第23話 Never Too Late(1989年)Kylie Minogue -

平成63年7月 三島郡越路町さんとうぐんこしじまちの自宅

 

 単身赴任で西ドイツに行っている父親が久しぶりに帰ってきていた。


 アメリカを経由して帰ってきていて、アメリカから帰る日付をわたし(星夏美)に伝えていたのだが、日付変更線の計算間違いで、勘違いして翌日だと伝えていたのだ。


 わたしはカレシ(橘恭平)の住む官舎から朝帰り(昼帰り?)していて、お昼頃に家に帰ってきたら、父がいた。驚いた。

 コンドームを彼の家に忘れてきて助かった。(!?)

 そんなもの見られたら、とてつもないお目玉だっただろう。


 やれやれ、朝帰りがバレずにすんだ。母も昼頃に帰ってきた。


 父は10時頃に塚山駅に着いて家に着いたので、わたしが午前中に高校に部活にでも出かけているのかと思っていたらしい。


 わたしの父は西ドイツのノルトライン・ヴェストファーレン州ヴィーリッヒの営業所に勤務している。デュッセルドルフから車で通勤していた。

 

 わたしの進路の話は、新潟に一緒に戻ってきた母から手紙や電話で聞いてたらしい。母親からカレシがいるらしいことも伝わっていた。だから電話であのような対応だったわけだ。

 父はテニスラケットの開発技師である。海千山千のヨーロッパの市場で、それもナブラチロワなどのトップ選手にラケットを提供しており、交渉相手にハッタリをかましたり、カマを掛けたり、相手の手の内を引き出すような交渉が上手い。


 わたしのカレシの橘クンと電話で会話して、わたしに「カレシ」とカマをかけて、動揺した様子で見抜いた。


 幸いなことに、高校での成績が良いこと、先生から短大ではなく4年制大学への進学を勧められていることも父には伝わっていた。


 日本はバブル景気が始まっていて、1ドル150円を越えて120円に届こうかという円高が続いていた。父親の給料も上昇していた時期だった。父親も4年生大学へ進学させようか、どうしようかと、考えていたようだった。


 しかし、一人娘を都会で一人暮らしさせる、っていうのは景気とは別の話だ。

 

 橘クンは、女の子にウツツを抜かして(おまえのことだ!)東京大学理科Ⅰ類が第一志望だったがボーダーラインの危険水域。東京工業大学も怪しい雰囲気だ。またちょっと離れた筑波大学もどうか、ということは聞いていた。


 わたしは、願わくば、橘クンと一緒に東京都内の大学に行きたいと考えていた。


 東京の地価が急激に上昇し、郊外の家を買うのに1億円はかかるという時代、

 山手線の内側ならワンルームのマンションを借りるにも月10万円以上はかかる。

 東急とか小田急とか京王線沿いなど、女の子が比較的に安心して住める場所は、月10万円以下で借りられるような物件はほとんどない。あったとしても相当、都心から離れてしまう。中央林間ってどんなとこ?という感じだ。


 父親にとっては、娘が夜道の一人歩きをするのは心配だし、都会の電車の中では痴漢もでるし、安アパートには下着泥棒が出るから、そういうわけにもいかないだろう。

 父は、新潟市内の大学か上越市の教育大ならまあ別に良いだろう、という雰囲気であったが、東京への学校で一人暮らしとなると、話は別。ハードルは高くなる。


 最低でもマンションは2階以上、オートロックというような物件となると、地価高騰も相まって、確保が難しいだろう。そういう話を高校の先輩たちからも聞いていた。


◆◆◆


 父親のお土産はシュタイフの熊のぬいぐるみだった。あいかわらず可愛い趣味だ。

 夕食後、父がテレビを見て休んでいる時にわたしは切り出した。

「ねぇ、わたし、高校を卒業してから、東京の学校に行きたい、と言ったらどう思う?」


 父はこの言葉が出ることをずっと懸念して、恐れていたような感じだった。

「東京の学校か……近場の学校じゃだめか?なにか勉強したいことがあるのか?」


 カレシが東京の学校を第一志望と書いていることが理由だとは言えない。


「ちょっと見分けんぶんを広めたいと思って」


「本当に勉強したいことがあるならかまわない。ただ遊びたいから東京に行くという理由なら反対だぞ。しっかり考えて進路を考えたらどうだ。本当に何がやりたいのか」

 

 父親から正論をぶつけられてきた。まさにその通り。

 具体的に答えることはできない。


 父は続ける。


「おまえにさっき電話がかかってきたカレシ、長岡高校か?東京都内の大学が第一志望じゃないのか?おまえも一緒についていくつもりだろ?」


あたたたた……あべし!北斗百烈拳をくらった気分だ。すべてお見通し


 

「うちの会社、最初は東京での市場を開拓するのに本当に苦労した。たとえ良いものを作ったとしても、東京で簡単に成功するとは限らない。東京に出て行けばなんとかなるとか、そんなに世の中、甘いものではない。俺はもう少ししたらまたドイツに戻るが、来年また同じころに帰ってくる。それまできちんと考えて進路を判断しろよ」


 父は、テーブルにあったタバコのセブンスターを取って、そして一本抜いて火をつけた。

 久しぶりに吸う日本のタバコは美味しそうだ。

 そして煙を吐きながらこう言った。


 「お前にも好きな人ができたか…そうか長高ちょうこうか。おれは『チョウコウ』でも長岡工業高校だからなぁ。まあいっか」

 

 え、すべてお見通しなの?なにが良いのか?工業高校からたたき上げの木工職人。英語やドイツ語は独学でマスターした。根っからの職人気質の父だ。


 わたしはうつむいて、答えられない。


「おまえ綺麗になったな。一緒に西ドイツに行った時は子供みたいだったけどな。いつのまにか大人になって」


 ……そう?綺麗になったって?まあそうかな (自分で言うな)


「もう一度聞くが、さっきの電話の男、ホントに彼氏だろ。彼は東京の学校に行くつもりなのか」


「……はい。彼の第一志望がそうみたいです」


「おまえを、遊ばすために東京にって、高いお金を出すつもりはないからな」


 ……その通りですよね。


「まあ成績も伸びているみたいだし、カレシがあの高校なら悪い男じゃなさそうだけどな」


 それ以上、父は何も言わなかった。なにか思うことがあるのだろうか。


 でも東京都内の大学に行くのはやはりハードルが高そうだ。何かホントにやりたいことを見つけて、父を説得できる材料がないとね、といっても国立大学?お茶大?そりゃ偏差値高すぎるし……模擬試験で合格判定もらうのもハードル高そう。


 私立大学?とんでもない。そんな学費はどこから出るんだ?

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