第24話 元カノとの対面

「本日はお世話になりました。お夕飯までいただいてしまって、すみません」


 シャーロットは、見送りに来てくれたカミラに向かって頭を下げた。

 結局、あの後もカミラの誘いを断りきれずに夕飯までご馳走になってしまった。


 ……いや、それは言い訳だろう。

 申し訳ないとは思いつつも、シャーロットはもっとこの家で過ごしたいと思っていた。

 カミラが強引に誘ってくれたのも、シャーロットのそういう心の奥底を見抜いていたからこそなのだろう。


「私、謝ってもらうためにご馳走したわけじゃないんだけどな〜」


 カミラが体をクネクネさせながらうそぶいた。


「……本当に楽しい時間を過ごさせていただきました。ありがとうございました」

「よろしい」


 カミラが満足そうに微笑んだ。


「それでは、失礼します。本当にありがとうございました」

「また、いつでもいらっしゃい。気をつけてねー」


 温かい言葉とともに送り出される。

 外は少しひんやりしていたが、シャーロットは肌寒さを全く感じなかった。

 それはきっと、隣にノアがいるからだろう。


 夜も遅いから、と彼は家まで送ると申し出てくれた。

 片道三十分ほどかかる。

 さすがに遠慮したが、ノアは譲らなかった。


「それくらいはさせてよ。まぁ、万が一の事があったら僕が守ってもらう事になりそうだけど」


 そう言ってノアは苦笑したが、シャーロットとしては、一人の女の子として大切に扱ってもらっている事がわかって嬉しかった。

 それに、暗いところは苦手だ。

 彼と少しでも一緒にいたいという思いを抜きにしても、送ってもらえるのはありがたかった。


 何気ない雑談を交わしながら歩いていると、規則正しく小さく揺れるノアの手に目がいく。

 ……何とかして自然に繋げないものだろうか。


 少し悩んで、シャーロットは一つの案を思いついた。


「街灯があるとはいえ、夜は結構暗いですね」

「そうだね。もうすっかり秋だし……もしかして暗いの苦手?」

「はい……なので、その……て、手を繋いでいただいてもよろしいでしょうかっ」

「もちろん。はい」


 ノアがスッと手を差し出してくる。

 余裕そうな表情が少しだけ悔しかったが、それ以上にスムーズに手を繋げた事が嬉しかった。


 胸がぽかぽかと温かくなり、鼻歌が漏れそうになる。

 だめだ。喜んでいる事がバレて笑われでもしたら、羞恥で死ぬ自信がある。


「この状態を学校の人に見られたら、もう僕らの関係を疑う人はいなくなるだろうね」

「確かにそうですね」


 言葉面では同意しつつ、二人だけの時間が続けばいいな、とシャーロットは思っていた。

 ——人はこれを、フラグと呼ぶのだろう。


「あら、こんなところでお会いするなんて奇遇だね——ノア、シャーロット」

「アローラ……」


 冷ややかな笑みを浮かべながら話しかけてきたのは、ノアの元恋人であるアローラだった。

 よりにもよって、何でこの人と——。




◇ ◇ ◇




 ジェームズとのデートを終えたアローラは、頭を冷やすために散歩していた。

 相変わらず独りよがりに自分を連れ回すだけのジェームズに、アローラの心はかなりささくれ立っていた。


 自分の恋愛がうまくいっていないからだろうか。

 手をつないで仲良く歩いているノアとシャーロットを認識した途端、無性に腹が立った。


「あら、こんなところでお会いするなんて奇遇だね——ノア、シャーロット」


 気がついた時には、二人に話しかけていた。

 今後のためにも、シャーロットの恨みは買わない方が良いのではないか——。

 一瞬浮かんだその思考は、すぐに風に煽られたチリのごとく消えていった。


「アローラ……」


 ノアは意外そうに眉を上げ、シャーロットは反対に眉をひそめた。

 歓迎されていないのは明らかだ。


「デートの帰りに彼女を送り届ける途中、といったところかな?」

「そういう事」

「相変わらずノアは優しいね。けどさぁ、夜の危ない時間帯に自分より弱い奴に同行されるって、シャーロットからしたら小さな親切大きなお世話じゃない?」

「そんな事はありませんし、あり得ません」

「っ……」


 アローラは思わず言葉を詰まらせた。

 それほどまでに、シャーロットの声色は冷え切っていた。


 ……ふん、一丁前に威勢だけは良いみたいね。けど、ここじゃ何もできないでしょ。

 アローラは内心でシャーロットを嘲笑あざわらった。

 自分が無意識のうちに半歩後ずさった事にも気づかずに。


「ノア君は頼もしいですし、彼と過ごす時間は楽しいです。送ってくださる事に感謝こそすれ、迷惑などと思う事はありません」

「はっ、ノアが頼もしい? 笑わせないでよ。Eランクの雑魚のどこが頼もしいっていうの? 実際に襲われでもしたら、ただの足手まといにしか——」


 アローラは最後まで言い切る事ができなかった。


