藪医者はかく語りて: 前
…これは懺悔だ。ただすべてを取り零した私の、君たちへしても仕様のない、自己満足の懺悔。
私は、『彼の世界』から来た。というのも、理解できないだろうし、順を追って説明しようか。
さて…どこから話したものか。
…
……
私たちは、二つで産まれた。何から産まれたかは分からないし覚えてもないが、私の『姉』が、でろでろの水溶液のような私を抱えて、捕食者や人間から逃げていたことだけは覚えている。
私たちは、肉塊であって、次点で、魔物と呼ぶのに近しい存在達だった。そしてまた、それでいてそれらと言うのにも遠く及ばない。二つの出来損ないであり、何かのなり損ない。
片方は何にも姿を変えられる故に、何者にもなれない中途半端。そして私は、出来損ない。何の形になることもできない、半ゲル状の、ただ命があるだけのゴミだった。
「手に負えないモンスターがいると聞いてきたけど…自分の家族を庇う心を持ってる者が、モンスターなわけが無いわね」
そうして逃げ続け、食べ物を強奪するしかなかった悍ましい私たちの討伐の依頼が来たのだろう。
爪と牙と、思いつく限り凶悪な形をさせた私の姉の攻撃を、蝶々のような光と圧倒的な杖術で一蹴してから、その女性は言った。
息絶える直前に追い詰められ、それでも私を守ろうとした姉と私を同時にそっと抱きしめ、治療をしてくれた。そんな紛い物にしかすぎない私たちを、あなたが初めて抱きしめてくれた。
「この子たちは私が引き取ります。
今から、この子たちは私の子供。
手を出した者は容赦しません。良いですね」
反対する周囲を、ただ一言で黙らせて。
そうして自らの子どもだと。
何者でも無かった怪物と、塵に意味を与えた。
「あなたたちは今日から私の家族です。
…まあ。二人とも女の子なのね。
なら、あなたはハイ。あなたはロウ。
今日から、それがあなたたちの名前ですよ」
「ただ、働かざる者食うべからず、と言います。
貴女達にもちゃんと働いてもらいましょう。そうですね…ずっと人手が足りない、ドクターになってもらいましょうか」
でろでろと、一度も固まることも出来ずただ姉に迷惑をかけるだけの生だった私に、人形のような外枠を与えてくれた。
姉もまた、一つ定まった見た目を与えられた。
変化は禁じなくとも、基本をそれにしなさい、と。
何にもなれなかった肉の塊を何かにしてくれた。ドクターという存在に、してくれた。名前を与えてくれた。
私の姉はロウ。
いつだって誰かを守らんと叫ぶ、ロウ・ラウド。
私の名前はハイ。
ただいつでも雨のように静かな、ハイ・レイン。
名前が私たちにどれだけ特別なものだったか。それが、私たちにはどれだけ嬉しかったか。身体を手に入れて、彼女の子供となって、ドクターという存在になることができて。
名前のない怪物だった私達は初めて名称を得た。
ドクターという敬称は、何よりも特別なのだ。
「…ん、あら。自己紹介がまだだったわね。
私はイスタルテ・グラントーサ。
気楽に、そうね。『イスティ』と呼んで頂戴?」
「いや、でも…うふふ。娘になったんだから…母さん、でもいいのよ?」
私たちを拾い上げてくれたその方は、初代聖女その人だった。驚いた反面、ああと納得したのを今でも覚えている。
あれほどの神聖と神々しさ、そして力を持つ人間はそうでなくてはならない。と、妙に誇らしい気持ちになって。
…
……
「だーかーら!横着するんじゃない!この調合は手でやるべきだと言ってるだろうが、ハイ!」
「ふー…非合理的だ、ロウ。自動的に撹拌調合できる機械があるというのにそれに頼らない理由がどこにある。お前のそれは新たな物を受け入れられない年寄りの思考だ」
「そういうことじゃない!私達が常にこういう機器がある状況にいられるとは限らない!野戦病棟のような、最低限の機器しかないものだってあるし野外で怪我をする人間もいるかもしれない!それを想定して慣れておけって言ってるんだ!」
「今此処はそのような状況下ではない。それらの想定実習は別の機会にあるのに無意味な予習復習の為に生産性を下げては本末転倒じゃないか」
「大体お前の合理性は都合が良すぎるんだ!」
「私はお前の馬鹿げた治療論には付き合わない」
「何を!!」
「やるか」
「二人とも。おやめなさい」
口論が、鶴の一言でびくりと止む。
凛然とした、初老程の女性の声。
鋭い芯の通った、強い声。
囀っていた私達はその声がしてきた方向に向き直り、びしりと踵を合わせて背を伸ばした。
「こ…これは、イスタルテ様!
