。




■不明

さて、「人のパンを勝手に食べるのは悪い事だ」と云う云い分について、君は納得はするかな?




■ジュン

僕は別に、勝手に食べた訳じゃ……。




■不明

まあ、待ちたまえ。

今した質問は、「もし誰かが、勝手に他人のパンを食べたら、それは悪い事だ」と云う云い分自体について、君がどう思うかを聞いたのだよ。

別に、君が正にそうしたのだ、とまでは、まだ云っていない。

飽く迄この云い分自体について、君がどう思うかだ。




■ジュン

……まあ、他人のパンを勝手に食べちゃうのは、悪い事だと思うよ。

僕は、そんな事してないけど。




■不明

さて、彼もこの点については納得している。

と云うことは、だ。




■不明

もしここで、「ジュンがコウタロウのパンを食べたのは、勝手に食べた事なのである」と云う事が示せたら、ジュンも納得するはずだ、と云うことだ。

何故なら彼は、「他人のパンを勝手に食べるのは悪い事だ」と納得しているのだから。




■ジュン

僕は、勝手に食べた訳じゃないよ!




■不明

君の云い分がそうであるのは判った。

そしてその検討は、この後でするから待ちたまえ。

飽く迄も、もしそうだったとしたら納得できる、と云う話をしているのだ。




■ジュン

でも、そうじゃないもん。




■不明

では、こう訊いてみよう。

もし君が空を飛べたとしたら、どこか行きたいところがあるかな?




■ジュン

え? もし空を飛べたら?




■不明

そうだ。

もし君が自由に空を飛べたら、どうしたい?




■ジュン

んー……別に、どこに行かなくても良いよ。

例えば、この屋上の空をスイスイ泳ぐように飛び回るだけで楽しそうだから、そうすると思うよ。




■不明

ふむ。

「もし君が空を飛べたら、屋上の空を飛ぶ」で良いかな。




■ジュン

うん、良いけど……。




■不明

さて、実際のところ、君は空を飛ぶ事はできないから、君が屋上の空を飛び回る事はない。

だがそれでも、もし飛べたならそうする、と云う主張自体は成立しているのが判るかな?




■ジュン

うん。

もし飛べたら、の話だよ。




■不明

そんな風に、事実と異なる仮定だとしても、その仮定下ではこうだと云える、と考える事は可能な訳だ。

だから、実際にはそうでないのだとしても、「もし君が勝手にパンを食べたのだとしたら、それは悪い事だ」と云う主張を検討するなら、君も納得するはずだ、と云ったのだよ。




■ジュン

……うん。

実際にはそんな事してないけど、もし僕がそうしちゃってたなら、それは僕が悪いだろうね。




■ジュン

僕は、そんな事してないけど。




■不明

うむ。

では、次にそこの君がすべき事が判るかな?




■シン

「ジュンが、コウタロウのパンを食べた」と云う行動が、「勝手に食べた」であった事を示す、ですかね。




■不明

うむ、その通りだ。




■不明

もし首尾良くそれが示せれば、それを論拠として、だからジュンが悪い、と云う結論が、双方納得した形で得られる事になる訳だ。

勿論ジュン側には、まだ反論があるようだから、その検討もしなくてはならないが。

まずは主軸はそこにある、と云う事だ。




■不明

それでは、ジュンがコウタロウのパンを、勝手に食べたのだ、と云う事を証明してみよう。




■シン

えっと、ジュン。

君は、コウタロウに、パンを食べて良いと云う許可を貰った?




■ジュン

それは……。




■不明

たとえ、自分に不利になる事だとしても、嘘を吐いてはいけない。

それは、事実の解明に背く態度だからだ。

裁判や警察の取り調べでは黙秘権と云うものもあろうが、議論の場に黙秘権はない。

議論の本質は、事実の解明だからだ。

まあ……ちょっと語弊のある云い方ではあるが。




■ジュン

許可は……貰ってないよ。

でも、そもそも僕は……。




■不明

ストップ。

まずは、質問に答えさえすれば良い。




■不明

別に、これで以て君は有罪だ、なんて帰結される訳じゃない。

議論の場は、糾弾の場でもないのだしな。

現状は飽く迄、事実を一つ一つ確認していっているだけだ。

補足などであれば構わないが、反論などは君の番の時に改めて聞くから。




■ジュン

ううん……。




■シン

ええと……君は、許可無く、他人であるコウタロウのパンを食べた。

そして、他人のパンを勝手に食べるのは、悪い事だ。

だから、君が悪い事をしたのだから、君が謝るべきだ。

ええと、こんな感じですか。




■不明

うむ。

差し当たり、以上がシン側の云い分だ。




■不明

では、漸く君の番だ。

今の彼の云い分に、反論があるかな?




■ジュン

はいはい! あるよ、反論!

もう、僕の番って事で良いんだよね?




■不明

そうだ。

散散待たされてフラストレーションも溜まっているだろうし、取り敢えず好きなだけ云いたい事を云いたまえ。

その後で整理しよう。




■ジュン

じゃあ云わせてもらうけど、僕はコウタロウのパンを勝手に食べた訳じゃないよ!




