第104話 PIECES OF A DREAM(2001年)CHEMISTRY
平成14年5月 本社
「橘主任、素敵なスーツですね。テーラーメイドですか?銀座の英国屋とか……」
「そんな高級なものじゃないよ」
「すごくお似合いですよ。そのネクタイも、とっても素敵です」
俺(橘恭平)に経理担当の女性たちが、話しかけてきた。
なんて大胆な……
「主任、この前、銀座で綺麗な女性と一緒に歩いていたのを見ましたよ」
5月のゴールデンウイークに、妻が東京のワンルームマンションにやってきて、身の回りの世話をしてくれた。そして先日のように高島屋で夏物のスーツを注文してくれたのだ。
その様子を社員に見られていたらしい。
「銀座にいたのを見られたのか?アレは俺の妻だ」
「奥様、お綺麗ですね」
「伝えておくよ。俺にはよくできた妻で、とても助かっている」
「愛妻家なんですね」
「これ食べてください!」
経理の女性達は、日本橋のデパートの地下で買った高級そうなお菓子を俺に手渡して、談笑しながら歩いていった。
◆◆
東京都江東区 門前仲町の居酒屋
俺(橘 恭平)は会社の係長の
彼も単身赴任の身。彼の奥さんも県立病院の看護師である。今は
「なあ、橘、お前は職場のパソコンにLotus1-2-3をインストールして使っているそうだな」
「俺は、その方が使い馴れている」
「後任が困るぞ、それ」
「変換すればいいさ」
「お前、なかなか仕事が速くて助かるよ。直江津から呼んでおいて、良かったわ」
「まさか、俺は直江津に早く帰りたいけどな」
「それはそうと、お前、相当モテているそうだな」
「まさか?俺は指輪をしているんだぞ。既婚者がモテるもんか、このウソつきめ」
「ホントだ。女の子たちが湯沸室でお前の噂をしているのを聞いた。『スーツが似合っている』とか『センスのいいネクタイをしている』とかね」
「菅原、じゃお前はどうなんだよ?」
「俺がモテるわけないだろ」
「じゃ、俺も同じさ」
「おまえ、この前、庶務の子が表計算ソフトの使い方がわからず、四苦八苦しているのに使い方を教えただろ、この機能を使えって」
「ああ、あの子たちが残業して、山ほど仕事を抱えていて、可哀想だったからだよ。差し込み印刷を教えただけさ」
「お前の評価はウナギ登りだ。『橘主任って、とても優しく教えてくれた』って。コンマが出ないのを表示させるように教えてくれたとか。あの人、カッコイイだけじゃなくて仕事も出来る男だ』ってさ、がははは」
「ウソ付け」
「もう、女の子達は『わたし、橘主任の近くに行くと心臓がドキドキして』だってよ、ひーっひっひっひ」
「笑ってやがる! 俺はもう30だぞ。30過ぎの男がそんなにモテるワケねぇ!」
「既婚者の方がモテるってよ、安全・安心だって」
「お前、俺をからかっているだろ。いい加減にしろ。お前、係長になったんだから、すこし
こうして夜も更けていった。
しかし新潟の地酒が恋しい。東京では高い……
◇◇◇
私(雪夏美・旧姓・星夏美)は結婚してから中央線三鷹駅近くに住んでいた。
学生時代に住んでいた仙川(京王線)からそれほど遠くない場所だった。
国会記者クラブの職場に通うのに、営団地下鉄東西線に乗り、九段下で半蔵門線に乗り換えるため、いつも中央線三鷹駅から東西線の直通電車を利用していた。
いつも外の景色の見えない地下鉄通勤
暗闇と灰色の景色である。
◆◆
平成14年5月
私は東西線西船橋行きの地下鉄に乗り、扉の前に立っていた。
飯田橋に停車した時だった。
ガラスの窓から何気なく反対側に停まっている車両を見ていた。
中野行きの地下鉄が発車していく。
加速しはじめた地下鉄車両の中に、見覚えのある男性の姿があった。
「恭平?まさか?」
スーツ姿で、センスの良いネクタイをして、同僚と話をしていて、こちらに気がつかない。
えっ!と私は、次第に加速してスピードを上げていく車両の中にいるその姿を追った。
間違いない……あの顔、あの身長、彼に違いない!
