第36話 あいつの抜け殻に、祝福のキスを。


 覚悟を決めて、穢気核に口づけをする。


 すぐに白い光が辺りを覆う。今だからこそわかるが、小陽核が変形して穢気核を包んでいるのが身体感覚のように伝わってくる。


 しかし、他の聖女も祝福で穢気核を浄化するときに唇を使うし、何故自分だけが別の効果なのだろうか。まあ、今考えても仕方ない。


 少しずつ、穢気核が形を変えていく。

 洗礼が成功すると確信したからこそ、少し不安になってきた。本当にルースの生まれ変わりを誕生させていいのだろうか?


 というか、ルースがそのまま生まれ出てきたら……終わる。やばい、放り出したい。


 そうこうしているうちに、ほぼ人型に変形した相手に、唇を合わせながらそっと腰を支えられ、頬に手を支えられているような体勢になっていた。


「うぉっ!」


 素早く飛び退いて唇を離したが、柔らかさは感じてしまった。


 これで平然とルースがそのままの男が立っていたらどうする!?


 俺は恐る恐る目を開けた。


 目の前に立っていた女性はルースとは似ても似つかない見た目だった。まずは少し安心した。

 それでもまだ油断はできない。


「ごきげんよう、我が君。私は暗黒騎士、アシュリー・ロード。この命、今この瞬間より貴女の為に」


 凛々しい声でアシュリーと名乗った魔物娘は、腰まである長い黒髪に、深く濃い赤色の瞳をしている。身体のラインがわかるようなぴっちりとした黒い鎧を身に着けていて、背中に自分の背丈ほどもある大剣を背負っている。


 黒い騎士になったルースの穢気核から生まれたから、暗黒騎士とかいう魔物? なのだろうか。


「アシュリー、よろしくね。えーと、念のためだけど」


 本当に念のためだ。

 というのも、ララやミューカと同じように、アシュリーに対しても生まれ出でた瞬間に嫌悪感は全く感じていなかった。むしろ大切に思うべき相手だと本能が告げているの。


「ルースとは別人、なんだよね?」

「ああ。ルース・フォードの記憶は保持しているが、私は彼と別人だ。あなたに害をなすつもりはない」

「脚を切り落としたいと思ったりはしないよね?」

「我が君のその美しいおみ足を切断するなどと! それならばアライアン王宮を真っ二つにした方がまだマシというもの! まったく、人間というのはその美脚の価値を全くわかっていない!」

「あ、そう、安心したけど、あんま見ないように……」


 息を荒げてやたらとスリットから見える脚を凝視されたので、身の危険を感じて思わず脚を隠した。


「聞きたいことは山々だけど、一度ここを離れよう。それでいいですか? フィーナさん」

「ええ。拾ってもらった命です。私はメイティアについて行きます」


 傭兵たちが派手に魔法を放ったこともあるし、軍隊同士が戦ったかのような傷跡を大地に残してしまった。騒ぎを聞きつけて王国軍が出てくるのは時間の問題だろう。


 マイシェラはミューカに連れてきてもらうとして、もう一人の聖女をどうするか……


「リナさん、だっけ。一緒に来たければ、ついて来ますか?」


 リナの聖女服はぼろぼろになってしまっている。膝をついているリナに近づき、一応そう尋ねてみた。


「私が? どうして? 何が……何だかわかんないわよ。ルース様はどうして女の人になったの?」

「ルースは自ら薬を使って魔物になったんです。詳しくはアシュリーが全て知っているはず。話だけでも聞いていきますか?」

「で、でも、あんた達と一緒になんて、行ったら私、もう……」


 リナは怯えた目でララを見た。よっぽど手ひどくやられたのだろう。

 確かに、リナが一度自分たちについて来たら最後、有益な情報を持ち帰ったとしても上手く立ち回らないと、教会からは異端扱いされかねない。

 少しでも怪しいところがあれば、フィーナと同じように北へ送られることになるだろう。


「そうですね。知らない方が幸せなこともあります。ですがもし、私たちの前に再び立ちふさがる時があれば、その時は……同情します」

「主様はお優しいですね。目撃者は殺した方が安全なのに」


「ひっ……」


 リナは再び表情を強張らせた。もはや元の勝気な表情は浮かべられなさそうだ。何だか可哀想になってきた。


「駄目だよララ。一応、自分も人間だからね」


 それに、フィーナも怒りそうだし。いや、そうでもないか。きっと丘の上にいた傭兵たちはみんな……生きてはいないだろう。フィーナなりに覚悟を決めて、馬車から飛び出してきたのかもしれない。