「ずいぶんと好き勝手言ってくれますね……」


 シャーロットは薄く笑っていた。

 それが、かえって恐ろしかった。

 アローラはすっかり気圧されてしまっていた。


「シャル」


 ノアが柔らかい声でシャーロットの名を呼び、その頭に手を置いた。

 途端に、アローラを襲っていたプレッシャーが消える。

 アローラはホッと息を吐いてしまった。


「大丈夫だから。そんなに熱くならないで」

「ですがっ!」

「僕は全然気にしてないから。ね? それに、有事の際に足手まといだっていうのは事実だからさ。その時は頼むよ」


 ノアが軽やかに笑って、シャーロットの頭を優しく撫でた。

 彼女は不満そうに口を尖らせつつも、頬を染めてされるがままになっていた。


 自分をダシにしてイチャつき始めた二人に、アローラの怒りは際限なく膨張していった。


「はっ、仲の良さを見せつけたいのかもしれないけどさ、ノア。私はあんたが可哀想でならないよ」

「はっ?」


 ノアが眉を寄せた。

 意味がわからないのだろう。


「知ってる? シャーロットってね、次期当主の座を妹に奪われた挙句、実家から干されているのよ。ハイスペックなジェームズじゃなくてあんたを選んだのは、つまりそういう事。シャーロットはあんたを勝手の良いスペアくらいにしか思っていないの」

「おい、その言い方はシャルに失礼——」

「ノア君はスペアなんかじゃありませんっ!」


 ノアの苦言をシャーロットが遮った。


「ノア君は格好良くて可愛くて、頼りがいがあって包容力があって、誠実でまっすぐな人です。私の中で、彼以上の人はいません!」


 ……あぁ、なるほど。

 顔を赤くさせながら叫ぶシャーロットを見て、アローラは確信した。

 もはや誰の目から見ても明らかだろうが、シャーロットはノアの事が男として好きなのだ。


 以前、ジェームズはノアとシャーロットの関係を利害の一致した偽りの恋仲ではないかと推測していた。

 アローラも同感だった。

 ノアが振られてすぐに別の女と付き合うとは思えなかったからだ。


 しかし、今となっては真偽などどうでもいい。

 シャーロットが本気でノアの事を好いているのなら、付け入る隙はある。


 ノアを侮辱しすぎるとシャーロットがところ構わず暴れる可能性があるし、ノア本人へのダメージがそこまで大きくない事は見てとれた。

 ——ならば、シャーロットをターゲットにすればいい。


「なるほど……シャーロットがノアの事を好きっていうのはわかったよ」


 皮肉げに笑って見せて、アローラは続けた。


「振られて傷ついていたノアの心の隙にうまくつけ込んだね、シャーロット」

「っ——!」


 シャーロットが目を見開いた。

 彼女がアローラの前で動揺を見せた、最初の瞬間だった。


(やっぱり、こいつ自身も気にしていたのね)


 突破口が見つかり、アローラはほくそ笑んだ。

 このまま、こいつらの関係を終わらせてやる。


「相手の弱点に付け入るのは貴族の常套じょうとう手段だもんね。さすがは腐ってもテイラー家の人間ってところかな」

「……何が言いたいのですか」

「そんなに言って欲しいなら単刀直入に言ってあげようか——ノアにとって、シャーロットは特別な存在でも何でもないんだよ」

「っ……!」


 シャーロットが絶句した。その拳は硬く握りしめられている。

 反論してこない事こそ、彼女もそれを自覚していたという何よりの証拠だ。


 アローラは楽しくて仕方がなかった。

 私にかかれば、こいつらの仲を引き裂く事くらいわけないのよ——。

 動揺を隠せないシャーロットに、追い打ちをかける。


「確かにノアはあんたを大切に思っているみたいだけど、それは恩を感じているからよ。あんたが今の地位にいられるのは、あくまでノアの心の空白を埋めた報酬みたいなもの。ノアがあんたの魅力に惹かれたわけじゃない。感じているでしょ? 自分とノアの気持ちの温度差を」


 シャーロットが瞳を見開き、唇を噛んだ。

 図星だったようだ。


 ただの当てずっぽうではない。

 ノアとそれなりの期間付き合っていたアローラは、彼のシャーロットに向けた感情が恋情ではない事に気づいていた。


 今後、恋情になる可能性は大いにあるだろう。

 というより、そういう側面が全くないわけではあるまい。


 しかし、重要なのは今どうか、だ。

 好きな相手に恋愛対象として見られていないというのは、とても苦しいものだ。

 シャーロットも例外ではなかったようだ。


 彼女はそろそろとノアに目を向けた。

 すがり付くようでもあり、怯えているようでもあった。


 ノアは真っ直ぐシャーロットの瞳を見つめて、口元を緩めた。


「ごめんね、シャル」


 ——僕の気持ち、ちゃんと伝えてあげられてなくて。


 シャーロットの顔が絶望に染まった。

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