■ジュン

確かに結果としてはコウタロウのパンを食べたのかもしれないけど、そもそも僕は、あのパンは捨てられた、要らないものなんだって思っていたんだよ。

例えばさ、もしコウタロウが、今から自分はこのパンを食べるんだから盗るなよ、って僕に云っていたなら、僕だってあのパンは食べなかったよ。




■ジュン

僕としては、コウタロウのパンを食べてやれって食べたわけじゃない。

だから、僕は、勝手にパンを食べたわけじゃないよ。




■ジュン

だから、僕は悪くない。

なのにコウタロウは、僕を責めたんだ。

僕は悪くないのに。




■ジュン

悪人じゃない人を捕まえてお前は悪人だって攻めるなんて、それは悪い事じゃないの?

だから寧ろ、悪いのはコウタロウの方だよ。




■ジュン

それに、さっきも教室で云ったけどさ。

食べられたくないなら、パンを出しっぱなしにしてその場を離れなければ良いんだよ。

僕じゃない誰か、それこそ泥棒みたいな人が、勝手に盗っちゃうかもしれないじゃないか。




■ジュン

出しっぱなしにした自分が悪いんだよ。

なのに、僕を責めたんだ。

だから、謝るべきはコウタロウの方だよ。




■地文

捲し立てるようにして、ジュンは一気にそう云った。




■不明

ふむ。

差し当たり、そんなところだろうか?




■ジュン

そうだね、取り敢えずはこんなところだよ。

何か、反論がある?




■不明

まあ、待ちたまえ。

まずは、今の云い分を整理しよう。

それと、云い忘れた事があったとか、後でまた何か云いたい事が出てきたら、改めて述べるものとしよう。

これらは、情報の混乱を避ける為な訳だ。




■ジュン

うん。




■不明

では、整理しよう。

ジュンの云い分はこうだ。




■不明

自分は、他人のパンを勝手に食べた訳ではない。

コウタロウは不当にジュンを責めており、そちらこそが悪く、謝るべきだ。




■不明

まずは、シンの云い分に対する反論の方について検討しよう。

コウタロウが悪いと云う件は、後回しだ。




■不明

さて、勝手にパンを食べた訳ではない、と云う主張を整理するとこうだ。

捨てられていたパンを食べたのであって、他人のパンを食べた訳ではない。

従って、他人のパンを勝手に食べたには当たらない。




■不明

これは、ジュンが全く悪くない事を直接証明する訳ではないが、ジュンが悪いと云うシン側の論拠が成立していない事を示している。

つまり、シン側の主張が正しいとはまだ確認されていない、と云う主張だ。

従って、シン側は、その反論に対する再反論をするか、別の論拠を示すかをする必要がある。

或いは、今の云い分こそが正しいと云うのであれば、先の主張を撤回する事になる。




■不明

さあ、今度は君の番だ。

どうする?




■シン

反論はしないといけないんですか?

例えば、相手の言葉が正しいかもしれないとか……。




■不明

勿論、君が納得できるならそれでも構わない。

だが私は、今の彼の主張は不当であるように思えた。

相手の云い分を受け入れるのはいつでもできるのだから、ここはもう少し検討を続けてみようじゃないか。




■不明

では、再反論をしよう。

既に何度かやった通りだが、反論と云うのは、相手の主張に矛盾する主張を為す事で相手の主張の不成立を示したり、或いは、相手の云い分の訝しな箇所を指摘し相手の主張の不成立を示す事だ。




■不明

今回、相手の云い分はこうだ。




■不明

自分はパンを食べたが、コウタロウのパンだと云う認識はなかった。

もし認識していれば食べなかった。

従って、他人のパンを勝手に食べた訳ではない。

だから、ジュンは悪いとは云えない。




■不明

さて、彼の云い分の、どこが訝しい?




■シン

君は、あのパンがコウタロウの物だと認識していたはずだよ。

だからやはり、君は勝手に彼のパンを食べたんだ。




■ジュン

待ってよ。

認識していなかったって云ったじゃん。




■シン

でも、それは嘘かもしれない。




■ジュン

でも、嘘じゃないかもしれないじゃない。

と云うか、嘘じゃないよ。




■シン

……どうしたら良いですか?




■不明

彼が嘘を吐いていると証明するしかないな。




■シン

……どうやって?




■不明

さっきと云ってる事が違うなど、余程明確な矛盾でも無い限り、人の心がどうだったかはそもそも証明できないだろうな。

だから基本的に、証言と云うか人の云い分は、採用するしかない。

疑うだけなら、幾らでも疑えてしまうのだからな。




■ジュン

僕があの時、あのパンはコウタロウのものだと認識していたと、証明できるの?




■シン

ええと……できない、かな。




■ジュン

ほら、やっぱり僕は悪くなかったでしょ。




■不明

まあ落ち着きたまえ、まだそうと決まった訳でもない。




■不明

もし自分の考えが間違っていたなら、考え直しをすれば良い。

飽く迄、全ての疑問が解消されない限り、議論は終わらないのだよ。




■不明

では、もう一度考え直したまえ。




■シン

じゃあ……。




■シン

あのパンは、コウタロウの机の上に置いてあったんだろう?