お越しになられていたのですか」
「…申し訳ありません。
私もロウも茶の準備の一つもせず」
「あはは、良いのですよ。私がここに来たのは今日はプライベートですから。だからもっとフランクに呼んでくださいな」
そう言われ私達はほっと一息を吐いた。
母は優しく、天使のように包み込んでくれる。
だがそれ以上に烈しく、激流のような人だった。何よりも優しく、それでいて誰よりも恐ろしい。全てに対して情がある故に、必要以上に無情になれる人でもあった。それはつまり、私たちが、一流のドクターとなるまで、人としての礼儀作法を身につけるまで恐ろしいしごきを受けたということで……ここについては、思い出すだけで吐き気がする為、回想はよしておこう。
「しかし二人ともすっかりお喋りが好きになったわね。とくにハイ。貴女には静かだからと名づけてしまったけれど、今からでもこの名前を変えようかしら?」
「ククー、ご冗談を。貴女に頂いた名を変えるなど天地がひっくり返ろうとあり得ません」
「私もですよ、母さん!あなたがくれた名前、たとえあなた自身だろうと奪われる気はそうそうありません!」
「ふふ、ロウは相変わらず元気ね」
イスタルテ・グラントーサ。
彼女は私たちを人にしてくれた。
それは、役割、存在、言葉という意味だけでない。
家族としての団欒。穏やかな感情。
厳しい礼節。怒りとしつけ。
そして。ドクターとして働き続けるにつれて受け取る、何かからの感謝。あなたの愛が初めて、私たちを人にしてくれたのだ。
そしてまた、それ故に私達の歯車は狂う。
『瘴気警報!瘴気警報!王都が瘴気の警報をお知らせします。全国民は窓を至急施錠し専用鎧戸を下げるように』
「…チッ、またか」
机に置いてあったラジオから、けたたましい警報が届く。それを聞きロウが身体を物理的に伸ばし、窓を閉めてシャッターを下ろした。これで瘴気が入り込む事は無くなったが、代わりに部屋がむわと暑くなる。
「まったく、ここ最近毎日じゃないか。
それほど瘴気を垂れ流しているのか、この国は」
「鉄材を加工するに必要な燃料鉱石の副産物なのだ。仕方がないことではあるだろう」
「そういう事じゃない!
