酒場の情報収集

 リディアはブライスガウ家の令嬢である。


 毎日使用人に着替えを手伝ってもらい、食事は何も言わずとも一流のものが用意され、舞踏会や晩餐会が人々との交流の場所だった。周りには豪華なドレスを纏った、自分と同じ上流階級に属する人間しかいない世界で今まで生きてきたから、それ以外の世界なんて知らないし、知る事もないだろうと思って生きてきた。


 しかし今、リディアは町の小汚い酒場で、一般庶民(しかも初対面の他人!)と同じテ-ブルに座り、同じ食事を食べている。

 テ-ブルに置かれているのは焼き上げられた肉の塊に山盛りのマッシュポテト、黒パンとビ-ルがなみなみと入った大きなジョッキだけ。「彩り」や「栄養バランス」という言葉はどこかにおいてきてしまったかというような卓上の有様だ。テーブルにこびりついた汚れを見つけ、思わずリディアはあった置いてあった布で汚れを拭き取った。


「さぁ、たくさん食べな」


 タリヤが善意でリディアに声をかけてくれたが、リディアは苦笑いする他なかった。テ-ブルの上にはスプーンと二又のフォーク、そしてナイフが雑多に置いてあるだけで、いつものようにカトラリーが順番通りに並べられているわけではない。どれから使って食事をすればいいのかとリディアは本気でわからなかった。


「お前、食欲ないの?」


 クルトが二又のフォークでステ-キを突き刺し、そのまま口に放り込んだ。リディアはその様子を見て、思わず目を丸くする。生粋のお嬢様には少々衝撃的なテーブルマナーだ。


「いいえ、お腹は空いているわ。ただ、使うべきカトラリーがどれなのかわからなかっただけ」


 リディアはぎこちなく二又フォークを手に取り、おそるおそるステーキに突き刺した。隣においてあったナイフを手に取り、肉を薄くスライスする。いつもと勝手が違うのでやりにくい事この上なかった。


「そんなだりぃことしなくても、刺してそのまま口にいれちゃえばいいんだって。種類なんて関係ねぇよ」

「いいえ、それはレディとして品がないから却下よ。こんなところだからこそ、せめてマナーくらいはきちんとしたいの」

「はい、はい。こんなところですみませんでしたね」


 リディアの言葉を受けてクルトは皮肉めいた口調で言い、わざとらしく、肉を手でつかんで乱暴にかぶりついた。

 リディアは失言したことに気づいてバツの悪い表情をしながらも、なんと返せばいいかわからずにそのままスライスした肉を口に運ぶ。


「まぁ……味は悪くないようね」


 ミディアムレアに焼かれた肉は口の中に肉汁がじゅわりと広がり、なかなかに美味だった。正直、今まで食べたステーキの中でもなかなか上位に入るほどの美味しさだ。空腹だったのも手伝って夢中になって食べていると、その様子を見てタリヤがビールジョッキを片手に笑っていた。


「お嬢さんの口に合ってるんなら、ここの料理もなかなかのもんってことかね」


 酒場はなかなかの賑わいだった。

 店内のテーブルは全て埋まっており、男たちが顔を真っ赤にして酒を飲んで笑っている。中には陽気に歌を歌っている連中もいて、ずいぶんと騒がしい。

 胸元を強調したドレスを身に着けたウェイトレスが人ごみの中を素早く動き回り、料理をサ-ブしたり、空になったジョッキを片付けて回っていた。リディアにとってこんな光景を見るのは初めてなので、行儀が悪いと知りつつも思わずきょろきょろとあたりを見渡してしまう。


「珍しいかい?」

「えぇ、今までこういった酒場には来たことがなかったもの」

「あんた本当に貴族のお嬢様なんだねぇ」

「信用してなかったの?私は正真正銘、ブライスガウ家の娘よ」

「普通なら誰も信じないだろうさ。あの辺境伯領を治める貴族様の娘と森の中でばったり会うなんて誰が信じるんだ。ところで、明日あんたはお家に帰るつもりでいるようだけど、本当に帰るのかい?噂じゃあブライスガウの土地は没収されたらしい。会った時も不思議だったけど、本当はあんたに何が起きたんだい?」


 タリヤが真剣な口調で問いかける。本当の事を彼女に言うべきか、リディアは悩んでいた。正直、自分でも一体何が起きたのかよくわかっていないのだ。


「野盗に襲われたというのは本当よ。私と父は馬車に乗ってブライスガウ領へと戻る途中だったのだけど、突然襲撃を受けて父は……」


 あの夜の光景が、リディアの頭の中でフラッシュバックする。その時に嗅いだ鉄臭い血の匂いさえも蘇ってくるかのようで、気分が悪くなり、口をおさえた。


「……父は私の目の前で殺されたわ。覆面をした男がいなり馬車に乗り込んできた時にね。私は追いかけてくる野盗からどうにかして逃げることができたの。でも、仕えてくれていた騎士が裏切り、ナイフで刺されて、そのまま崖から転落。記憶が残っているのはそこまでだわ」