だとしたら、それは彼のものだと判るはずじゃないかな。




■ジュン

コウタロウじゃない誰かが、偶偶置いておいただけかもしれないじゃん。

隣のクラスから遊びに来て、うちのクラスの人と一緒にご飯を食べている人だっているんだよ。

だから、コウタロウの机に置いてあったからって、コウタロウの物とは限らないはずだよ。




■ジュン

そして僕には、あれが捨ててあるように見えたの。

要らないんだと思ったから、貰ったんだよ。

僕はあれが、コウタロウは疎か、誰かの物だと思わなかったよ。




■不明

当人がそう云うのであれば、余程矛盾していない限り、受け入れるしかないな。




■シン

うーん……じゃあ、考え直します。




■不明

宜しい、ではもう一度。




■シン

君はあの時、空腹だったんだろう?

コウタロウの物だったと認識していても、食べたんじゃないかな。




■ジュン

幾ら何でも、そんなに食い意地は張ってないよ。




■シン

でも、目が回る程空腹だったんだろう。

それこそ、他の人の物ならともかく、コウタロウの物だと認識していたからこそ食べちゃったとか。




■ジュン

そんな事ないって云ってるのに、どうして話を聞いてくれないのさ……。




■不明

余程の矛盾がない限り、人の心は証明できない。

だから、そこを検討しようとしても、まず無理だ。




■シン

でも、つまり彼自身も、そんな事しないと云う証明はできない訳ですよね。

じゃあ、信用する訳にもいかないんじゃないですか?




■不明

それはそうだ。

だが、証明すべきなのは、無罪である事ではなく、有罪である事なのだ。




■不明

彼は、ジュンは無罪だと主張している。

君は、ジュンは有罪だと主張している。

であれば、君がジュンが有罪である事を示さねばならないのだ。




■不明

例えば、司法の世界では無罪推定なんて言葉もあるが、有罪だと証明されない限りは無罪扱いするしかないのだ。




■シン

はあ……。

ちなみに、それは何故なんですか?




■不明

無罪状態が基本であり、有罪と云うのは余程の特殊な状況だからだ。

有罪か無罪か判らないけど有罪にしてしまおう、なんて態度では、自由も社会も最早崩壊してしまう。




■シン

でも、犯人が巧く立ち回って有罪を回避できるようでは、それも拙いのでは?




■不明

だから、無罪推定を基準に置いた上で、警察は全力で犯人の有罪を立証するように捜査を行うのだよ。

その為に、警察の捜査にはある程度強力な強制力が備わる訳だ。

飽く迄、司法の世界の話だがね。




■不明

我我は、警察でも裁判官でもない。

だが、友人に反省を促したければこそ、まずは当人に当人の拙さを理解させねばならない。

だったら、我我が彼の拙さを示さねばならない。

だって彼は、自分は悪くないと思っているんだから。




■シン

成程……。

ええと、そうすると……。




■不明

まず、例のパンをコウタロウの物だと彼が認識していても彼は食べたはずだ、と云う証明はできない。

更に云えば、もしそうだったとしても、結局あの時、彼がそう認識していたかどうかとは無関係だ。




■不明

彼はあのパンを、誰かの物とは認識していなかったと云っている。

だから、コウタロウのパンなら食べてしまうとしても、今回は無関係だ。




■シン

もしジュンがコウタロウのパンを勝手に食べちゃう人だとしても、無関係なんですか?




■不明

君の、コウタロウのパンと認識していてもジュンは食べたはずだ、と云う主張からは、ジュンはコウタロウのパンを勝手に食べかねない人だと云う事が証明されるだけであって、実際にそうしたかどうかは証明されない。

例えば、平気で泥棒をできてしまう人が、今回は偶偶ちゃんと買い物をしたのだ、と云う事だってあり得る訳だ。

たとえ普段が泥棒で、それ自体は咎められるべきだとしても、今回そうしていないなら、今回咎められる謂れはない、と云う事だ。




■不明

依って、その方針では彼への反論にならない。

もう一度、考え直しだな。




■シン

あの、落ちてる物を勝手に自分の物にするのって、確か犯罪でしたよね?




■不明

我が国の法律上はそうだ。

いやまあ厳密には、色色と細かく検討すべき観点はあるんだけど。




■シン

だから、たとえ落ちていたパンだとしても、それを自分の物にしてしまったのは、悪い事なんじゃないかな。




■ジュン

でもさ、さっき教室でも云ったけど、僕はそんな法律知らないよ。

知ってたなら気をつけたけど、知らないのに気をつけようがないよ。




■ジュン

それに、無駄にゴミを出すのは環境にも悪いよ。

僕は環境の事も考えて、ゴミにするくらいならと貰ったんだよ。




■ジュン

あとさ、ゴミってつまり、要らないって事でしょ。

要らないと云って捨てられた物を貰ったとして、何か悪いの?




■不明

たくさん出てきたな。

では、また一つずつ考えていく事にしよう。




■不明

彼の云い分を端的に纏めると、こうだ。




■不明

悪いと知らなかったから、悪くない。

ゴミを出すまいとしたんだから、悪くない。

ゴミは貰っても問題ないから、悪くない。




■不明

さて、どの云い分について検討しようか?




