家を守る(『ハシボソガラス』より)

佐藤宇佳子

第1話

 祐介が高校二年の冬に父が死んだ。もとから病弱なたちの人だった。晩秋の急激な冷え込みに体調を崩し、いつものように風邪をこじらせたのだろうと本人も家族も軽く考えているうちにみるみる弱り、切り花がしおれていくように静かに旅立ってしまった。まだ四十代になったばかりの若さだった。


 通夜に父の二人の弟がやって来て、棺のまえで酒を酌み交わした。祐介は高原を連れて臨席し、高原はときおり涙ぐむ彩を慰めていた。恰幅のよい下ん弟が高原を見て目を細める。


「おお、ゆう、おまええらい別嬪さんを連れちょるやねえか」


 祐介が鷹揚に答える。


「おいちゃん、こっちは俺ん彼女で、高原容子っち言います。同級生で同じ弓道部に入っちょるん」


 高原がふたりに向かって頭を下げると、背の高い上ん弟が赤らんだ目じりを下げながら言う。


「同級生か。いいのう、今が一番楽しいときじゃ。――父さんにも、紹介しちょったんか?」

「うん。もう何回か一緒に家で飯も食ったし、病院に見舞いにもつれて行っとった」


 上ん弟はそうかとうなずきながら、


「兄やんが千代子姉を連れてきたときんことを思い出すのう。千代子姉も別嬪さんやったもんな」


 下ん兄が声をあげる。


「なん言うか、千代子姉は今だって別嬪さんよ」


 祐介の母が疲れた顔を少しだけ緩めてビールを注ぐ。


「変なこと、言わんの。容子さんのほうがずっと美人やわ。美人で頭も良くって、祐介には釣り合わんくらいよ」


 高原が顔を赤くしながら口をはさむ。


「お父さんがお母さんを初めて家族に紹介したのって、いつなんですか?」


 上ん弟と下ん弟がふたりそろって祐介の母の顔を見た。見つめたまま下ん弟が口を開く。


「上ん兄やんが高校一年のときじゃったかの? 千代子さんは同級生で、別のクラスじゃったな?」


 祐介の母が笑いながらうなずく。彩が赤い目を上げ、ぼんやりと母を見る。


「そうじゃったわ。入学して、園芸部でお父さんと出会ったんよ。すぐに意気投合して、お付き合いを始めたん」


 上ん弟が千代子を見つめながらしみじみと言う。


「千代子さんは強かったけんなあ。兄やんは体も気も弱かった。じゃけど、一度だけ、兄やんとおやじが猛喧嘩になったことがあったのう。医者にはならん。病院は継がん、っち怒鳴った。たまげたわ。親父がかんかんになって怒って兄やんを罵倒し続けたけど、兄やんはもう青ざめた顔をして黙ってしまっての。ほんとき、千代子さんが兄やんの代わりにものすごい剣幕で言い返したんよ」


 そげん言っとりゃせんよと母が苦笑するが、どしてどして、と上の弟も加勢する。高原が聞いた。


「祐介くんのおじいさんはお医者さんだったんですか?」


 下ん弟がうなずく。


「そうや、もう、死んだけどな。﨑里ん家は、代々医者やったん。長男やけん、上ん兄やんが医者になって病院と家を継ぐはずやったんよ。頭ん『でき』も、俺らふたりよりはるかに良かったけんの。でも兄やんは拒絶した。おやじはもう大激怒よ。我儘もたいがいにせえ、あとを継がんのなら、おまえなんか勘当じゃ、っちな」


 上ん弟が言葉を引き継ぐ。


「でも、兄やんは自分の意見を貫いた。文進して、公務員になってしもうた。理系に進まんかったんは、千代子姉と一緒におりたかったけえかのう?」


 祐介の母はあいまいに笑った。祐介が代わりに口を開いた。


「おいちゃん、俺は父さんとは違うで。俺は医者になる。医者になって、きちんと家を継ぐつもりやけん。じいちゃんとも約束したけんの」


「頼もしいのう、ゆうは、上ん兄やんよりおやじにそっくりじゃ。病院が残とっとりゃ、ゆうに院長先生になってもらえたにいのう」

「ほんとじゃ」


 弟たちはそう言って笑い、祐介の母は眉を寄せた。高原はみんなの顔を順に眺める。祐介の父の二人の弟はそれぞれ市内で工務店と飲食店を営んでいた。ふたりとも結婚していたが、上ん弟夫婦には子供ができぬまま離婚し、下ん弟夫婦にはようやく初めての子供が生まれたところだった。ひょうひょうとした上ん弟は祐介の父親とどこか似ていた。丸顔に笑みを絶やさない下ん弟には祐介の明るさに通ずる雰囲気があった。まばらに訪れる弔問客の応対に加え、高原にもあれこれ気を遣っていた祐介だが、ふと気づくと遠い目をしてあらぬ方を見つめている。祐介の母は腰を下ろしたかと思うとまた立ち上がり、酒や料理や小皿や布巾を取りに行く。ハンカチをずっと握り締めていた彩が鼻をすすった。



 日付が変わったころに下ん弟が自宅に戻ることになった。タクシーで帰るので、高原を送っていこうかと声をかけたが、高原の泊っていくからという答えに目を見開き、まぶしそうに笑った。


「そうか。じゃあ、千代子さん、すまんけど、あと、よろしく頼んます。明日、出棺の前には、うちのんも連れて来るけんな」


 上ん弟と祐介の母がうなずく。タクシーのテールランプはすぐに闇の中に消えていった。



 寝ずの番は交代ですることになり、上ん弟が祐介の母をいたわって追い払うように休ませた。彩にも、お母さんが無理せんように見ちょれと声をかけて寝室に行かせた。ふたりが出て行ったあと、祐介が上ん弟に言う。


「おいちゃん、相当飲みよったけん、もう眠かろう? 俺が見ちょくけん、おいちゃんももう寝たらいいで。隣の和室に布団、準備しちょるけん。ここは線香を絶やさんかったらいいんやろ?」


 赤ら顔の上ん弟は、それでもしっかりとした口調で返す。


「おう。まあ、もうちょい俺もおるわ。それともなんじゃ、俺がおらん方が、容子ちゃんとふたりっきりになれるけん、いいか?」


 祐介が顔をしかめる。


「そんなことはねえ。容子、おまえも、別に付き合わんでいいよ。俺ん部屋で寝てきたらいいで」

「ぜんぜん眠くないけん、ここにおる。祐介くんこそ、休んできたら? 明日の葬儀、お母さんを手伝わんといけんやろ? 少しでも休んどった方がいいよ」

「祐介、容子ちゃんの言うとおりじゃ。おまえ、ひでえ顔色じゃ。少し寝てき」


 祐介がぼんやりと笑った。


「おいちゃん、容子、ありがとうな。じゃあ、一時間くらい、休ませてもらいます」

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