徒然魚(つれづれうお)
石魚
友人が結婚する話
友人が結婚するらしい。
結婚の知らせを聞いたのは今年3月の末のことだった。大学を卒業してから全く連絡のなかった彼から、ただ「12月は日本にいるか」と一言送られてきた。おそらくというか間違いなく、ニュージーランドにて日々を過ごしている自分への確認以外にこれといった意味はないのだろうが、こう短文で送られてくると何となく不安を掻き立てるものがある。
とりあえず「まだ決めてないけど、何?」と返す。本当は特に日本に戻る気はなかったが、悪い知らせだった場合に備えて余裕を作っておく。これは急に知り合いから「明日暇?」と送られてきても使える妙手だ。先に相手から要件を引き出し、その後吟味、判断をする。賢者は条件が揃う前に解答を出さない。覚えておこう。
だがお察しのようにこれは杞憂であり、彼は私に大学来付き合っていた彼女と結婚すること、結婚式は12月に行うこと、日本にいるなら来てほしいということを伝えに来てくれただけであった。
私は今までの人生で結婚式なるイベントに立ち会ったことはなかったし、何より共に奇人はびこる弊大学を生き抜いた同志の結婚式に参列しないという選択肢もない。
無論2つ返事でOKを出すどころか、「予定がないなら無理しないでいい」と言う友人に縋り付き実家に招待状を送ってもらうことにした。
しかし、「結婚」である。ついこの間が大学を卒業したばかりの私にとってはまだまだ縁遠いものだと思っていたが、よもや校内で1、2を争うほど近しい友人が結婚するなど考えてもみなかったことだ。確かに前々から早めに結婚したいと漏らしている奴だったが、それにしても早すぎるのではないか。優秀な人間ほどタスクもイベントもこなすのが早いのだろうか。
少し彼について説明しておこうと思う。彼は一言で言えば「上手な人間」であった。何をするにしても要領がよく呑み込みが早いのはもちろんのこと、マクロ的な人間関係からミクロな会話のツボまでしっかりと抑えてくる社会人の権化のような男である。彼の周りには男女、陽陰問わず常に楽しげな友人たちがいたし、つい昨日まで私たちと脱衣麻雀で全裸祭りをしていたかと思えば、翌日にはクラスの秀才とテストに備え、私たちに過去問を配りつつ本番ではAは当たり前の高評価を得ていた男であった。
優秀な上に人徳もあり、さらには彼女もいたため私もほんの少しばかり嫉妬の念を覚えたこともあったが、何を察してか翌週に4対4の合コンを開いてくれたのですべて許した。が、私は腹が減っていたので唐揚げとごはんとみそ汁を頼み「疑似唐揚げ定食」を食べていたところ次回から呼ばれることはなくなった。何故だ。唐揚げにレモンをかけて食べたからだろうか。
話が逸れた。つまりは彼は素晴らしい人間であり、一般的な考えに照らし合わせれば彼は間違いなく幸福な人生のレールをひた走っていると言えるだろう。現代では「幸福な人生」についてかなり多様化が進んできているとはいえ、例えば昭和の人間が目指した「大企業に就職し、結婚し、マイホームを買う」という王道は現代の数ある幸福な人生設計の中でも煌々と光を放っていると思われる。
そんな彼の輝かしい人生にその前提にある努力を無視して嫉妬に溺れるほど愚かではないが、流石に羨ましくはある。が、それを超えた感情、というよりそれを心に持った上での自分が立っている場所への感想として「なんだか変な場所に来てしまったな」と思う。
まともな就職や恋愛をかなぐり捨てて揺蕩うように生きていたらもはや太平洋を越えてしまった。もちろんここまでの選択は全て自身の望んだことであるし、今までの23年を振り返って正解を選んだことは少なかっただろうが、間違えた覚えは一つもない。嘘だ。いくつかはある。
故に私は今でも等身大に幸福なのだが、やはり人間というのはあったかもしれない選択肢の先がどうにも青々と見えるもので、特に近くにいた同級生などはなまじ良く見えていたせいかより映えた青に見えるものだ。
じゃあ自分が一般的に幸福な人生を歩んだと仮定して、果たして自分は真に幸福になれるのかと想像してみるのだが、どうにも幸福を手にできるイメージが湧かない。というより手にした幸福に対して、そのために支払う犠牲や不幸があまりに大きく感じてしまうのだ。そう思えば彼にはこの対価を支払ってでもそれを上回る幸福があるということだ。
言ってしまえばただの価値観の差でありそれ以上でもそれ以下でもないが、大学という道を交えた同級生が思うよりもはるかに遠い道に行ってしまうと彼の道と、自分の道と、共にいた分岐が目につくのだ。
手元にあった安い白ワインをコップに注ぎ、軽く煽る。美味い。こんなことで「まあ悪くないか」と思ってしまう自分が少し恥ずかしい気もするがアルコールのせいで気にならない。
彼はNZ産9ドルの安物ワインの味とそれのもたらす幸福を知らない。私は大企業に勤め愛する人と結婚する幸福を知らない。
これで平等だ。私たちは今後も仲のいい友達としてやっていけるだろう。数年後、もし彼がマイホームを買うと報告してきたら、私はまた別のどこかで、彼の知らない飯を食ってやるのだ。
平等、といったのになんだか少し勝った気分すらする。私は満足げになって、彼に送る祝いの品を考えることにした。
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