■シン

悪い事だと知らなかったから悪くない、と云うのは、違うんじゃないかな。




■ジュン

でも、知らないものは知らないよ。

どう気をつけたら良いのさ。




■シン

ううん……。




■シン

まあ、確かに仕方ないか……。




■ジュン

でしょ?




■不明

……では、考え直すと云う事で良いか?




■シン

はい、そうですね……。




■不明

では、もう一度。




■シン

ううん……でも、仕方なくない気がするんだけどな。




■ジュン

でも、知らないものをどうしたら良いのさ。

気をつけようもないじゃない。




■シン

うーん…………。




■不明

…………。




■地文

突然、目の前が真暗になった。




■シン

うわっ……!?




■シン

……って、何やってんですか。




■地文

感触的に、明らかにあの不審者が後ろから僕の目を塞いでいるのが判る。




■不明

おや、急に人の目を塞ぐと云うのは、やってはいけない事だったか?

知らなかったもので、すまんな。




■シン

何を云ってるんですか。

邪魔しないでくださいよ、もう。




■不明

おや、邪魔をしてはいけなかったのか。

知らなかったもので、すまんな。




■地文

…………。




■シン

あの、離れてくれませんか。




■不明

おや、離れなくてはいけなかったのか。

知らなかったもので、すまんな。




■地文

…………。




■地文

解放されたのは良いが、不審者がやけに見詰めてくる。




■シン

な、なんですか?




■不明

……。




■地文

…………。




■シン

無言で見詰めないでください。




■不明

無言で見詰めてはいけなかったか。

知らなかったもので、すまんな。




■地文

そう云いながら、なおも見詰めてくる。




■地文

また、いつもの奇行だろうか。

意味が解らない。




■不明

にゃっ、にゃっ!




■地文

……!?




■不明

シュッ、シュッ!




■地文

猫が威嚇してるかのように、パンチのマネをされる。




■不明

フーッ!

シャッシャッ!




■シン

う、ウザいんでやめてください。




■不明

威嚇してはいけなかったか。

知らなかったもので、すまんな。




■不明

パンチしてはいけなかったか。

知らなかったもので、すまんな。




■不明

ウザい事はしてはいけなかったか。

知らなかったもので、すまんな。




■不明

じー……。




■地文

何がしたいんだろう……。

っていうか、アンタ誰なんだよホントに。




■不明

殴って良いか?




■シン

何でですか。

駄目に決まってるでしょう。




■不明

殴ってはいけなかったか。

知らなかったもので、すまんな。




■不明

じー……。




■不明

引っ掻いて良いか?




■シン

何でですか。

駄目に決まってるでしょう。




■不明

引っ掻いてはいけなかったか。

知らなかったもので、すまんな。




■不明

じー……。




■不明

噛みついて良いか?




■シン

何でですか。

駄目に決まってるでしょう。




■不明

噛みついてはいけなかったか。

知らなかったもので、すまんな。




■不明

じー……。




■シン

……もう、勘弁してください。




■不明

勘弁しなくてはいけなかったか。

知らなかったもので、すまんな。




■不明

じー……。




■ジュン

ええと、何が起きてるの?




■不明

いや、早く気付かないかなあと思って。




■不明

じー……。




■不明

もしかして、本当に酷い目に遭わないと気付かないのかな。

殴るか、いっそ。




■シン

いや、さすがに気付きました。




■地文

それにしても、回りくどい方法だ……。




■シン

悪い事だと知らなかったから、と云うのは、云い訳にはならない……と云う事かな。




■ジュン

ええ? どうしてさ。




■シン

例えば、もしコウタロウが、君を不当に責め立てるのが悪い事だと知らなかったとしたらさ。

知らなかったんだから、コウタロウが君を不当に責め立てても仕方ない、悪い事じゃない、と云えるよね。

それだと、コウタロウは君に謝らなくて良い、って事になるよね?




■ジュン

う……。




■不明

ちなみに私は、殺人が悪い事だと知らない人間だ。

そんな私が君らを殺したとしても、まあ知らなかったのだからしょうがない。




■不明

その通りだ、と思うかね?




■ジュン

う……。




■不明

思うなら、今殺すが。

私は、知らない為に無罪なのだから。




■シン

変な構え、取らないでください。

訴えますよ。




■不明

どうぞ、訴えてくれ。

私は殺人が悪い事だと知らなかったんだから、訴えられたって無罪放免だ。




■ジュン

ううん……。




■シン

と云うか、何でいつも例えが物騒なんですか。




■不明

判り易いからだ。




■シン

解ったから、近付いてこないでください。

本当に殺す気じゃないでしょうね。




■ジュン

うーん……。

でもさあ。




■ジュン

確かに、知らなかったから、と云うのは云い訳にならないかもしれないけどさ。

それでも、本当に知らないのにどうしたら良いの?