いつまで経ってもお前は頭が硬いな、ハイ」
「お前が感情的すぎるんだよロウ」
「二人とも。喧嘩はおやめなさい」
私たちの認識としては喧嘩をしている訳では無いが、そう止められてしまえばそれに争う手段はない。
渋々と会話をやめて、再び母さんに向き直った。
皆で机を囲み、インスタントの茶を皆で飲む。
そうして一息をついてから。
「今日ここに来た理由として、一つ。
質問が二人にあって来たのです」
「質問、ですか?」
「ええ。貴方達は、この十年ほどの急速な技術革新をどう思っていますか?それらを聞かせてもらいたいのです」
技術革新。
この世界ではそれが起きていた。鉄を用いた道具の加工と蒸気を用いた器官と電気の効率的な生成による事態。
机の上にあるラジオも、ここ最近に出来た物だ。どのような理屈と理由で音を全ての機器から通しているかは覚えてはいないが、とにかく最初はどのような魔術なのかと目を剥いたものだった。
「どう思うか、ですか?…むう。私は…私たちドクターは、高度な技術力の成長による恩恵を受けている身ですので一概に否定は出来ませんが…私たちの仕事が増えている事は、看過し難いと思ってはいます」
「瘴気ですね」
「ええ。実際今、聖女協会をフル稼働させて作っている薬もその瘴気の作用を治めるものが殆どですから」
即物的な仕事が増えていることをロウが言っているわけで無いのは、此処にいる全員に分かった。人々の暮らしを便利にする事は素晴らしいことだ。だがそれを理由に、病を振り撒くことは赦される事か。
そう、言いたいのだ。
それらを聞いて理解した上で。
「ふむ…あくまで所感でいいのですね」
「ええ、ドクター・ハイレイン。
お願いします」
「了解しました、イスタルテ・グラントーサ様。
ならば私は、促進するべきものと思います」
「なっ!ハイ、お前…!」
「ロウ。…ハイレイン。続けてください」
「まずは、車。これにより私たちが現場に辿り着くまでが飛躍的に速くなり早期治療が必要な怪我人、病人の生存率の著しい上昇しました。機械による調合の効率化も素晴らしい。また銃も素晴らしいですね。私のような武術の心得が無い者でも護身が可能になる。今のような免許制なら悪漢による濫用も防げるでしょう」
「それらが、瘴気などという副作用を伴ってもか」
「…でもこれが無ければ私は生きていない」
横から反論をしようとした姉に、そう言えば彼女は言いにくそうに顔を歪めて俯いてしまう。
わかってはいる。車の作成の瘴気がどれほど病人を産んでいるか。銃も免許者が悪意を持ち横流しされ悪用されるだろう。きっと、いつか。それらは私たちに牙を向けるだろうことを。
でも、それでも。
「……この発展した技術が無ければ今の私は無い。誕生日の度に入れ替えた鉄の骨格と人口の血肉が無ければ私は生きてはいないのですから。それ故に技術には肯定的にならざるを得ません」
誕生日の度に身体を裂かれて手術をされ、骨格毎を入れ替えられる激痛。その痛みに耐えてまで、私は生きたかった。そうして生かしてくれたのは、姉のロウと母さんだった。だから技術を否定すれば、二人も、自分も否定するようで。
「…あなたの意見はよく分かりました。
ハイ、ロウ。貴方達数えで幾つになったかしら」
「へ?今年で…ええと、幾つだ?ハイ」
「21だ」
「だそうです」
「もう、二十年も経つのね。
私も歳を取るはずだわ」
そう聞くと、ふう、と疲れたように椅子に座って茶を啜るグラントーサ様。その時の顔は、なんというか、小皺がいつもよりもずっと増えたような錯覚に陥った。
「実は、先程の二人の会話ずっと盗み聞きしてしまっていたのです。ごめんね」
「む。行儀が悪くはないですか母さん」
「おい、ハイ。
それについては喚き立ててた私たちが悪いだろう」
「いえいえ、行儀が悪いのは私ですよ!
…だけどね。私、その中の言葉に、どきりと来たのです。ハイ、あなたの言葉の一つに」
「『新たな物を受け入れられない年寄りの思考』…
私は、身を摘まれたようでした」
むしろその言葉に、ひやりとしたのは私だった。
ただの売り言葉に買い言葉。ロウといつもの通りの口論でしか無かったはずの言葉が、流れ弾のように彼女に当たっていたのだ。
「…わかっているのです。きっと、この技術が人を救うのも事実。暴走を迎えないようにそれを調停し、行ってはならない黄昏迎えさせない限り、私達は更なる躍進を遂げられるのだと…」
ぴきり。ティーカップにヒビが入る音。
母さんの握る指先に力が入り取手の部分の、つままれた部分のみが割れかけていた。そうしていたその手は怒りに震えていた。