 クルトは先ほどまで元気にかぶりついていた肉を口から離し、驚いた表情でリディアの話を聞いていた。想像よりも壮絶だった話に驚いたようだ。隣でタリヤも目を丸くしている。


「……どうやら、アンタを狙ったのはただの金品狙いの野盗じゃないようだね。最後、あんたにとどめを刺そうとしたのが御付きの騎士だってことは、野盗がアンタたちの馬車を襲ったのは偶然じゃない。誰かが仕掛けたって事になるよ。その騎士は野盗共が襲撃に失敗した時の保険みたいなもんだろうね」


 タリヤの言葉を聞いて、やはりそういう事になるのか、と肩を落とした。


 アロイスを差し向ける事ができる貴族階級の誰かが、父を殺し、リディアまでも殺そうとした。これが今、ただ一つわかっている事実だ。


「それじゃあ、アンタがその家に戻るのって危ないんじゃねぇの?」


 クルトが人参を齧りながら言った。


「だって、アンタを殺したいと思ってる奴がいるんだろ?そんな時にのこのこ実家に帰ったらまずいだろ」

「クルトの言う通りさ。アンタとアンタの父親が襲撃されたのはつい昨日の事。それなのに、もうブライスガウの領土は領主不在という事で土地を国に没収されている。まるでアンタ達が”事故死”する事がわかってたみたいだ」


「そんな……じゃあ私はどうしたら」

「まずは情報を集めたほうが良い。誰がアンタを殺そうとしたのか、敵の正体がわからないと、見つかった瞬間にまた命を狙われるよ。幸いにもここのバルトリ市場街は情報収集にはうってつけさ。あちこちから人が集まるからね」

「でも、ブライスガウにはまだ弟がいるの。一刻も早く戻らないと」

「そいつ、もう死んでるんじゃねぇか?」

「クルト!その馬鹿な口を閉じな」


 クルトの言葉を聞いて、リディアの顔が真っ青になった。

 冷静に考えてみれば、リディアと父を殺そうとした人間が、ヨハネスをそのままにしておくとは思えない。クルトの言った事は可能性としては十分に高いだろう。


「落ち着きなって。ブライスガウの領主の息子についてはまだ死んだって話はでてきてない。まだ、すこしくらいは時間があるだろう。もちろん、のんびりはしてられないがね」

「そんな……ヨハネス……」

「シャキッとおし!アンタが気弱になったら全部お終いだよ」


タリヤはリディアの背中を叩く。


「サントス、あんたブライスガウについてなんか知らないかい?」


 タリヤはバーカウンターの内側でジョッキを丁寧に磨いていたサントスに声をかけた。

 サントスはかなりの大柄で、腕は太く、熊とでも戦えそうな屈強な男だ。彼が酒屋の店主ならば、誰もこの店で悪事を働こうとはしないだろう。


「ブライスガウぅ?あぁ、そういえば昨日、ブライスガウに向かうって兵団がいたなぁ。兵隊長っぽい人がやたらとピカピカした洋服着込んでたからよく覚えてるよ」

「兵団が?」

「あぁ。確か紋章は熊だったかな。その後でブライスガウの領主様が事故で亡くなったって聞いたんで、だから王様が兵団を派遣したのかと俺は思ってたが」

「紋章の色は?何色でしたか?」

「確か、連中の持っていた旗は青っぽかった気がするな」


 青色にクマの紋章はノルデンドルフ家のものだ。王命でブライスガウにやってきたのか、それとも別の理由なのか、どちらにせよ、これで彼らが今回の一連の出来事に関わっているのは間違いないだろう。舞踏会で起きた事と、父が亡くなる前にノルデンドルフ卿について何か言おうとしていた事を考えれば、彼らが今回の事件を起こした可能性は十分に考えられる。


 その時、酒場の扉が乱暴に開かれ、男たちが数人中へと入ってきた。

 皆、腕や顔にタトゥーをいれており、”いかにも”といった風体をしている。


「おい、旦那、何でもいいから酒をくれ。ここで一番上等なやつをな!」


 男達のうちの一人がバーカウンターに立つサントスに声をかけたが、リディアはその声に聞き覚えがあった。

 恐ろしい真っ暗闇の夜、身を潜めた木のうろの匂いがそして――血の匂い。 


 男があの夜、自分を襲った男だと気づいた瞬間、リディアは叫びだしそうになるのを必死にこらえて、カウンターに下へと素早く身を隠した。タリヤはすぐに事情を察したようで、リディアの隠れている所を隠すようにして椅子に座り直す。


