7.素直な感想

「……去年度までのは、理想の活動じゃなかったんですか」

「去年は去年でとても楽しい毎日だったよ。でも、もうダメ。理想が高くなった」


 理想。

 意味を推察しかねる単語に、俺は首を傾げる。


「去年と同じじゃ、足りない。私の高校最後の一年、もっと色々したい。もちろんいままでと同じようにだらだら過ごす日もあっていい。けれど、この部屋を、学校を飛び出して、新しく外で君と二人、一生の思い出を残したいんだ。漫画のキャラクターにも劣らない、煌めく青春の一ページを」


 それは先輩の言う通り、俺を納得させるような理由ではなかった。

 全てが先輩個人の都合であり、俺を巻き込むには言葉も理論も足りない。

 ……が、はっきりしていることもある。


 先輩は俺と違い、三次元を捨ててはおらず、両立している。

 高校最後の一年を素晴らしいものにしたいという願いは、三次元に生きる多くの高三生が持ち合わせて当然の、ありふれた感情なのだろうと思った。


「……私は、卑怯な人間だな。咄嗟の思い付きだったとはいえ、自分の望みのために、君が一生懸命書いたものを、だしにしようとしたのだから」


 先輩はクッションを元の位置へと戻し、スマホを取り出す。


「サイの二次創作、読ませてもらった。『物足りなかった』と言うつもりだったんだが……こんなにも素晴らしい出来のものを読まされたら、自分に嘘はつけなくなったよ」


 スマホを見つめるその瞳に映っているのは、おそらく俺が送った文章で。


「宏慈、君が書いたこの物語――とても、面白かった」


 顔を上げた先輩が、俺を真っ直ぐ見据えながら、柔らかく微笑んだ。


「あまりにも面白くて、三回も読み返してしまった。二回目には、サイが主人公と結ばれたことが嬉しくて、思わず涙ぐんでしまったよ。キコ推しの私がだぞ? 君が心からサイのことを思って書いたんだということが伝わってきた。本当に素晴らしい二次創作だと思う」

「……あ、ありがとう、ございます」


 予想外の感想を伝えられ、俺は口ごもりながらお礼を返すのがやっとだった。


「そして、許してほしい。私のわがままに付き合わせてしまって、申し訳なかった」


 先輩は両手をスカートの上に乗せ、ぺこりと頭を下げる。


「……許すも何も、憬先輩に悪いところなんてないですよ。俺がこういうヤツだから、三次元を毛嫌いする偏屈者だから、憬先輩は勝負のような形を持ち掛けるしかなかったんでしょう。普通に誘ったって、俺は絶対に断るから。だから、悪いのは性根が腐ってる俺のほうです」


 同じように、俺は頭を下げた。

 先輩よりも深く。


「……やっぱり、宏慈は優しいな」

「何言ってんですか、どう考えも正直な感想を言ってくれた憬先輩のほうでしょう」


 お互いに頭を下げたまま相手を立てる。

 暫くそのままの体勢で意地を張り合っていると、堪え切れず、ふっと二つの笑いが漏れた。


「ああ、でも……やっぱり飲んでみたかったな、タピオカいちごオレ」


 姿勢を正した先輩が、ちょっと悔しそうに顔を歪めた。

 自分が抱いた感想を捻じ曲げれば辿り着けた賞品だったが、結局は良心が勝った故に、タピオカ屋行きはなくなったのだ。


「…………あー…………じゃあ…………まあ…………いつか、行きますか?」

「え?」


 長い長い逡巡ののち、天井を見上げながら重苦しく口を開いた俺に、先輩は驚いたような声をあげた。


「あ、いや、明日いきなりとかは絶対無理ですよ。引きこもりがそんなところ行ったら死んじゃいます。……だからその、まずは俺でもたまに行くような場所……本屋とか、映画館とか、そういうオタク活動ができるところから慣れていって……いつか大丈夫そうって思えたら、憬先輩が行きたいところに行く……ってのはどうでしょう」

「い、いいのか宏慈?」


 いいわけないだろ。

 なんで俺が他人の理想のために自分を犠牲にしなきゃなんねーんだよ。

 知ってる、そういうの利他主義っていうんでしょ。

 アホらし、やっぱ三次元はクソだわ。


 ……だというのに、俺が折れてしまったのは、先輩の内心に触れることができたから。

 ただ彼女が行きたいからではなく、なぜ彼女が行きたいかを知ってしまったから。


 俺は外になんか出たくない。

 この部屋でいままで通りの活動ができれば万々歳の大満足だ。

 それでも、クソッタレな学校生活の、忌むべき大前提として――


「後輩ってのは、先輩の言うことを聞かなきゃダメなんでしょう」

「……宏慈、君は、本当に……!」


 じわじわと表情を崩していく先輩が、ソファに座る距離を詰め、手のひらを俺の肩へと置いた。

 そのままぱしぱしと何度も叩く。


 どこかの金髪リア充の暴力と違って、少しも痛くない、暖かな衝撃だった。


「……ありがとう、宏慈。すごく、すごく嬉しいよ」

「まあ、俺なんかと二人で行っても、一生に残る思い出になんてならないと思いますけどね」

「そんなことない! 絶対に、生涯忘れられない時間になる!」


 お互いの頬が接触するんじゃないかと心配になるくらい間近で、先輩は瞳を潤ませながら断言した。


「ッ……な、何度も言いますけど、すぐには行きませんからね。憬先輩、今日はアニメを見るって言ってましたし」

「ん、そうだったな。――では、一緒に楽しむとするか」


 納得したように頷いた先輩は、俺の肩から手を離した。

 そのまま備品棚に向かおうと、ソファから腰を上げる。


 ――そのとき。


 コン、コンと、何かを叩くような音が室内に響いた。


「なんだ宏慈、急にテーブルを叩いたりして」

「いや、俺じゃないですよ」


 二人で顔を見合わせていると、再びコンコンの音。

 どうやら音源は室内ではなく、部屋の出入り口の扉から聞こえてくるようだ。


(……もしや、来客?)


 過去一年間、そんな人は誰一人訪れたことはない。

 しかし、乾いた音は確実に、何かしらの用件を持つ人間が部屋の外に立っていることを伝えてくる。


(……まさかとは思うが、もしかして)


「サブ研の入会希望者……だったり?」


 いまは新入生の部活探しが活発な季節だ。

 とうの昔に廃部になったとはいえ、この部屋の扉には未だに『サブカルチャー研修会』の札が掛けられている。


「なんだここ、部活動紹介冊子に載ってなかった同好会があるぞ?」


 そんな興味を持った一年生がいたのかもしれない。


 俺の推測を聞いて、先輩は目を見開いた。

 制服の皺を伸ばし、扉に向かって緊張した声で「どうぞ」と告げた。

 それを合図に引き戸が開かれる。


 果たしてそこに、見知らぬ新入生の姿はなかった。

 来訪者は、二年生の女子生徒。

 同学年の俺は元より、先輩でもその少女には見覚えがあった。


「ご活動中、失礼いたします」

「……え? 君は……」


 彼女の顔を見た途端、先輩の言葉は途切れた。

 今日一日、俺が教室で動向を探り続けた少女が、目の前に立っている。


「二年五組の色芸絵描と申します。――水納くんに、お話したいことがあるのですが」


 ただの一度も会話したことがない色芸が、いま、俺のことを呼んでいた。

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