■不明

取り敢えず結論としては、知らない方が悪い、と云う事になる。

まあ、基本的には法律に関しての話だが。




■シン

でも法律って、たくさんありますよね。

確かに、それを全部丸暗記なんてできないですよ。




■不明

それは、勿論その通りだ。

だがそれでも、知らなかったと云うのは云い訳にならない。

そうでなければ、法律を知りさえしなければ、どんな犯罪でも犯し放題になってしまうからな。




■シン

まあ……確かに。




■不明

どう気をつけたら良いか、についてだが。




■不明

基本的に法律は、一般に公開されている。

調べようと思えば、幾らでも調べられるのだ。

だから、何かをしようと云う時、果たしてそれが法に触れるものではないかを調べてから行う、と云うのが当然の態度、と云う事になるのだ。

実際、何か事業をしようと云う者は、個人経営だろうと法人経営だろうと、必ず法的観点から事業内容などを検討している。




■ジュン

僕は、別に事業はしていないよ。




■不明

飽く迄も、実際にそうしているのだ、と云う話だ。

だからこそ、知らなかったと云う君の云い分は、君が悪いと云う主張への反論になっていない、と云う事なのだよ。




■ジュン

うーん……。




■不明

ちなみに、もし本当に裁判だとかの事態になったなら、必ず弁護士を頼るべきだ。

君らも思っている通り、一般人が法に精通していようと云うのは無理があるのだからな。




■シン

今回はまあ、よくある喧嘩だから、そんな大げさなものではないですよね。




■不明

うむ。

別に君らは裁判沙汰にしようと云う訳でもないのだろうから、そこまでは考えなくて良い。

飽く迄、結局今回、何が拙かったのかを理解できれば良い。




■ジュン

まあ……知らなかったと云うのが云い訳にならないのは解ったよ。




■シン

無知は罪、と云う事ですね。




■不明

君は、何を云っとるんだ。




■シン

え?

だって、知らないは云い訳にならないんでしょう。




■不明

では訊くが、2より大きい全ての偶数は必ず二つの素数の和で表せるのだと、何故断言できるのかな?




■シン

急に、何の話ですか。




■不明

良いから答えたまえ。

2より大きい全ての偶数は必ず二つの素数の和で表せるのだと、何故断言できる?




■シン

知らないですよ、そんな事。




■不明

ほう、知らない。

では君は無知であり、無知は罪だから、君は罪人だ。




■シン

は、はあ?

いや、それは違う話じゃないですか。




■不明

何が、違うのかね?




■シン

だって……そんな数学の話なんか知るわけないでしょう。




■不明




■不明

そう、普通は知らない。

だから、それで何の問題もないはずだ。

なのに君は、無知は罪、と云ったのだ。

だから、それは訝しい発言であろう?




■シン

え……でも、知らなかったは云い訳にならないんですよね。




■不明

厳密には、「犯罪と知らずに犯罪を犯した場合に、犯罪と知らなかったは云い訳にならない」だな。




■シン

犯罪を犯した場合に……。




■不明

要するに、罪が罪なのであって、無知は罪ではない。

たとえ殺人が犯罪だと知らなかったとしても、殺人を犯していないのであれば、咎める理由がそもそもない。

そして、犯罪だと知っていようが知らなかろうが、殺人を犯したなら、それは罪だ。

つまり、知識の有無は関係がない。

だから、罪が罪なのであって、無知は罪ではないのだよ。




■不明

無知が罪なら、赤ん坊は全員罪人だ。

それでは最早、人類に未来はない。

ナンセンスだろう?




■シン

な、成程……。




■不明

あと、ちょっと強引に話を展開してしまったが、無知とはそもそもなんだろうか。




■不明

ある事情を知らなかったからって、それは無知だろうか?

それとも、その事情を知らなかっただけだろうか?

一切の知識を持たない人間など、きっとあり得ない。

であれば、無知と云う概念自体が意味を為さない。




■不明

まあいずれにせよ、無知は罪だと云う主張は訝しいのだよ。

罪を為さないなら無知でも問題ないし、罪を為したなら物知りでも有罪なのだから。




■シン

確かに……。




■不明

余り、それっぽく聞こえるだけの言葉を鵜呑みにしてはいけない。

その主張が正しいかどうか、必ず論拠を求めたまえ。

詐欺に騙されるぞ。




■シン

成程……じゃあ。




■シン

ゴミを出すまいとしたんだから悪くない、と云うのは、違うんじゃないかな。




■ジュン

どうして?

ゴミを出すまいと云うのは、寧ろとても道徳的な事だと思うけど。




■シン

確かに、道徳的だね。




■ジュン

そうでしょ?




■シン

うん……。




■ジュン

うん……。




■不明

……では、考え直すか?




■シン

そうですね……?




■シン

えーと……。




■シン

いや、寧ろ非道徳的なんじゃないかな。




■ジュン

え、どうして?




■シン

えーと……。




■不明

どんな考えがあるか判らないが、話がズレていきそうなので、ここは却下とさせてもらう。




■シン

あ、はい……。




■シン

えっと、じゃあ……。




■シン

道徳的かどうかは、今は関係ないよ。




■ジュン

どうしてさ。




■シン

例えば、誰かが餓死しそうになってたとしよう。

僕は道徳的に、彼に食べ物をあげようと思ったとする。

でも、僕は食べ物を持っていない。

でも、彼を助けたい。




■シン

そこで僕が、君のお弁当を勝手に貰っちゃって、その人にあげたとしたら?