「はいよ、アンバーショットだ。アンタ方、ずいぶんご機嫌なようだが、何かあったのかい?」


 サントスが琥珀色の酒が入ったショットグラスをカウンターに並べ、男たちに話しかけた。


「あぁ、ちょうど仕事がひと段落して、報酬金がたんまり入ったんでな。少し祝い酒さ」

「へぇ、ずいぶんと気前のいい依頼主だったんだな」

「あぁ、貴族様ってやつはいけ好かない奴らばかりだと思っていたが、そんな事もない。今回のやつは随分気前が良い奴で、普段の三倍くらい金を稼げたぜ、貴族様サマってやつだな」


 リーダー格の男がそう言って笑うと、周りにいた男たちも「違いねぇ!」と言いながら陽気に乾杯をし始めた。彼らの身に着けている服やタトゥーに、リディアは見覚えがあった。やはり間違いなく、リディア達を森の中で襲った野盗の集団だった。


「しかし、女を逃した時は焦ったぜ。あの騎士様がうまくやってくれたから良かったものの、もし失敗したら首が飛んでたかもしれねぇもんな」

「あれはお前の手際が悪すぎだ。馬車の中でパパッと殺っちまえば良かったんだ」


 酒を飲み交わしながら、まるで世間話のように人殺しについて語っている。どうしてそんな軽々しく話す事ができるのかと、リディアの拳は怒りでブルブルと震えていた。


「あんなのは今回限りだぞ。次はナシだ。貴族様からガキを一人殺れって依頼が来てる。逃げた奴をさっさと見つけ出して殺せだとよ」

「ガキ?一体何のために」

「さぁな、俺たちには別に知る必要のない事だ。しかしガキもかわいそうになぁ。まだ小さいってのに」

「よく言うぜ、あの女の事は輪姦まわそうとしてたくせによ」


 男達はその後しばらく酒と食べ物を楽しみ、はしゃぎ回ると酒場を後にした。

 テーブルはまるで鳥がつつきまわしたのかと思うほどに散らかっている。

 リディアは誰もいなくなったのを確認してテーブルの下から這いだした。

 

 先程男達が言っていた事を反芻する。もし、リディアの考えている通りならば、彼等が次に命を狙っているのはおそらくヨハネスだろう。見つけ出せと言われているという事は、今、ヨハネスはどこかに身を隠しているという事になる。


「さっきのは、やっぱり……」

「えぇ、私達を襲った奴等よ」

「すげぇ偶然」

「連中、次の狙いがあるみたいだったね」

「多分、私の弟の事だと思うわ」


 リディアは頭を抱える。今もヨハネスが一人でどこかを彷徨い、恐怖に震えているかと思うと焦燥感と恐怖で頭がおかしくなりそうだった。


「あの馬鹿共、ずいぶんお喋りの声が大きいもんだ。今の話とアンタの話を聞く限りじゃあ、ノルデンドルフ家が裏で糸を引いているみたいだけど、あんた、何かしたのかい?」

「私は何もしてないわ。ただ……」

「ただ?」

「襲撃に合う前、私は王太子であるエドマンドからプロポーズを受けるはずだったのだけど、なぜか私は王太子に毒を盛っていたなんていうあらぬ疑いをかけられて」

「待った待った!なんだって?王太子?あんた未来の国王と結婚するのか?」


 タリヤが目を見開き、クルトが驚きの表情を見せてリディアの話を遮った。


「マジの貴族じゃん!」

「だから、さっきからそう言ってるじゃないの」

「こりゃ驚きだ。王太子と結婚もそうだけど、アンタが毒を盛ったってどういう事だい?」

「私は毒なんか盛ってないわ!私はエドマンド……王太子に毒を盛った疑いをかけられて、ブライスガウ家は領土没収、私達は国外追放になりかけていたところだったの。でも、申し立てをして、すぐにそうはならなかった。裁判は後日行われて、そこで真相が明かされるはずだったのに、私と父が帰り道に襲撃されてこの状況なのよ」

「……随分と色々な事が起きた一日だったんだねぇ。しかしそれなら話が早い。おそらく舞踏会であんたを嵌めた人物と今回の襲撃の黒幕は同じ人間だろう。心当たりは?」

「舞踏会で私を告発したのはノルデンドルフ家の令嬢だったわ。それに死ぬ間際、父は私にノルデンドルフ卿について何か言おうとしていた。父は何かに気付いていたのかもしれない」

「しかもさっきのサントスの話を聞けば、ブライスガウに今いるのはノルデンドルフ家の兵団だ。もうこれは決まりだね」


 タリヤは手元にあった大ぶりのジョッキを飲み干すと、テーブルに銅貨を数枚置いた。


「あとは部屋で話そう」

 

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