第21話 日章丸事件
天才ときちがいは紙一重という言葉はよく聞く話だ。言葉通り人並み外れた才能を持つ天才と、奇人・変人・狂人などのキチガイと呼ばれる人には、大きな差が無いということなのだが、深水は時として芸術にのめり込み完璧を望むあまりに、恐ろしい泥沼にはまっていく事があった。
何故冷凍庫に香織の遺体が入っていたのかという事だが、それだけ香織を愛していた証なのかもしれない。
本来ならばホルマリン漬けにして香織を永久保存したかった深水だったが、横たわった今にも息絶えそうな香織の死体の腹部が裂け、その切り口から徐々に香織の内臓が飛び出して来た時はこれは大変だ。そう思ったが、真っ白な透き通る白い肌とは対照的に、その毒々しい内臓に一瞬グロテスクな不気味さを感じた深水だったが、その反面赤々とした色艶やかな何とも言えない臓器の、サイケデリックな美しさに感動を覚えた。
実際に死の淵に立たされた香織は徐々に命の灯が消えて、やがて亡くなってしまった。
あの時はどうしてあんな事件が起こってしまったのだろう。深水は悔しくて悲しくて胸が張り裂けそうだった。
内臓を見るのは初めてだったが、裂けた腹から落ちる、つるつるした袋の連なりは美しかった。教科書に載っている臓器とは微妙に違い、それはもっと海中の赤や灰色や黒の珊瑚や、それから……地上の植物、そう……どこか毒々しい彼岸花にも似通った、もう息絶えそうな香織のその垂れ下がった内臓を見た深水は、可哀そうで見ていられなかったが、例え命が絶えたとしても、この死に逝く美しい香織の美しい臓器を後世まで美しいままで残してやろうと誓った。
こうして遺族に引き渡された遺体は土葬された。
日本にも土葬の習慣がある地域が存在した。深水は茨城県の出身だったが、ここ深水の生まれ育った地域は土葬される地域だった。
それは深水にとっては何より好都合だった。その遺体を掘り起こして家に持ち帰り、あの美しい綺麗な臓器をいつまでも残して芸術作品として描こうと誓った。そして…いつも妻を傍に置いておきたかった。
そこで咄嗟に考えた。内臓を綺麗にホルマリン漬けにしようと……そして…遺体は業務用冷凍庫で保存して、後からまた土葬して香織を安らかに土に帰らせようと考えた。
それではどうして香織は内臓が飛び出して来るほどの負傷を追ってしまったのか?それでは本当に深水がサディズムであり、妻を日常的に暴力を振るったり、刃物で傷つける行為を行っていたのだろうか?
深水は愛する妻を内臓が飛び出すほど、切り裂く事など絶対に出来ない。いくら香織がマゾヒストだとしてもその言葉に応える事は絶対に出来ない。
それではどうして香織は、あのような残酷な姿になってしまったのか?
徐々に暴かれる真実。
だから、美咲が献体の匂いがしたというのは、深水氏が香織の遺体処理を時々行っていたからなのだ。
※サディズム:加虐性欲は、相手を身体的に虐待を与えたり、精神的に苦痛を与えたりすること。
★☆
ここでよく考えて見て欲しい事が有る。いくら女中昭子が大人で、それに付き従っていれば何の問題もないからと言って、言いなりになっているというが、お金さえ出せばどんな優秀な人物でも配下における深水が、いくら人生経験が豊富だからといっても、教養もない只の女中の言いなりに、何故ならなければ行けないのか、という事だ。
深水は純粋な日本人ではなかった。 実は、日本とイランのハーフだった。
日章丸事件(にっしょうまるじけん)とは、1953年(昭和28年)に起きた石油の輸入とそれに付随した訴訟および国際的な衝突事件である。
イギリスの影響下にあったイランは第二次世界大戦後独立していたものの、当時世界最大と推定されていたその石油資源はイギリス資本の石油メジャー「アングロ・イラニアン社」の管理下に置かれ、利益がほとんど分配されない状況にあった。
その中で、イランは1951年に石油の国有化を宣言し、アングロ・イラニアン社の資産を取り上げた。反発したイギリスは中東に軍艦を派遣、イランへ石油の買付に来たタンカーは撃沈すると国際社会に表明した。事実上の経済制裁に出たイギリスにイランは態度を一段と硬化させた。
一方、日本は第二次世界大戦後、イギリスやアメリカなどの連合国による占領を受け、占領終了後も両国と同盟関係にあるために石油を自由に輸入することが困難であり、それが経済発展の足かせとなっていた。
イラン国民の貧困と日本の経済発展の足かせを憂慮した出光興産社長の出光佐三は、イランに対する経済制裁に国際法上の正当性は無いと判断し、極秘裏に日章丸を派遣することを決意。第三国経由でイランに交渉者として専務の出光計助を1952年に極秘派遣。モハンマド・モサッデク首相などイラン側要人と会談を行う。