人助けは道徳的で良い事かもしれないけど、その手段として君のお弁当を勝手に貰っちゃうのは拙いよね。




■ジュン

僕は、あのパンを誰かのものだとは思っていなかったよ!




■不明

まあ待て、今は飽く迄例え話をしているだけだ。

彼の例え話だけに限定して考えると、どうだ?




■不明

彼は、勝手に君の弁当を貰った。

たとえそれが他人の為だったとしても、君からしたらどうかな?




■ジュン

僕は別に、そう云う事情があったなら喜んでお弁当を差し出すよ。




■シン

ええと……。




■不明

じゃあ、それが君の命だったとしたら?




■ジュン

え?




■不明

今目の前に、臓器移植を必要としている人がいたとしよう。

彼にすぐ臓器を移植しなくては、死んでしまう。

そして丁度良い事に、君の臓器なら彼にぴったりだったとする。

そこで医者は、君を殺して、君の臓器を彼に移植しようとした。

君はそれでも、どうぞどうぞと、自分の命と臓器を差し出すかね?




■ジュン

それは……。




■不明

別の例えだ。

今、私はムシャクシャしているとしよう。

誰かを百発殴れば、私の気分もすっきりするだろう。

丁度、私の目の前に、君がいる。

君なら、殴るのに丁度良い。




■不明

さて君は、私の為と云う道徳心から、その身を差し出すか?

差し出すなら、今から百発殴らせてもらう。




■ジュン

うう……。




■不明

嫌なら、断ってくれて良いぞ?




■ジュン

嫌です……。




■不明

では、話を戻そう。

どうぞ君、続けたまえ。




■シン

あ、はい……。

まあ、つまりそんな訳で。




■シン

たとえ道徳心から出た行動であろうと、その手段に拙さがあるなら、やっぱりそれは拙い事なんだ。




■シン

君は環境の為に、ゴミを出すまいと考えた。

それ自体は、確かに道徳的だと思う。

でもそれは、誰のものか判らないパンを勝手に食べて良い事は意味しないはずだよ。




■シン

だから、道徳心は関係ないんだ。

道徳から出た行動でも、何でも許される訳ではない。

道徳から出ていようと、やっちゃ駄目な事はやっちゃ駄目だ。




■ジュン

ううん……。

まあ、それは解ったよ。




■不明

従って、ゴミを出すまいとしたから悪くない、と云う君の主張は、君が悪くない事の論拠になっていない。




■シン

ゴミは貰っても問題ないから悪くない、と云うのは、違うんじゃないかな。




■ジュン

どうして?




■シン

落ちている物を自分のものにするのは犯罪だよ。




■ジュン

でもさ、落とし物とかならそうかもしれないけど、ゴミは違うんじゃないの?

ゴミって、要らないって事でしょ。




■シン

ううん……。




■不明

補足として、

遺失物と云うのは、占有者の意思に基かないでその占有を離れた物の事だ。

つまり、持ち主が捨てた訳じゃなく、意図せず落としてしまった物などの事だ。

これを自分のものにするのは、遺失物等横領と云う犯罪だ。




■不明

だが、ゴミと云うのは捨てると云う意思が伴っているものなので、ゴミを貰ってしまってもこれには該当しない。

占有者の意思に基いて占有を離れているから、遺失物等横領の構成要件を満足していないのだよ。




■ジュン

ほらほら。




■シン

あれ、そうなんですか……。




■不明

うむ。

まあこれは飽く迄、遺失物等横領についての話だ。

それとは別に、ゴミだからって貰って良いとは限らない場合がある。




■ジュン

そうなの?




■不明

例えば、町内のゴミ捨て場に捨てられたゴミや、粗大ゴミなどだ。

これらは確かに捨てた物ではあるのだが、大雑把に云うと、回収業者に依って回収される事などを期待している、と云える。

つまり、そのゴミを処分できるのは、規定の回収業者などのみであって、無関係な第三者が処分する事は許されない。

回収業者へ譲渡する物だ、のように思えば良かろう。

まあ、詳細は自分で調べてくれ、地域に依る場合もあるしな。




■シン

成程。




■ジュン

でも、僕が拾ったパンは、別にゴミ捨て場にあった訳じゃないよ。




■不明

そう。

だから、貰ってはいけないゴミには該当しないな。




■シン

あれ、じゃあ問題ないのか……。




■不明

ふむ。




■不明

では、君の考えを示してみようか。

よく考えて、答えてみたまえ。




■不明

あのパンは、ゴミ捨て場に捨てられていた訳でもないし、遺失物でもない。

従って、あのパンを貰ってしまっても問題ないか?




■シン

問題、なさそうですね……。




■不明

よく考えてみたまえ。




■シン

えーと……そうか、問題がありますね。




■ジュン

え?

どこに問題があるの?




