第22話 シャーロットのお家訪問

 約束の十分前に集合場所に到着すると、すでにシャルの姿があった。

 声をかける前に気付いたようで、手を振ってくる。


「こんにちは、シャル。待たせちゃったかな」

「こんにちは、ノア君。私が早く着きすぎただけなので、お気になさらず」


 そう言って微笑むシャルの右手には、四角い箱がぶら下がっていた。

 有名なケーキ屋さんのものだ。

 お詫びの品だろうから、触れないでおこう。


「今日は一段とオシャレだね、シャル」


 これまでにも外行きの服装は見た事があったが、今日はよりフォーマルな格好だ。


「謝罪に伺うのにラフなものは良くないと思いまして……へ、変でしたか?」

「全く。めちゃくちゃ似合ってて綺麗だよ」

「そ、そうですか。ありがとうございます」


 シャルが頬を染めてはにかんだ。


「じゃあ、行こうか。こっちだよ」

「はい」


 並んで歩き出す。

 集合場所だった広大な公園を突っ切れば、家までは五分ほどだ。


「そうだ、シャル。先に謝っておくよ」

「何がですか?」

「ウチのお義母さん、結構なハイテンションだから相手するの疲れると思う」

「にぎやかな方なのですね」

「まあ……ね」


 果たして、あれをにぎやかですましても良いものなのだろうか。




「あら〜、あなたがシャーロットちゃん? 可愛らしいわねぇ。初めまして、ノアの母のカミラです。気軽にカミラって呼んでね? ささっ、入って入って」

「は、はい」


 予想通り、カミラ——お義母さんの歓待っぷりは凄まじかった。

 すっかり気圧されてしまったシャルは、言われるがままに足を踏み入れている。


「こっちがリビングよ。我が家のようにくつろいじゃってねー」

「は、はあ……あ、あのっ!」


 勧められるままソファーに座ろうとしたところで、シャルはやっと本来の目的を思い出したようだ。


「何? シャーロットちゃん」

「その、先日はご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。私のせいでノア君が門限に間に合わず、お母様方にもご心配をおかけしてしまいました。これはほんの気持ちですが」