だが反対側の車両。声をかけても聞こえない。
彼もこちらに気がつく様子もない。同僚と話し込んでいた。
彼と最後に会ってから、何年経っただろう。
その時は「あか抜けない田舎の青年」だった。
智子(原智子)の話では、恭平は結婚したという。
スーツのセンス、ネクタイの色、昔の彼とは違う。
地下鉄の中にいた彼は、ステキな都会の男性の姿になっている。
服のセンスは彼の妻の趣味に違いない。
昔のカッコイイ元カレが乗っていた地下鉄は、反対側の車両の中にいる私に気付かないまま、飯田橋のトンネルの暗闇に消えていった。
◇◇◇
平成14年6月末 東京本社の会議室
取引先のアメリカの半導体大手メーカーから、仕様書の打ち合わせが予定されていた。
俺(橘恭平)が東京に来てから、おそらく、最初の一番大きな仕事だろう。
事前に送られてきた仕様書に目を通した。現在の製造ラインでは足りない。あらたな専用の製造ラインを確保しなければならないものであった。
我が社としては技術的には可能であるが、他に供給している国内半導体メーカーへの供給への支障が出ることが確実だった。
この取り引きは次世代半導体であって、我が社としてはどうしても確保したい大きな仕事である。
先方は、アメリカの本社と日本法人から、この会社に来ることになっていた。
またマレーシアの工場からも製造責任者が同席するという。
俺は、仕様書、積算関係のチェックとは別に、庶務課に行き、接遇を確認に行った。
俺の予想は的中、庶務は京都宇治の喜撰のお茶を用意していたようだ。
これはとても良いお茶であるが、外国人の口にはあわないだろう。
「このお茶は日本人には良いかもしれないが、アメリカ人ならもっとわかりやすい味がいいだろう。君らが普通にティーバッグに入れているようなお茶だよ。少し抹茶が入っていて、わかりやすい。こんな良いお茶は『変な味』に感じるぞ。自分で飲んでみろよ」
庶務の女性は、値段でお茶を選んだようだった。
彼女は来客用に用意した京都の高級なお茶の封を切って、急須に入れて飲んでみた。
「これ、ダメかも……さすが主任ですね、わかりました。ティーバッグを急須に入れて注ぎましょう」
「それが良いだろう」
俺は席に戻って、会議の相手方の名簿を見た。日本法人の担当者名を見ると、
女性の名前があった。この交渉相手の責任者は女性だ
「
「菅原係長、先方にこちらの担当者の名前は伝えたのか?」
「ああ、伝えたよ。お前の名前もな」
山際? これは新潟に多い名字だ。
黒埼(現新潟市西区)とか白根(新潟市南区)だろう か?
しかしどこで聞いた名前だ。
長岡技科大に「山際」という名字の者はいたが男だった。
先方との打ち合わせは14時の予定だ。
俺は昼飯を食いに出かけて、13時すこし前に職場に戻ってきた時だ。
受付の女性が俺に言った
「今日打合せの、日本法人の担当の方が、すこし早くお見えになりましたよ。橘主任のことを良く存じ上げているそうです。先にお目にかかりたい、とのことですが」
予定より、1時間早い。こんなに早くきて、俺のことを知っている?
俺は外資に知り合いはおらん。
「会議室はまだ準備できてないよね。ロビーか談話室で待ってもらうかな……」
受付と話をしていたら、
受付けに電話が掛かってきた。
その山際京子という女性が、これから今すぐ受付に来るという。
「え、なんで、また急に?」
いったい誰なんだ?
ドアが開くと、白のスーツを着た、髪はショートカットの女性がこちらに向かって歩いてきた。
ヒールを履いて、受付の女の子より10㎝以上高い。
ヒール無しでも168センチくらいあるだろうか?
背の高い、いかにも、「ザ・外資」という感じで、仕事ができる風の日本人女性だった。
俺、こんな人、知り合いにいたっけ?
「橘恭平さん?やっぱり先輩だ!お久しぶりです。私のことを覚えていますか!」
とても凜とした美人だったが、
だれだ、コイツ?
「橘先輩、わたしですよ!わたし!」
「先輩?俺が?」
「先輩、覚えてないんですかぁ?高校の時にサッカー部のマネージャーだった山際ですよ。橘先輩はラグビー同志会でしょ?ウチの高校女子の憧れの的の橘先輩に、こんな場所で会えるなんて!」
げ、高校の後輩?長岡高校かよ!
残念ながら下の学年の生徒の記憶はおぼろげだった。
受付の担当の女性なムッとした表情をしている。
山際という女の子の馴れ馴れしい態度が気に食わないようだ。
「先輩!長岡高校3年の
なにをベラベラと受付で自由に喋っているんだよ(笑)、この子は高校の時の彼女まで覚えてやがった!
でも……あっ、思い出した! たしかにあの時の下級生の女の子だ。
高校の時は、ジーンズを履いて、垢抜けない感じでトレーナーを着ていたっけ
また、厄介な、変なのが出てきたぞ……
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