訓練、そして苦悩〈一〉

 目の前に広がるのは閑静な住宅街、まばらに行き交う人の顔はのっぺらぼう。違和感こそあれど、投影されただけの映像とは思えないほどリアルな光景だ。わたしは何度か瞬きを繰り返す。


「音島さん、映像に酔ってない? 大丈夫?」

「大丈夫」


 葵の心配には微笑みを返した。そういえば、他の四人はどこにいるのだろう、姿が見えないのだが。


「葵君に音島さん、こっちだよ」


 玲の声が背後から聞こえた。わたしたちは振り向き、玲たち四人と合流する。

 彼らは既に被害者が監禁されている――という設定の――家を発見したらしい。煉瓦色の屋根の家を指さして、棗が「多分あの家が目的地だ」と言った。


「多分? 七彩の異能なら判別できるんじゃないの?」


 葵が訝しげに問いかける。わたしもうんうんと頷きながら、七彩の異能を使わない理由を尋ねた。


「……それが、異能発動がうまくいかなくて。私だけじゃなくて、結も発動できなかった」

「異能が発動できない? それって玲さんも?」

「俺はまだ確認してないけど、その可能性は十分考えられる」


 中断を申請しよう。そう言うと玲は二度手を叩き、ルーチェの名を呼んだ。しかし彼女からの返答はない。


「……おかしいな、返事がないなんて……」

「おーい、ルーチェ! いないのー? んなわけないよね、返事してよー!」


 不審そうに呟く玲に代わり、葵が叫ぶ。その瞬間に投影される映像が大きくブレ、ぎゅっと目をつぶった。ザーザーと鳴るノイズに紛れて、無感情な少女の声が『場面進行』と告げる。


 次に目を開けたとき、わたしたちは一軒家らしき家屋の中にいた。玄関ではない。リビングのような広々とした空間だ。

 わたしたちはカーテンの閉めきられた部屋を注意深く見回しながら、辺りに人の気配がないかを探った。


「誰もいない……?」


 七彩が潜めた声で疑問を呈する。彼女の言う通り、周囲に人がいる気配はない。


「妙ですね、訓練のプログラムには必要最小限のデータしか入っていないと耳にしたのですが……」

「それを言うならルーチェの奴が返事しない時点で妙だろ」


 結と棗もぼそぼそと会話を繰り広げ、現状への違和感を浮き上がらせた。

 コツコツ、微かな足音を立てながら慎重に進む。わたしは些細な音の変化も聞き漏らすまいと耳を澄ませた。床下に空間があれば音が変わるはず、それを期待してのものだ。

 リビングを出て廊下を進んでいる最中。わたしの期待が功を奏したのか、前方から聞こえる足音が変わる。一番前を進んでいた玲に声をかけ、止まるように頼んだ。


「どうしたんだい?」

「……玲の辺りとわたしの辺りで、足音が違う。もしかしたら――」

「地下空間のようなものがある、と?」

「多分。確証はないから、信じなくてもいいけど」

「……」


 玲は目を閉じ、踵で床を小突く。そしてわたしや棗のいる後列まで来ると再び床を鳴らした。そして「なるほど」と呟く。


「音島さんの意見に乗るよ。葵君、萩原さん。床板剥がすの手伝ってくれないかな」

「了解でーっす」

「仕方ないな」


 葵は軽やかに、棗はため息をつきながら同意した。彼らはせーの、と息を合わせて床板に手をかける。バリッと剥がれる音がした途端――再び映像がブレ始めた。場面進行、少女の声が告げる。


 次に投影されていたのは、打ちっぱなしのコンクリートに囲まれた部屋だった。地下室みたい、七彩の呟く声が聞こえる。そしてもごもごと誰かが呻く声も。


「ここ……誰かいるみたい。みんな、気をつけて」


 葵がひそひそ囁き注意を促してきた。わたしたちは揃って頷いた。頷いた瞬間に虫の羽音のようなものが聞こえた気がして、わたしは内心首を捻る。

 玲はわたしたちに「ここから動かないで」と指示を出し、一人で周囲の探索を始めた。すぐさま七彩と結が駆け寄り、探索の手分けを提案する。


「二人は異能が使えないだろう? 動き回るのは危険だ」

「玲だって使えるかわからない。リスクは私や結と一緒だよ」

「だからと言って――」

「辻宮、少しいいか」


 七彩と軽く言い合いを繰り広げていた玲に近づいた棗は、コンクリートの床を指し示して「三雲が突破口を見つけた」と口の端を吊り上げた。


「突破口?」

「そうそう! なーんか変な力で隠そうとしてるみたいだけど、異能を使えなくする機械が置いてあるよ」


 葵は棗が指さした辺りまで歩くと「ここでーす」と飛び跳ねる。しかし、すぐさま全員に「飛び跳ねるな」と咎められていた。

 わたしは他の面々より早く近づき、耳をそばだてる。葵がいる場所からブゥン……と微かな音が聞こえた。先ほども耳にした、虫の羽音のようなものだ。


「ここを壊せばいいんでしょ? 壊す」

「えっ?」

「待て音島」

「もう少し調査してから――」


 結の戸惑いも棗の制止も玲の提案も、その全てを振り切り大きく拳を振り上げる。――ドガッ!


「壊した。これで異能使えるんだよね」


 パンパンと手を叩いて任務完了ミッションコンプリートをアピールすると、五人は呆気にとられたような顔をしていた。揃いも揃ってぽかんと口を半開きにしているのだ。


「な、な……」


 真っ先に我に返った葵がわなわなと震えながら「な」を連呼する。わたしは首を傾げて「な?」と繰り返した。


「何やってんのー!」


 葵の叫びが反響する。思わず耳を塞ぐと、これでもかと顔を顰めた棗がツカツカわたしに接近してきた。直後、脳が揺れたような錯覚に襲われる。


「痛っ!」

「精密機器を壊すな、ここの機器の大半は俺たちの給料より高いんだからな」

「わたしの脳は精密じゃないって言いたいの?」

「そうは言わない。ただ、俺ごときが一度殴っただけで壊れるほどヤワじゃないとは思ってる」

「やっぱり鬼……」


 ぶつぶつぼやく。すると突然、コンクリート壁が発光し始めた。どこからともなく『ちょっとちょっと!』と焦る少女の声が聞こえる。ルーチェだ。


『訓練強制終了よ、何したのあなたたち!』

「玲たち三人の異能が使えなくなって、その原因を排除した」


 ルーチェの尋問に、わたしはピースサインで答える。口々に「排除……?」と訝しむ声が聞こえるが聞かなかったことにしよう。


「まぁ、そう言えなくもない……かな」

「落ち着いてください玲さん、あれは『破壊した』が適切ですよ」

『……な、何でもいいわ。とにかく訓練は終わり。今日の結果は上層部に報告するわよ』


 パチンと手を叩く音が再生され、それに連動してコンクリート壁の輝きが増す。目を開けていられないほど眩しくなっていき、わたしはぎゅっと目をつぶった。

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