 シャルがおずおずと箱を差し出した。


「あらっ! これ、すごい有名なお店のやつじゃない? 悪いわよ〜」


 言葉では断りつつも、お義母さんの口元は緩んでいた。


「いえ、私がご迷惑をおかけしたのは事実ですから」

「あら、本当? じゃあ、ありがたくいただくわね!」


 お義母さんが満面の笑みで箱を受け取った。

 今にも踊り出しそうだ。


「あっ、そうだ。せっかくなら一緒に食べましょうっ」

「えっ?」

「飲み物を用意するから、シャーロットちゃんはノアの隣で待っててちょうだい」

「はあ……」


 シャーロットが困惑した表情を浮かべつつ、僕の隣にやってくる。


「ごめん、色々付き合わせちゃって。時間は大丈夫?」

「はい。今日はエリアも来ないですし……ノア君のおっしゃった通り、陽気な方ですね」

「ごめんね、強引で。嫌じゃなかった?」

「いえ、大丈夫です。びっくりはしましたけど」

「なら良かったけど……嫌だったら言ってね」

「はい、お気遣いありがとうございます」

「うん」


 僕は立ち上がった。

 そろそろ準備ができる頃だろう。


「あっ、私も——」

「シャルは座ってて。お客さんなんだから」


 立ち上がろうとするシャルを制して台所へ向かう。

 予想通り、飲み物とケーキの用意ができたところだった。


「お義母さん、運んじゃうよ」

「えぇ、ありがとう」


 チョコレートケーキ、果物のタルト、チーズケーキ。

 どれも美味しそうだ。


「ねえ、シャーロットちゃんはどれがいい?」


 お義母さんがニコニコ笑いながらシャルに尋ねた。

 すっかり彼女の事を気に入ってしまったようだ。


「私はどれでも構いません。お二人からお選びください」

「えー、そんなこと言われても迷っちゃうわー。ノアは?」

「僕はチョコケーキにしようかな」


 申し訳ない気はするが、一番最初に選ばせてもらう。

 お義母さんに任せると日が暮れそうだし、お詫びの品だからシャルは自分では選びづらいだろう。


「お義母さん。果物のタルトにしたら? ぶどうもあるし」


 以前、シャルがチーズケーキを好きだと話していたので、さりげなく別の方をお義母さんに勧める。

 彼女はぶどうが好きだ。


「そうね。そうしましょう」


 僕の意図が伝わった——のかはわからないが、お義母さんが首を縦に振ったため、無事に全員の手にケーキが行き渡った。




「なんか、本当にごめん」


 僕はベッドにちょこんと腰掛けているシャルに頭を下げた。

 ケーキを食べ終わると、「二人でゆっくりしたいだろうから」と余計な気遣いをしたお義母さんにより、僕の自室に押し込められたのだ。

 いや、物理的に強制されたわけじゃないけど。


「全然気にしないでください。どうせ家に帰っても一人で暇なので、カミラさんやノアさんと過ごせてむしろラッキーです」


 シャルが微笑んだ。


「ならよかったけど……」


 確かに、お義母さんと話しているシャルは楽しそうだった。

 事情持ちの子だから深いところは聞かないでくれ、とお義母さんに釘を刺しておいてよかった。


「なかなか大変だったでしょ、お義母さんの話し相手は」

「まぁ、そうですね。けど、新鮮で楽しかったです。あんなお母様なら、毎日にぎやかに過ごせますね」

「まぁ、確かに退屈はしないけどね」


 僕は苦笑した。


「いいなぁ……」


 それは、誰に聞かせたというより、思わず漏れてしまった様子だった。

 シャルは驚いたように自分の口を塞いでいた。


「あ、あの、今のは気にしないで——ひゃっ⁉︎」


 シャルがびっくりしたような声を出した。

 僕が頭に手を置いたからだろう。


「だめだよ、我慢しちゃ。一回一回は耐えられても、そういうのが積み重なって大きな傷になるんだから」

「……はい」


 シャルが目を逸らして頷いた。


「それでは少しだけ……甘えてもいいですか?」

「もちろん」


 シャルが体を預けてくる。

 倒れてしまわないようにそっと抱きしめ、頭を撫でた。

 シャルは気持ちよさそうに目を閉じていた。


「ノア君に頭を撫でられるの、好きです……」

「っ——!」


 本当に、この子は……。

 頬が熱を持つのがわかる。

 シャルが目を瞑っていて良かった。


 十分ほど経つと、シャルは体を起こした。


「ん、もういいの?」

「はい。すごくスッキリしました。ありがとうございます」

「これくらいならいつでもいいよ」

「……何だか私ばかり甘えている気がします。ノア君も辛い時はちゃんと甘えてくださいね? いつでも胸を貸しますから」

「うん、そうさせてもらうよ」

「よろしい」


 シャルが腰に手を当て、満足そうに頷いた。

 おかんか。


「さて、元気になったところで、始めましょうか」

「えっ、何を?」

「私たちでやる事など決まっているでしょう。これですよ」


 ババーンという効果音がふさわしい勢いで、シャルが本を突きつけてくる。

 金曜日に買いに行った林博嗣の新刊だった。

 若干シャルのテンションがおかしい気もするが、元気になったのなら良しとしよう。


「もう読み終わった?」

「当然です。昨日の夜、一気読みしましたよ。ノア君も読み終わったでしょう?」

「もち。一番好きなシーンはね——」

「あっ、待ってください。同時に言いましょう。ノア君となら被る気がします」

「確かに。じゃ、行くよ。せーのっ」

「「最初」」


 見事にハモった。

 イエーイ、とハイタッチを交わす。


「やっぱりあそこだよね。最初はただ告白シーンかと思ったのに」

「真実を知った時は鳥肌が立ちました」

「間違いない」


 それからも、あのシーンが良かった、このシーンはこう思う、と話は止まらなかった。




 途中、シャルがお手洗いに立った。


「っはあ〜……」


 一人になった途端、疲労感がこみ上げてきた。

 まぶたが重くなる。

 自室にシャルがいるという事で、自分でも気づかないうちに気を張っていたのだろう。


 シャルが帰ってくるまで、少しだけ休もう——。

 僕はベッドに腰掛けて目を閉じた。

 その瞬間、意識が遠のいた。

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