第21話

「よくもまあ、失礼な質問がポンポンと出来るものだね」

「私と先生の仲じゃないですかぁ」

 比呂が親しげに微笑んだ。

 どんな仲だ。……久門は突っ込みながら別の言葉をはいた。

「君は僕の小説を読んでいる?」

「〝矢梅真理の事件簿〟シリーズは全部読んでますよ。映画も見てます。この前の難しいのはちょっと……」

 得意げな表情が苦笑で覆われた。

「……あ、買ったのですよ。三十ページくらいのところでちょっと……」

 彼女が笑ったのは最新作の〝腐った権力者〟のことだった。


 矢梅真理の事件簿は久門のデビュー作で映画化されていた。それがヒットし、続編の五作も映像化された。そんな経験の中でヒットを生み出すコツを見つけた。初めにプロットを作るのだが、それは一般的に言われるような物語の起承転結ではない。優先するのは読者の感情の動きだ。音楽ならといわれるものがある。C‐G‐Am‐Em‐F‐C‐F‐Gといった和音の組み合わせが人の心を揺さぶるようで、多くのヒット曲に利用されている。漫画なら〝友情-努力-勝利〟という週刊漫画誌のモットー、デザインなら美しいと感じるが有名だ。

 物語も同じだ。プロットを作る際には、まず、読者の感情の流れを設定し、それに最適なイベントを創作するのだ。そうした手法は読者の心を弄んでいるといえるかもしれない。あるべき未来を示すのではなく、大衆の感情に迎合し、あおり、票を獲得するポピュリストの政治家と同じだ。そうした作品作りをしていたから、ポピュリストに嫌悪を覚えるのかもしれないし、そうした手法でつくられた作品が文学か、と問われたら否定せざるを得ない。残念なことに、自分の主張や思想、感性といったものは実に平凡でつまらないものだ。

 久門は自覚していた。読者に迎合した文字の塊は、芸術からもエンターテインメントからも遠いところにあるといえる。

 しかし、比呂が難しいと表現した〝腐った権力者〟は、読者を無視し、つまらない自分自身を素直に表現した作品だった。小説のモデルは世界各地に誕生している極右政権だ。そうした、政治を腐敗させたポピュリストの首相とその取り巻きを暗殺するという、政治色の強い小説だった。

 企画段階では、自分自身の指向をむき出しにする毒舌の評論家やコメディアンにも見える政治家に一定の支持と人気がある時代、〝腐った権力者〟は受け入れられないだろう、と編集者は良い顔をしなかった。

 ところが、出版されると予想外に売れた。作品に反発する読者、いや、読まずに批判する保守主義者がとても多く、SNSが炎上して宣伝になったからだ。結果、真面目な保守主義者が久門を批判するために本を買った。

「それは、どうもありがとう。君も知っているだろう。僕はSNSやバラエティー番組で叩かれている。……〝腐った権力者〟を書いてから、世間の非難の的なんだ。熱狂的な首相支持者から、殺すぞとか、死ね、といった脅迫まがいのメールや手紙が毎日二十は来る。妻にまで批判の矛先が向いて実家に隠れているよ」

「あら、それは大変ですね」

「僕は、自分と家族を守るためには無理をしないわけにはいかなくなった。……おかげで本は売れていると、出版社は喜んでいるけどね。悪名は無名に勝るとは、よく言ったものだ」

 脅迫メールが来るのは事実だったが、そのために妻が実家に戻ったというのは噓だった。彼女は「身を守るために姿を隠すわ」と言って方々の観光地を遊び歩いている。時には若い恋人を連れて……。その部分は、比呂の推理は的を射ていた。

「ご家族まで脅かすなんて、ひどい人がいるものですね。そうすると、悩みは脅迫の方ですか?」

「それも少し違うかな。問題は僕自身の中にあるのさ」

 彼女と議論を続けても、なんの解決にもならない。そう考えて窓の外に目をやった。テレビ局の電波塔に明かりが入っていた。変哲のない鉄塔が、希望のない人々を夢に導く光の矢印に変わっている。とても無責任だ。

 彼女は言葉を探したのだろう。ふた呼吸ほど、黙ったままそこにいた。

「陽の沈むのが早くなりましたね」

 気の利いた話題が見つからなかったのか、たわいもない言葉を残して出入り口の方へ去った。

 一人二人、客がやってきていた。

 あの女性はこないのだろうか?……久門は、昨日、一昨日と、シャンパーニュで見かけたエキゾチックな美女を思い出していた。そこはかとない影のある女性だった。彼女と話したら、何らかのインスピレーションが得られるような予感がした。そうすれば湿りがちな筆が進むような気がした。しかし、自意識過剰なのかもしれないが、中途半端に有名人になってから、理由もなく女性に声をかけるのは難しくなっていた。


 その日のオムライスはトリュフの香りがする上品なものだった。同じオムライスを頼んでも、シェフは、その都度レシピを微妙に変えていた。それで食べ飽きることがなく、毎日のようにオムライスを注文することができた。

 食事の最中も、あの女性が来ないものかと入り口に気を配っていたが、彼女は現れなかった。もうチェックアウトしたのだろう。そう考えると、大きなチャンスを逃したことに小さな後悔を覚えた。

 オムライスを食べ終えたあとは濃いコーヒーを飲んだ。普段ならそれで引き上げるのだが、落陽が作る毒々しい紅色の空を見た途端、席をたてなくなった。

 ――空が僕を呪っている――

 頭に浮かんだのは、そんな言葉とエキゾチックな女性の顔だった。

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