「それじゃあ、帰りましょうか」


 呆然とするリナを一人置いて、俺たちはようやく、その戦場を後にした。




 それから一番近い街に待機させていた馬車に乗り込み、俺たちは再び穢気領域のある東へと向かった。


 予想外に三人増えたことで、全員は載せられないと言われた為、ララとアシュリーは別で帰ることになった。

 触手で跳躍するララのすぐそばを、自らの脚で跳んでついて行ったアシュリーの様子を見るに、二人の心配はいらないだろう。


 馬車に揺られながら、俺たちはまず、マイシェラの話を聞くことにした。


 ミューカが寄生の支配を解除すると、マイシェラは呆然としていた顔にようやく表情を取り戻した。寄生されていた間の記憶はあるらしいが、不本意に身体を動かされてかなり疲れた様子だ。


「マイシェラ、無理やり連れてきてごめんなさい。あなたの表情が少し気になって、話が聞きたかったんです」

「え、ええ。私も話をしたかった。メイティアさん、あなたのことは……時折夢に出てきます。悲しい夢です」

「聞かせてくれますか? その夢のこと」

「夢の中では……ララさんとメイティアさんが楽し気に話しています。それを少し遠くから私が眺めていて、私も足を踏み出して混ざろうとするんです。でも、近づいた途端、私は足を踏み外して暗闇に落ちてしまう。倒れてる私を高いところから、二人が見下ろして笑うんです」

「そんな……」


 マイカは、俺たちが異端だと教会から聞かされた。それを信じて、俺たちに騙されたと思っていたのだろうか。


「そうしたら教会の人に取り囲まれて、足元が燃えて、熱くて、痛くて苦しい中、自分が消えていくのを感じるんです」

「そう、ですか……それはきっと、マイシェラの生贄になった子の、記憶の断片です……」


 マイカは生贄になったのだから、実際に火刑になったわけではないが、それほど苦しんだということだろう。


「ええ、そうだと思います。そして、最後に残るのは……その……」


 マイシェラは口ごもる。


「大丈夫ですよ。ゆっくり話して」

「すみません。最後に、残るのは……憎しみです。裏切ったメイティアさんと、世界全てに対しての……強い憎悪。その強い感情に恐怖を感じて、私はいつも目を覚ますんです」

「マイカ……」


 マイシェラが感じる、マイカの記憶の断片は、辛い死に際の大きな感情だった。あの子は何も悪いことをしていないというのに。どうしてこんな目に合わせてしまったのだろうか。


「私……怖いんです。自分も、あなたも。憎しみを持つべきではないと聖女教会は説いているのに。自分の中にあるかもしれない、マイカの感情が怖い……」


 マイシェラは自分の両肩を抱くようにして、凍えるように震えた。

 隣に座っていたフィーナが、なだめるように背中を撫でた。


「マイシェラさん、大丈夫ですよ。記憶の断片の、その鮮烈なイメージは時とともに薄らいでいきます。死を悼む気持ちを、時が癒すように。でも決して……忘れてはならないものです。大切にして、共に苦しみましょう?」


 共に苦しみましょう、とはね。生贄のことを胸に思ってずっと戦ってきたフィーナだからこそ言える台詞だろう。


「もし、一緒に来てくれるなら、マイカに何が起きてしまったのか話すことができると思います。アシュリーも詳しく知っているはずだから。でも、リナにも言ったように、ついてくるのはそれ自体危険なことです。だから、もし教会に戻るつもりなら、今すぐ馬車から降りてもいいです。どうしますか……?」


 マイカの記憶がフラッシュバックすることがあるとしたって、マイシェラはマイシェラだ。最後は自分で決めて貰わなくては。


「私……知りたいです。マイカさんのことを」


 マイシェラは真っ直ぐこちらを見て、そう言った。


 そうして、マイシェラも一度、エステラの館まで一緒に来て貰うことになった。そこでアシュリーから話を聞けば、マイカに何があったのかも詳しくわかるだろう。


 馬車はおそらくリリーとキルトが幸せに過ごしているであろう北東の街、ラウルスに着き、代金を支払ってみんなで徒歩に切り替えた。


 そこから全員がフード付きのマントに身を包んで冒険者の一団を装い、東部外壁長城の門をくぐり、穢気領域へと侵入した。


 旅の仲間は全員が聖女か魔物娘だ。穢気の影響を受けるものはない。

 ララに運んでもらった前回と違い、帰還不能線から先を自分の足で歩くと、想像以上に距離があり、時間がかかってしまった。


「大丈夫ですか? メイティア……」

「ぜんっぜん……大丈夫ですけどねぇ……」


 なぜだか一人だけぜぇぜぇと息を切らしている。ミューカはまだしも、フィーナとマイシェラはなぜ平気なんだろうか。


 足が棒になるほど疲れたが、最後にはなんとか無事、屋敷へとたどり着いた。

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