第88話 家族会議

「ノア。話というのは、昨日のWMUダブリュー・エム・ユーでの事かい?」

「うん。お義父さんとお義母さんにも相談したい事があって」


 正面に座るお義父さんの確認を、僕は肯定した。

 僕の隣にはシャルが座っており、彼女の正面、お義父さんの隣ではお義母さんが柔和な笑みを浮かべてこちらを見ている。


 心なしか嬉しそうなのは、僕が両親に相談をする事がほとんどないからかな。

 ノアはしっかり者だけど、たまには頼ってくれないと寂しいわぁ、と冗談半分で言われた事もあるし。


「報奨金をもらった後に国家魔法師の人と模擬戦をして、実力を認められたんだと思う。特別補佐官っていうポストを用意してもらったんだ」

「特別補佐官……⁉︎」


 お義父さんが目を見開いた。

 警察の上層部に身を置いているし、知っていても不思議じゃないか。

 お義母さんはピンときていないようだ。


「特別補佐官って?」

「ここに、諸々の契約事項も含めて書いてあるんだけど」


 両親に契約書一式を差し出す。

 興味津々な様子で書類を読み始めたお義母さんの表情は、グラデーションのように驚きに染まっていった。


「つまり要約すると……施設の利用や文献の閲覧とかの制限はなく、星全体を脅かす有事以外の任務に参加する義務はないって事⁉︎」

「そうだね。自分が関わっていない任務に関する情報は規制されるけど」

「……いやいや、それにしてもVIP待遇すぎないかしら⁉︎ あんなに可愛かったノアが、いつの間にかこんな立派に……!」


 お義母さんがくぅ……と噛みしめている。


「カミラ。感慨深いのはわかるけど、今はノアから相談を受けている最中だよ」

「はっ……! そうだったわ」


 お義父さんの声で、お義母さんは現実に戻ってきた。


「契約書の細かい部分はまた読むとして——」


 お義父さんが口元に柔らかい笑みをたたえつつも、いつになく真剣な眼差しを向けてくる。


「——ノアはどうしたい?」


 こうしろ、ああした方がいいという命令でもアドバイスでもなく、僕自身の意思を確認するための問いかけ。

 答えは決まっていた。


「僕は、話を受けたいって思ってる」


 両親もシャルも、大袈裟な反応は示さなかった。


「有事の際には僕にも任務への参加義務が発生するから、いざという時に皆を守れないかもしれない。けど、強くなるためには最適の環境だとも思っているんだ。僕には対人戦の経験が足りていない。高校でも対人練習は増えるだろうけど、やっぱり熟練者との戦闘経験は財産になるはずだから」


 ケラベルスとの戦いは元より、ロバートさんとの模擬戦の中でも得られるものはあった。


「いつでも見学に来ていいって言われているから、取りあえず見学してみてだけど……基本的には特別補佐官になりたい」

「……そうか」


 両親は優しい笑みを浮かべてうんうんと頷いた。


「ノアの好きなようにするといいよ」

「えぇ、あなたが決めた事なら応援するわ」

「……ありがとう。お義父さん、お義母さん」


 改めて、いい人たちに拾ってもらえたなぁ。

 危険だからやめなさいと制止する親だっているだろうし、それも決して間違いではないと思うけど、二人はいつだって僕の考えを尊重してくれる。ありがたい限りだ。


「当然だよ。子供の背中を押すのが親の役目だからね。それに、私から見てもこれは悪い話ではないような気がするよ」


 お義父さんが契約書にチラリと目を向けて、続けた。


「私は魔法が使えないから、ノアがどれくらい強いのかはわからない。だけど、現役の国家魔法師たちとトレーニングできるのなら、必ずプラスになるはずだよ。それに、入手できる情報の質も量も広がるしね」

「そうだね」


 情報を何よりも大切にしているお義父さんらしい着眼点だ。

 いくらお義父さんの警察のお偉いさんとしての収入があるとはいえ、本来なら平民には手が届かないほど高価のテレビがウチにあるのも、ひとえにお義父さんの一存だ。


「報奨金の管理はどうする? 子供が持つには大きすぎる額だし、ノアの銀行口座だけ作って私たちが管理しておこうか? 必要になった時は、その都度言ってくれれば引き出すから」