■シン

あのパンは、そもそもゴミじゃなくて、他人の所有物だ。

だからそもそも、勝手に貰っちゃう事はできない。




■ジュン

でも僕は、あれをゴミだと思ったんだよ。




■シン

でも事実として、あれはゴミじゃなかったんだ。




■ジュン

でも僕は、それを認識できなかったんだもん。

ゴミだと思っちゃったものはしょうがないんじゃないの?




■地文

突然、不審者がフェンスの方へ歩き出した。

そして、徐にフェンスを取り外そうとする。




■シン

ちょっと、何してるんですか。




■不明

いやなに、ゴミが落ちていたのでゴミ箱に入れようと思ってな。




■シン

屋上のフェンスがゴミな訳ないでしょう。




■不明

そうか?

私には、ゴミに見えたのだが。




■ジュン

……。




■不明

ちなみに私には、君も彼もゴミに見える。

君達もゴミ捨て場に捨てよう。




■不明

いや、飽く迄例え話だから気を悪くしないでほしいのだが。

さあ、ゴミ捨て場へ行こうじゃないか。




■シン

本当に、例え話ですか?




■不明

さあ、そこの君。

私は君がゴミに見えるので捨てようと思うのだが、何か云いたい事はあるかね?




■ジュン

ううん……捨てられると困るなあ。




■不明

だが、私にはゴミに思えるのだ。




■ジュン

そう云われても……。




■不明

では、君をゴミに思った私が君をゴミ捨て場に連行するのは、君にとっては困る事かね?




■ジュン

うん……。




■不明

そんな訳で、ゴミだと思ったからと云われても、実際にゴミとは限らないし、ゴミとして処分されても困る訳だ。




■ジュン

ううん……。

でも、ゴミに見えたんだけどなあ。




■不明

君がパンをゴミと思ってしまったと云うなら、それは仕方ない。

別に、その事実を否定しようと云う訳ではない。




■不明

だが、ゴミと云うのはゴミ捨て場やゴミ箱に入れられている物や、空き缶など用済みであるようなものが道端等の不適切な場所に不自然に存在しているような場合にそうだと云えるものだ。

そう云う意味では、机の上に賞味期限が切れている訳でもないパンが置かれている状況では、たとえ君が本当にそう思ってしまったのだとしても、それはゴミではないのだ。




■ジュン

ううん……。




■シン

思い違いや勘違いは、誰でもしてしまうものだけどさ。

だからって許されるものでは、きっとない。




■シン

思い違いではあるんだから、そこはやっぱり、間違いなんじゃないかな。




■不明

思い違いをしてはいけない、と云う訳ではない。

だが思い違いに依り迷惑を掛けたなら、そこは謝るべきであろう、と云う事だ。




■ジュン

うん……まあ、そうかな。




■不明

では、他の云い分の検討へ移ろう。




■不明

と云う訳で、ジュンの云い分は、どれも論破された訳だ。




■不明

ちなみに論破とは、主張の不当性、間違いを証明したと云う事であって、相手を云い負かしたとかこっちの勝ちだとか、そんな意味ではない。

何度も云うが、議論は戦争ではない。

正しさを解明する為の協力プレイだ。

口喧嘩になってしまわないように注意しよう。




■シン

はい。




■ジュン

はーい。




■地文

なんだかすっかり、青空議論教室だ。




■不明

さて、話題はもう一つあったが、憶えているかな。




■シン

えっと……。




■不明

議論が進むと、情報が多くなる。

どうしたって、混乱したり忘れたりしてしまう。

だから、メモを逐一取りながら進めるのが良いな。




■ジュン

忘れないでよ。

コウタロウが悪いんだから彼が謝るべきだって話だよ。




■ジュン

僕が悪い事をしちゃったんだってのは解ったけどさ。

彼も僕に悪い事したんだから、彼も僕に謝るべきなんじゃないの。




■不明

議題を整理しよう。




■不明

コウタロウが悪い、と云うジュンの云い分について、その論拠は何だったかな?




■ジュン

えっと、メモを読み返しながらだけど……。




■ジュン

僕は何も悪くないのに、コウタロウは僕を責めたんだよ。

それは、酷いじゃない。

それに、パンを食べられたくないなら、出しっぱなしにしなければ良かったんだ。

だから、悪いのはコウタロウだよ。




■不明

では、それぞれ考えていこう。




■シン

悪くないジュンを責めたのが悪い、と云うのは違うんじゃないかな。




■ジュン

どうしてさ!




■シン

ジュンが悪い事は、既に説明したよね。

だから、責められても仕方ないんじゃないかな。




■ジュン

でも……だからって何でもして良い訳じゃないでしょ。




■ジュン

僕が悪かったとしても、あそこまで云われる筋合いはないよ!




■シン

それは、違うんじゃないかな。

そもそもジュンがパンを食べちゃわなきゃ、コウタロウだってそんな酷い事は云わなかったはずだよ。




■ジュン

でも……。




■不明

ここで問題です。




■シン

突然何ですか。




■不明

私が今からとある問題を出すので答えてください。

間違えた場合、殺します。




■シン

はい?




■不明

間違えなければ良いだけです。

間違えた為に殺されたとしても、間違えたお前が悪いです。




■シン

ちょ、ちょっと待ってください。




■不明

何ですか。




■シン

いや、その口調こそ何ですか。

殺すって……どうして、いつも例え話が物騒なんですか。




■不明

判り易いからだ。




■不明

さあ、どう思う?