「だけれど私は、駄目なのです。
この技術を認めることがきっと出来ない」
「……母さん…」
「ハイを助けたこの技術を。様々を助ける力になるこの科学を、私は認めて容認すべき。なのに、なのに私の激しい本性がそんなものを認めてはならないと叫んで仕方がない…!」
ロウも、私も。
どう声をかけたらいいか分からなかった。
ここで、彼女に貴女はそのままで良いのだと肯定すれば何かが変わっただろうか。否。きっと、彼女は意見を何一つ変えなかったはずだ。
「……今、この時代に必要な者はきっと、もっと柔軟な思考と、そして話し合える人が近くにいる人。ちょうど貴方達のようなね。そして私はきっと、もう上に居るべき人では無い」
時代遅れ、なのね。と寂しげに自嘲をしてから。
私達にその意を決した様子を見せた。
「私は聖女としての任を降りようと思っています」
「…ふふ。そんなに心配そうな顔をしなくてもいいのよ二人とも!別に今すぐ消える〜とかでもないし、むしろ時間ができて口出しにくる機会は増えるくらいなんだから!」
「後任の聖女も、候補はいる。
私の次に、引き継ぐことを考えるだけなのよ。
だから、ああもう、そんなに泣かないの」
「ぐす、えぐっ…
だって、だってぇ…母さんがぁ…」
号泣をするロウと、ただ涙も流さずにうなだれて母に抱きつく私。その互いに笑顔を向けて。イスタルテ・グラントーサは初代聖女としての任を終えた。
…
……
さて、閑話ではあるがここにも触れておこう。
その数ヶ月先のことだった。
ローラウドは旅をすると申し出た。
ドクターとしての任を受けつつも、王都の手が触れないような辺境の地に救いの手を差し伸べたいのだと。私もついていくか?と聞いたが、いいや、これは一人じゃないと意味がないのだと返される。いつも私につききりで、過保護な姉が初めて妹離れをしなきゃいけないのだと。
「お前の意見を否定するわけでは無い。でも…私には瘴気で苦しむ人を見過ごすことができない。それも、廃棄を垂れ流されてる辺境の者たちだ」
ロウはそう言った。彼女もまた、母の性質を強く受け継いで感情が激しい人物だった。それでも、狂う前はあそこまでの偏執的人間ではなかったのだ。
「まあ、それもあるんだけどさ。
単純に私は世間知らずだから、色々な所を見てみたいと思ったんだよ。母さんも、そうした方がいいと言ってくれた!」
「ふむ…往診もまあ、王都周辺や協会周りしかないものな。言わんとしていることはわかるが…私はそうならないな。好奇心が沸かないのだ。やはり私はローと違い出来損ないなのかもしれないな」
「はは、考えすぎだよハイ!向き、不向きの問題だよ。お前はちょっと感情を抱きにくいってだけ。ただそれだけだ」
努めて明るいように、そう雰囲気を変えて喋る。その時は、きっと最後の会話になるかもしれないと思っていたのだろう。当時私も、彼女は死に場所を探しているのでは無いか?という、間違った推論をしてしまった身故、馬鹿にすることはできない。
「お前とは口論ばかりになってしまったが…
私はお前のことを信頼してるんだ。今回こんな大掛かりな旅に出れるのもお前と母さんが王都にいるから」
「ククー、そうか。光栄だよ、ロウ」
ククー、という笑いのフリ。
せめて明るく、笑いを振り撒いてあれという癖になってしまった笑い声だった。作り物であっても、しかしあなたに示したいというこの感情は伝わっているようで、姉は喜んでくれた。
「行ってくる。帰りは遅くなるよ」
「ああ。怪我はしないように」
その日は、敢えて何もない日のように別れた。特別なことを言えばそれが不吉なように思えて。
結果的には、彼女は帰って来た。
しかし、8年という長い年月の後。
連絡も取れなくなり、半ば諦めていた中の帰還。
私が感涙をできる身体ならばしていたろう。
母は泣き腫らしていた。
「……汚いものを、沢山沢山見た。本当に汚らしい人たちを。ただそれでも、その中には確かに綺麗なものがある。それを知れただけで私はとても嬉しかった」
「いつか、紹介したいよ。私にな。お前や母さん以外にも大切な人たちが出来たんだ!」
少しだけ、荒んだ様子で。それでもそう嬉しそうに語ってくれた彼女は子どものように目を輝かせていた。その時は、その大事な人に会えなくて残念だと思っていたが…
きっとそれは、『こちら』の世界の…
ヴァン少年。君と、君の家族だったのだな。
なんという縁だろうな、まったく。
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