「うん、お願い」


 多額のお金を有している銀行には、特に防御に長けた優秀な魔法師が何人も働いている。

 襲撃される事はたまにあっても、お金を盗まれたりするような事件はまず起こっていない。


 一億円なんて大金を手元に置いておくのは怖いし、大人しく両親に任せよう。


 隣を見ると、シャルが手をもじもじさせていた。

 瞳は不安げに揺れている。

 何か悩んでいるような、葛藤かっとうしているような、そんな様子だった。


「シャル、どうしたの?」


 シャルがビクッと体を震わせた。

 それから、ふるふると首を横に振る。


「いえ、なんでも——」

「それは無理があるでしょ」


 シャルの顔を覗き込んだ。彼女はふいっと視線を逸らした。

 その顔を下から包むように右手で掴み、無理やりこちらに向けさせる。

 空色の瞳が左右に揺れた。


「何か悩んでるんでしょ? 本当に話したくないなら無理には聞かないけど」


 先程の様子を見る限り、話したくないというよりは、話すのを躊躇ためらっているだけに見えた。

 じっとその目を見つめていると、シャルは観念したようにふう、と息を吐いた。


「……たまに、ノア君はすごく強引です」

「彼女が強情なものでね」


 シャルが唇を尖らせた。

 それから、両親に向き直る。


「息子さんの彼女というだけなのに、差し出がましい申し出である事は重々承知しているのですが——」


 シャルが深々と頭を下げた。


「——私の報奨金も、カミラさんとマーベリックさんに預かっていただけないでしょうか?」

「……えっ?」


 お義母さんはともかく、お義父さんの呆けた顔は貴重だなぁ。

 ……っていうのは置いておいて、シャルの表情と前口上から結構すごい爆弾だとは思っていたけど、まさか報奨金の管理のお願いとは。

 さすがに予想外だな。


「えっと……どうしてかな?」

「ノア君とお付き合いさせていただく事になった時に少しお話ししたかと思いますが、私と実家の、特に母親との関係は良好とは言えませんので、実家に預かってもらうのは気が進まないのです。かといって年齢的に私自身が二千万円を預ける事はできませんし、一人暮らしの家に置いておくのも不安で……」


 シャルの声は尻すぼみに小さくなっていった。

 実家に預かってもらうのは気が進まないと言っていたが、本心は「実家は信頼できないし、関わりたくない」と言ったところだろう。


 僕たちのような未成年でも口座を作る事は可能だけど、その管理者権限は親に帰属する。

 極端な話、親が勝手に子供の金を使う事だってできるのだ。


 シャルとエリアの話を聞く限り、特に彼女たちの母親——ギアンナは相当な毒親だ。

 シャルは横領される事を恐れているんだろうな。


 そうでなければ、二千万円なんて大金を管理してもらおうなんて言い出すはずがない。

 管理する側——今回でいえば僕の両親——にも多大なる責任を負わせる事くらい、シャルもわかっているはずだから。


「なるほど……」


 お義父さんとお義母さんが顔を見合わせた。

 額も大きすぎるし、即決できる事ではないだろう。


「あ、あの、こんな話、迷惑ですよねっ、やっぱり大丈夫です! 自分で——」

「いや、迷惑だって思っているわけじゃないんだ」


 お義父さんが柔らかい口調でシャルをさえぎった。


「えっ……」

「ただ、この話は私たちが了承すればいいという簡単な話じゃないんだ。関係が良好でないとは言っても、絶縁しているわけではないんだろう?」

「は、はい」

「それならば、この話には君の両親の同意が必要だ。もし了承されたなら、私たちとしては構わないよ。ただ、後々問題にならないように、きっちり契約書は作るけどね」

「はい……」


 自分でも無茶なお願いだとは自覚していたのだろう。

 シャルは現実を受け止めきれていないような、どこか夢見心地な表情だ。


「ごめんね。ご両親の説得はもしかしたら大変かもしれないけど、さすがにその工程を飛ばすわけにはいかないの」

「……あぁ、いえ、こちらこそご迷惑をかけて申し訳ありませんっ」


 シャルがペコペコ頭を下げた。


「いいのよ。ノアがここまで惚れ込んでいるんだもの。もはや、シャーロットちゃんは私たちの娘よ。ねえ、マーベリックさん」

「ははっ、そうだね。私たちの事は本当の親だと思ってくれていいよ」

「はいっ……!」


 感極まってしまったのだろう。

 シャルの瞳には、雫がみるみる溜まっていった。


 悲し涙でない事はわかっていたので、大丈夫か、とは聞かなかった。

 ただ黙って、その華奢な体を抱きしめた。

 両親にも一つ頷いて、大丈夫だと示しておく。


「す、すみませんっ……!」

「何で謝るのさ」


 ゴシゴシと目元をこするシャルの手を掴み、その瞳に語りかける。


「泣きたい時は好きなだけ泣けば良いよ。大丈夫。全部受け止めるから」

「っ……!」


 見開かれた空色の瞳から、ボロボロ雫がこぼれ落ちた。

 空が泣いているみたいだ。


 しゃくり上げながら、胸に顔を埋めてくる。

 後頭部に手を添え、震える背中をゆっくりと撫でた。


 父親からの実質的な絶縁宣言で逆に一段落したとはいえ、全て解決したわけじゃない。

 両親の教育放棄、母親からの虐待、使用人からの罵倒……。

 幼い心に刻まれたそれらの傷が、簡単に癒えるはずがないのだ。


 そんな中で、両親が本当の家族のように受け入れてくれた事が、彼女の心の琴線に響いたんだろう。

 まだ婚約もしていないのに家族扱いは逆にプレッシャーになるんじゃないかとも思うけど、僕がシャルに飽きられなければ問題のない話だ。


 絶対に手放すもんか——。

 そう改めて心に誓い、嗚咽おえつを漏らすシャルの体をぎゅっと抱きしめた。

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