37 ハインツ子爵家

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 ――ガシャン 



「きゃっ……」

 

「リリアンお嬢様っ!?」

 

 小さな悲鳴。

 メイドに向けて投げられた花瓶は、狙いが外れ壁へと当たり砕けて割れる。

 

「どうして!? なんでなんでなんでよっ……私がどうしてこんな酷い目に遭わなきゃいけないの!」


「リリアンお嬢様、泣かないでください。あまり興奮なさるとお腹の赤子によろしくありません」


「うるさいうるさいうるさい! お前たちに私の何がわかるっていうのっ……たかがメイドの癖に! 私に指図するんじゃないわよ……っ」


「お嬢様……」 

 

 ラフォルグ侯爵家の屋敷から、突然つまみ出されるように追い出されハインツ子爵家のメイド達。


 そんなメイド達は、内心いい気味だとほくそ笑みながら寝台で泣きじゃくるリリアンを慰める。

 

 いつも我儘放題でまるでお姫様気取り。

 なんでもやって貰って当たり前、欲しいモノは手に入れて当たり前、それに対して感謝などもちろんしない。


 それは貴族令嬢としては正しいのかもしれないが、使用人達の気持ちなど微塵も考えない。


 今もリリアンはメイドに八つ当たり。

 一歩間違えればメイドは投げられた花瓶に当たり、大怪我をする所だった。

 

 そんな我儘放題好き勝手に振る舞うリリアンが、ウエディングドレスをズタボロにして泣きじゃくりながら帰ってきた。

 それに子爵夫妻の話を盗み聞けば、侯爵家嫡男との結婚自体がご破算になったらしい。

 

 日頃のリリアンの行動により、鬱憤を溜めるメイド達にとってこんなにも愉快な事はない。

  

「侯爵家を追い出されたわ! 私、オズワルド様に捨てられたの!? いや、いやよ……お腹に赤ちゃんだっているのに!」


「大丈夫ですよお嬢様、直ぐにオズワルド様が迎えに来て下さるはずです」


 オズワルドがリリアンを迎えになど来ない事を、このメイド達は知っている。

 侯爵家をつまみ出される時、オズワルドは地下へと連れて行かれたのだから。

 

 だけどその事実をメイド達は、リリアンやハインツ子爵に教えてやるつもり全くない。

 来もしない相手をずっと焦がれて待っていればいい、それはメイド達の小さな復讐。


「そうですよリリアン、オズワルド様は直ぐに貴女を迎えに来てくれますよ。だってリリアンはこんなに可愛くて良い子なんだもの」


「お母様! でも侯爵様や侯爵夫人は、私のこと気に入らないみたい……それにお姉様をオズワルド様のお嫁さんにしたいみたいだったわ」


「それはアレが上手く侯爵様に取り入っていたのよ。ですが貴女の事を知れば、きっと侯爵家の皆さんはマリアベルではなくリリアン……貴女を気に入るはずよ」


「そう、かしら?」


 寝台に埋めていた顔をゆっくりと持ち上げるリリアン、涙でお化粧はぐちゃぐちゃで酷い状態。

 にも関わらず子爵夫人はリリアンの事を『可愛い、可愛い』と褒めて甘やかす。


 そんな親子の様子にメイド達は、笑いが吹き出しそうになるのを必死に堪えた。

  

「ええそうよ、お母様が貴女に嘘をついたことが今までにあって?」


「一度もないわ、嘘なんて……」


 ハインツ子爵夫人がリリアンについた嘘なんて、今まででたった一つだけ。

 けれどそれをリリアンは知らないし、子爵夫人はそれをわざわざ教えるつもりはない。


「だから泣かないで? 私の可愛い娘リリアン」




◇◇◇




「あなた、これからどうなさいますの」


「……このままではリリアンは未婚の母、それに教会前で騒ぎを起こしたとして国からなにかしら処分が下されるかもしれん。だからどうにかして回避せねばならん」


「ですがどうにかすると言っても、どうするのですか……私達に頼れるアテなどないのですよ」


 辺境にあるハインツ子爵家。

 その領地に目立った特産品はなく、別に貧しい訳ではないが裕福というわけでもない。  

 それに片田舎の領主では社交界に影響力はもちろんないし、この王都に頼れるような相手もいない。


 八方塞がり、だが全く手がないというわけでもなかった。


「あの方にお願いするしかないか……」


「あの方って……! 駄目よあなた、関わりがバレたら本当に縛り首になってしまうわよ!?」


「だがこのままでは子爵家はお取り潰しにされるかもしん、まさかマリアベルが第一王子の侍女になっていたなんて」


「だから私は最初から反対だったのよ、あんなどこの貴族の落とし子かわからないような赤子を引き取って育てるのは……」

 

「おまえだって金に目が眩んだじゃないか、まさかアウラの姫とは……本当に厄介な娘だ。いっそ事故にでも見せかけて殺しておくんだった」


 憎々しげに語るハインツ子爵、長年育てたとしてもそこに親子の情は湧かなかった。


「そんな事をあの娘にしたともし気付かれでもしたら、あの方に私達が殺されてしまうわ」

 

  それがバレた時を想像して子爵夫人は身体をぶるりと震わせる、まだ頭と身体は繋がっていたい。

 

「年頃になるまで育てるという約束で預かったが、いっそ家に閉じ込めておけばよかった」


 家に居られても目障りで育てるのも面倒。

 だから王都に行くことを許したのに、余計面倒になったとハインツ子爵は憤る。


「でもこの間来られた時も私達がちゃんとあの方との関係を黙っていたからってお金も沢山くれたし、国王陛下に穏便に済ませたいって言って下さったから処刑されずに済んだのよね!」


 その金でリリアンにドレスを沢山買ってあげれたと、子爵夫人は思い出して喜ぶ。


「ああ、あの方がお口添えしてくれなかったら、私達は今頃どうなっていたかわからん。だから助力頂けないか手紙で相談してみようと思う」


「そうねそうしましょう! でも可哀想な私の可愛いリリアン、ずっとお部屋で泣いていたわ」


「そうか、不憫な子だ。これも全てマリアベルのせい……私達の邪魔ばかりしてくれる。育ててやった恩も忘れて」


「ほんと疫病神ね」

 

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