イラン側は、各国の企業と条件面で合意しても実際の貿易には全く結びついていない前例と、当時国際的にはほぼ無名の中小企業に過ぎなかった出光を見て初めは不信感を持っていたが、粘り強い交渉の末に合意を取り付け、国内外の法を順守するための議論、外交上の不利益を与えないための方策、法の抜け道を利用する形での必要書類作成、実行時の国際世論の行方や各国の動向予測、航海上の危険個所調査など準備を入念に整えて、日章丸は1953年(昭和28年)3月23日午前9時、神戸港を極秘裏に出港。
航路を偽装するなどしてイギリス海軍から隠れる形で、日章丸は4月10日イランに到着。この時点で世界中のマスメディアに報じられ、国際的事件として認知された。日本においても、武装を持たない一民間企業が、当時世界第二の海軍力を誇っていたイギリス海軍に「喧嘩を売った事件」として報道され、日本では連日新聞の一面記事で報道された。
国際世論が注目する中、イランのアーバーダーン港を出港。浅瀬や機雷などを突破、イギリス海軍の裏をかき、5月9日9時に川崎港に到着した。アングロ・イラニアン社は積荷の所有権を主張して出光を東京地裁に提訴し、外交ルートで出光に対する処分圧力が日本国政府にもたらされた。
だが、イギリスによる石油独占を快く思っていなかったアメリカの黙認や、それを後押しする各国の世論の声もあり、裁判でも出光側の正当性が認められ、仮差押え処分の申し立ては5月27日に却下された。アングロ・イラニアン社は即日控訴するものの、10月29日になって控訴を取り下げたため、結果的に出光側の勝利に終わった。
だが、諸々の事情で出光によるイラン産石油の輸入は継続困難になり、わずか3年後の1956年(昭和31年)に終了したが、これら一連の動きは、世界的に石油の自由貿易の橋渡しとなった。
この様な事件があり日章丸の船員だった深水の父は、イラン人の酒場女と恋仲になり深水が生まれた。だが、イラン産石油の輸入が終わりを迎えたことで酒場女だった母親を捨てて深水を日本に連れ帰った。
だが、この母親はイランで金欲しさに老人を騙して2人を殺害していた。
折しも日本とイランは1974年からは、ビザ相互免除協定を締結しており、日本への出入国に際してビザがいらなかった。このような事から立派に成長した有名画家息子深水会いたさに、また経済大国となった日本に金の無心のため母はバブル時代の幕開け1985年に渡航した。
その頃深水は海外でもその作風は高く評価されていた。こういう類の人間は金の匂いをかぎ分けるのに長けている。
またこの時期、日本でイラン人数が急増した。
それは1988年のイラン・イラク戦争休戦後のことである。日本の良好な経済状態についての話が広まり、ビザ相互免除協定を利用して日本へ渡航し、職を見つけ居住するイラン人が増加していった。
この様なとんでもない母の出現によって、のちに深水は性悪女昭子に弱味を握られがんじがらめになる。
こうして事件は起きた
※マゾヒスト :相手から精神的、肉体的苦痛を与えられることによって性的満足を得る異常性欲。 被虐性愛。 マゾ。
※病理解剖など特別な許可がある場合を除き、ご遺体にメスを入れ臓器を摘出するなどは違法行為(死体損壊に当たる=犯罪行為)行政解剖 司法解剖 病理解剖の場合は必要な臓器を摘出後残った臓器を体内に戻し縫合して洗浄し衣服を整えてお返しする。
★☆
それにしても……この様な残酷な結末を誰が予想できただろうか?
結局は医者の診断と家政婦の証言、更には加害者深水本人の供述を基に下された判決は、深水自身にも落ち度はあるが、妻香織の肉体を傷つけられたいと思う強いマゾヒスト気質の要望を、叶えてやらないと最終的には酷い状態になり暴れて、どうしても嫌だと言えば別れると言う。別れるのは困るから断る事が出来ずに起きた事件だったので、その結果深水は嘱託殺人ということで普通の殺人罪よりかなり罪が軽くなった。
刑罰は最短6ヶ月の懲役となった。
有名画家の犯罪とあって当時は、連日連夜テレビや新聞媒体などで一大スキャンダルとなったが、それでも聴衆の殆どが、殺人者と見るのではなく。愛する妻を思うがあまりの殺人、それこそ悲劇の画家と騒ぎ立てた。誰一人としてダークな殺人者とは見なさず、只々人々の深水に向けられた想いは、哀れな同情と好奇に満ちたものであった
だが、この事件には語れていない闇の部分が多く存在していた。それでは深水は誰をかばって多くを語らなかったのだろうか?
徐々に暴かれる真実。だが、その果てにはどんな結末が蓋を開けて待っているのか?
★☆
あの地下の秘密を知ってから早20年、美咲は才能ある夫ジョーと結婚して可愛い子供たちにも恵まれ、過去の露天商の孫で水商売の子供という、お世辞にも褒められたものではない境遇から這い上がる事が出来て、有頂天になっていた。
だが、この幸せが今あの「パックン」経営者によって木っ端みじんに壊れ去ろうとしている。
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