間違えた方が悪いのだから、殺されても文句は云えない。

この云い分は、正しいと思うか?

正しいと云うなら、私は無理難題を呈示して君を殺すが。




■シン

問題を呈示しただけで殺さないでください……。




■不明

結論として、相手に落ち度があろうと、相手をどうにでもして良い事にはならない。




■ジュン

そうだよね。




■シン

じゃあ、やはりコウタロウが悪いんですか?




■不明

まあ、落ち着きたまえ。

そもそも、目下の論点は何だったか。




■不明

問題は、コウタロウのジュンへの責め方ではない。

そもそも、何故コウタロウはジュンを責めたのかだ。

もしコウタロウのジュンへの責め方が過剰で悪いものだったとしても、それはそれで別の話であって、目下の議題は、ジュンがパンを食べてしまった事についてのコウタロウ側の落ち度の話だ。




■シン

ああ、そうか……。




■シン

そもそも、コウタロウがジュンをどう責めたかではなく、そもそも何故コウタロウはジュンを責める事になったのか。

それは、ジュンがパンを食べてしまったからだし、それはジュンが悪いんだって事は既に説明した。

ジュンが悪いからジュンが悪いとコウタロウは述べたのだから、コウタロウの云い分は間違っていないよね。




■不明

もしコウタロウのジュンへの責め方が過剰だと云うなら、それはコウタロウが謝るべきかもしれない。

だがそれは、また別に議論すべき、別の議題なのだ。




■不明

今我我がしている議論は、ジュンがコウタロウのパンを食べてしまった事について、誰が悪いのか、だ。

ジュンが悪い、と云う事は既に示した。

残るは、コウタロウも悪いのかどうか、と云うのが議題だったはずだ。




■シン

だから、パンを食べたジュンをコウタロウが責めた事は、今の議題ではない。

ジュンがパンを食べるに至った事について、コウタロウに何かジュンに謝るべき点があるか、が議題だ。

従って、コウタロウがジュンを責めた事は、ジュンがパンを食べた後の話なのだから、ジュンがパンを食べた事のコウタロウの落ち度と云う話にはなっていない訳だね。




■ジュン

む、むうう……成程……。




■シン

それから、出しっぱなしにしたのが悪い、と云うのは違うんじゃないかな。




■ジュン

どうしてさ。




■ジュン

出しっぱなしにしなければ、盗られる事もないんだよ。

どうして、出しっぱなしにするのが悪くないの?




■シン

物を出しっぱなしにする権利はあるはずだよ。




■ジュン

そりゃ、権利はあるかもしれないけど……。

その結果、食べられちゃったんでしょ。

それが厭なら出しっぱなしにしなければ良いじゃん、って話なんだから。

やっぱり、コウタロウが悪いでしょ。




■シン

えーと……。




■不明

ふむ、考え直した方が良いようだな。




■シン

えっと……。




■シン

物が出しっぱなしになっているとしても、それは貰っちゃって良い事は意味しないはずだよ。




■ジュン

でも……要らないかと思ったんだもん。




■シン

君がどう思おうが、駄目なものは駄目だ。

だから、コウタロウが出しっぱなしにしていたとしても、貰っちゃ駄目なんだ。




■ジュン

でもさ、今回は偶偶僕が食べちゃったけど、他の人が盗っちゃったり、何かの弾みで床に落ちちゃったりって事もあるんじゃないの?

それが厭なら、出しっぱなしにしなければ良いはずでしょ。




■シン

それはそうだけど、それは、出しっぱなしだから貰って良い訳ではない、と云う話とは無関係じゃないかな。




■ジュン

ううん……まあ確かに。




■シン

そう云う事が起こってほしくなければ、事前に対策した方が良いと云うのは確かにその通りだと思うけど。

だけどそれは、対策していなければ物を盗って良い事を意味しないよね。

泥棒に入られたくなければ、鍵を掛けた方が良い。

でもそれは、鍵が空いているなら泥棒して良い事は意味しないはずだよ。

泥棒は、そもそもしてはいけない事だものね。




■シン

そんな訳で、対策はすべきだと云う話と、犯罪を犯して良いかは、別の話じゃないかな。

だから、無対策だった事をコウタロウが反省すべきだとしても、それはジュンへ謝罪すべき事ではないよね。




■シン

だから、君の云い分は間違ってるんだ。




■ジュン

ううん……そうかあ。




■不明

ふむ、他の云い分の検討へ移ろう。




■不明

さて、そんな訳で。




■不明

呈示されたジュン側の主張は、全て論破された。

残っているのは、シン側の主張だけだ。

他に何もないようであれば、つまり正当なのはシン側の主張だと云う事になる。




■不明

どうかな、ジュン。

他に云いたい事や云い忘れた事があるかな。




■ジュン

……ない、かな。




■不明

自分側に落ち度があった事が、納得できたかな?




■ジュン

……うん、まあそうだね。




■シン

(ふう、取り敢えず何とかなったのかな)

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