49 アウラの大使

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 猛禽類を彷彿とさせる黄金の瞳に見下ろされて、アウラの大使キルデリク・アブラームの身体はひとりでにガタガタと震え出した。


 それは生物としての生存本能。

 目が合った瞬間全てを理解してしまった、この男は強者で自分は弱者なのだと。

 

 まるで蛇に睨まれた蛙のように、ガタガタと小刻みに震えるだけで身体がピクリとも動かない。


「……大使、うちの妻になにか?」


「つ、ま……?」


 そして己の重大な過ちに気付く。

 決して手を出してはいけない相手に、自分は手を出そうとしていたという事実に。


 正直なところアウラの大使キルデリク・アブラームは貴婦人なんかより歳若い令嬢の方が好みで、女なんかは若ければ若いだけ良いと思っていた。


 だが目の前に現れた愛らしい容姿の儚げな貴婦人に、大使キルデリクは目を奪われた。

 そう、それはつまり一目惚れである。


 女王の娘もお淑やかな娘なので好みのタイプ。

 だがこの目の前の貴婦人の容姿は、大使キルデリクの理想をまるで絵に書いたように完璧だった。

 

 だから女王の娘マリアベルを正妻に、この愛らしい貴婦人を妾にしてアウラへと連れて帰る。

 これまで通り経済的な支援を理由に国を脅せば、既婚者だろうとこの国は差し出してくるだろう。 

 ……という、計画を考えついてしまった。

 

 それはフォンテーヌ公爵という人物を知る者からすれば、正気の沙汰とはまるで思えない。

 狂気とも思えるような計画なのだが、不幸な事に大使キルデリクはそれを知らなかったのだ。


 ……そんな狂気とも思える計画を思いついた、大使キルデリクとかいうこの男。

 自国のアウラでは能無しだとかノロマだとか言われて、無能扱いをされて鬱屈した日々をおくっていた。


 そんな折、親にある命令を受ける。

 『女王エレノアから奪い殺した筈の姫が見つかった。だから偶然を装い隣国で見つけてアウラに連れ帰れ。そして女王に恩を売れ』

 ……と。


 その命令を受けてキルデリクは大使としてこの国ネムスにやって来た。

 そして偶然を装って見付けた女王の娘マリアベルは、大使キルデリクの好み。

 どストライクだった。

  

 だから求婚した。

 女王の娘ならば自分の結婚相手に申し分ない、だけどその時には既にマリアベルには婚約者がいた。


 それを知った女王エレノアは、娘の今の幸せを壊したくないと言って。

 アウラに連れ帰る事を止めさせてしまった。

 

 だから姫君をアウラに連れ帰り女王に恩を売る、という計画は脆くも崩れ去り。

 結果、余計な事をした大使キルデリクは、親にも見放された。  


 ……が、この国では大使様として敬われて、それはもう好き勝手出来た。

 だから彼は調子に乗った。


 この国に婚約者がいるから彼女をアウラに連れ帰れない、なら別れさせればいいと。

 

 大使キルデリクは。

 ハインツ子爵に、マリアベルとその婚約者をどうにかして別れさせろと金を渡し命令した。

 

 そしてその命令は完遂されたとの報告が、ハインツ子爵からアウラに届き。

 再びこの国ネムスにマリアベル宛の求婚書を送り付け、喜び勇んでやってきてみれば。


 ――この事態。


 

◇◇◇ 


  

 恐怖でガタガタと震える大使を、静かに見下ろすのはこの国の近衛騎士隊の隊長フォンテーヌ公爵。

  

 妻アイリスを日々溺愛してやまないこの男。

 その相手がいったい誰であろうと、アイリスに言い寄る男は決して許さない。


 それに加えて妻アイリスが大事にするものを傷付けるような不届き者は、許容できない。 

 アイリスにはいつも健やかに笑っていて欲しいし、思い悩む姿など見たくない。


 ……なので。

 事の元凶をフォンテーヌ公爵はじっと見下ろす。

 

 護衛という立場上、フォンテーヌ公爵はいつも国王の傍にいるわけで。

 ハインツ子爵がいったい何をしたのか、全て知っている。

 

 それに加えて、妻アイリスを通じ。

 その親友たる隣国の女王から、フォンテーヌ公爵は内密に聞いていたのだ。

 今度外交使節団と共にネムスに来る予定の大使が、姫君の誘拐にも何やら関わっていると。

 

 ここ何年も友人の事を心配して思い悩む妻アイリスの、憂いをさっさと晴らしてやりたい。

 

 それにその憂いを晴らした結果。

 アウラからの経済的支援が打ち切られ、国が困った事になった所でフォンテーヌ公爵は痛くも痒くもない。


 付け加えると近衛騎士の隊長を辞めさせられても、フォンテーヌ公爵としては願ったり叶ったり。

 前々から休みが少なく妻との時間が取れないと不満だったので、辞表を出していたから。

 

 それを国王シュナイゼルが。

『お前に辞められたらこの国は、私の命は終わり。ちゃんと守ってくれるやつが他にいない』

 と言って、泣き付いて止めていただけで。

 

「私の妻に手を出せばどうなるか貴方は知っていますか? 大使」


 フォンテーヌ公爵は大使にそっと耳打ちする、可愛い妻には聞かれぬように。


「え……?」


「以前に私の妻に手を出そうとした男は家門から追い出されて、道端で野垂れ死にました」


「野垂れ死に……」


「ええ、彼は騎士をやっていたので肉体労働で食い繋ごうとしていたみたいなのですが、彼を雇わないように昔の友人を通して商会の方々にお願いしたんです」


「お願い、ですか……」

 

「ええ、お願いです。それと彼のいた家門も後日潰し当主は処刑しました。目障りでしたので」


「め、目障り!? それだけ……」


「それと私は妻をとても愛していましてね、その妻に不埒な目を向けられるのがすごく嫌いなんです」


「っ……」


「向けた相手の首を切り落とし、その目玉をくり抜きたいと思うほどに……」


 フォンテーヌ公爵は黄金の瞳を細めて笑う。

 そして、フォンテーヌ公爵は腰に携えた剣にゆっくりと手をかけた。


 その光景を大使はただ見ている事しかできない、恐怖で身体がピクリとも動かないのだ。


「あ……」


 もう駄目だと、大使は目をつぶる。

 こんな所で死ぬのかと、覚悟を決めた。


 ――その瞬間。


「待ったっ……! フォンテーヌ公爵待った!」


 焦ったように国王シュナイゼルが叫ぶ。

 フォンテーヌ公爵になど本当は逆らいたくない。

 だが流石に晩餐会を処刑場にするわけにはいかないし、その責任をとってこの男に近衛を辞められたら自分が困る。

 

 ……だから国王は。


「なんですか……」


 嫌そうな顔をするフォンテーヌ公爵。

 そんな公爵に国王は。


「き……休暇を……! 一ヶ月休暇とっていいから、だからここは許して……? お願いします」


 と、切なげにお願いしたのだった。

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