8-2

 ジーナと洗濯をした日から七日目、ちょうど一週間後のことだった。


 その日も天候は晴れ。

 僕は甲板で、クロスボウの練習をしていた。


 航海日和こうかいびよりのおだやかな午後は、突然、終わりを告げた。

 頭上から、鋭い口笛の音が鳴り響いたのである。

 マストに登って見張りをしていたエイムズさんからの、緊急警戒の合図だ。

 口笛に続いて、エイムズさんの叫ぶ声が降ってくる。


「十一時の方向に船影。こっちへ向かってくる。帝国旗を確認、敵船だ!」


 エイムズさんの緊急報告を聞くやいなや、舵を取っていたシルビア船長は冷静な口調で伝声管に向かって指示を出した。


「緊急。敵船発見。戦闘用意。デバルト、魔動シールド起動準備せよ。繰り返す。敵船発見。戦闘用意」


 僕は船べりへ駆け寄り、十一時の方角に目を凝らした。

 遮るもののない大海原、水平線のあたりに、豆粒のような小さな何かが黒っぽく見える。旗は確認できないけど、エイムズさんの報告に間違いはないだろう。

 エイムズさんは、それこそ猿のようにするするとマストから降りてくる。


 僕は何をすればいい?

 グールの島での戦闘を思い出す。

 最初は……そうだ、武器の準備だ。船倉から飛び道具を運んできたのだ。それから、鎧だ。


 船倉へ走った僕だが、あっさり先を越されてしまった。

 ベイツさんとビイロフさんが船倉で作業していたらしく、武器防具を抱えて甲板へ向かってきていたのだ。


 武器を抱えた僕たち三人の鼻先を、階下から飛び出してきた影がさっと横切った。ジーナだった。

 ジーナは一気に甲板へ駆け上がると、船長に直訴じきそする。


「船長、私にバリスタを担当させてください!」


 驚いた。ジーナがこんなに積極的に戦闘に関わろうとするなんて、僕は思ってもいなかったのだ。

 この船ではみんな平等に扱われるし、仕事をえり好みすることは許されない。戦闘も全員の連携あってこそだ。

 それはわかっていたけど、僕には、ジーナは後方支援みたいな思い込みがあったのだ。


 船長は答えなかった。

 じっと、ジーナの顔を見つめている。


「お願いします!」


 ジーナがさらに強く叫んだ。

 船長は息を一つ吐き、それから言った。


「いいだろう。ただし、敵が降伏の意志を示した場合はただちに射撃を中止すること。守れるか?」

「くっ、それは……わかり……ました。守ります」


 ジーナは左舷のバリスタに取りつき、矢のセットを始めた。


ってきたぞ!」


 エイムズさんの声だ。

 声に続いて、あの船影のほうから矢が飛んでくる。

 雲一つない青空に高く放物線を描いた敵の矢は、風をはらんで大きく膨らんだロブスター号の帆にやんわりと受け止められるように当たり、それから、マストの根元にぽとりと落ちてきた。


「焦りやがって。有効射程の外から射たって、こうなるだけだぜ」


 ギャゼックさんがニヤリと不敵に笑う。


「デバルト、魔動シールド展開」

「了解。シールド起動」


 船長の号令がかかった。

 ぶうん、と、船全体がかすかに振動する。

 船の両舷、船首、船尾など、十数か所に取りつけられた金属製の筒状の機器から、薄い緑色の光が上下へと一斉に放たれた。

 十数本の緑色の光は弧を描き、マストのてっぺんで一点に集まる。その光よりもさらに薄い色のベールのようなエネルギーの膜が、マストのてっぺんから船全体を包む。


 ロブスター号は、さながら薄緑色の巨大なシャボン玉に包まれたようだ。

 魔動シールドの完成である。


 敵船から、今度は二本の火矢が飛んできた。

 しかしその矢はシールドに当たったところで弾かれ、海に落ちてしまう。


 風は横風、二隻の距離はだんだん詰まってくる。

 敵船はロブスター号と同じくらいの大きさだ。

 マストの先端には、暗赤色の地に、野球のホームベース型の盾と槍を組み合わせた図案の軍旗がはためいている。ネフィゼズ帝国の旗だ。

 軽武装の弓兵が二人、船べりに立って矢をつがえようとしていた。


 バシン。弓弦の音がした。

 ジーナだった。

 無言のまま、なんの躊躇ちゅうちょもなくバリスタを放ったのだ。

 放たれた矢は弓兵の一人の肩へ、吸い込まれるように突き刺さった。負傷した弓兵がうずくまる。


 魔動シールドは強力な魔動機だが、ひとつデメリットがある。敵の攻撃を無効化できる代わりに、こちらからの攻撃もシールドにさえぎられ、無効化されてしまうのだ。


 ただし、例外が二つ。ひとつは魔法だ。シールドの外を発動の起点とする魔法なら、当然、シールドの影響を受けない。種類は少ないそうだけど、エインさんがグールの島で使ったファイアボールなら可能らしい。

 もうひとつがバリスタだ。ロブスター号のバリスタは、発射口が船体から大きく突き出していて、ちょうどシールドをまたぐように設置されている。そうすることでシールドの内側にいる射手は保護しつつ、攻撃は可能になるように設計されているのである。


 僕は思わずジーナに駆け寄った。

 たとえ船長が許可したとはいえ、たとえ交戦中の敵とはいえ、直接に人を傷つけるようなことを、彼女にしてほしくなかった。


「ジーナ、下がって。僕が代わりに……」


 交代しようとバリスタにかけた僕の手を、しかし、ジーナは荒々しく振り払った。そして、激しく叫んだ。


邪魔じゃましないで!」


 僕を睨むジーナの双眸そうぼうは、憎しみに燃えていた。

 僕に対してじゃない。その憎しみは、帝国兵に向けられたものだ。


 予想外のジーナの反応に僕が呆然と立ち尽くす中、バリスタの前に割り込もうとした僕をジーナは押しのけて、ふたたび矢のセットをはじめる。


 敵船はロブスター号の左舷、つまり僕やジーナがいる側へと回り込みながら接近しようとする。敵兵の顔までわかるほどの距離だ。


 近づきざま、敵兵が矢を放った。接近すれば矢が貫通できると思ったのだろう。

敵兵の腕は確かでジーナの胸元を完璧に捉えてはいたが、矢はシールドに弾かれる。


 自分が狙われたことを気を留めるふうもなく、ジーナが二射目を放った。

 矢はジーナを狙った弓兵の腹部に命中する。弓兵は苦痛に顔をゆがめ、ふらつきながら、力なく海へと落ちていった。


 僕は思わず、ジーナの顔を見た。

 ジーナは無表情だった。自分が射た相手が海に落ちていくのを見ても、顔色ひとつ変えない。眼だけが、ぎらぎらと光っていた。

 

 身を守るためだとか、戦闘中のだとか、そんなんじゃない。


 ジーナは自分の意志で、帝国兵を殺そうとしているのだ。

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