桑乃瑞希 ⑧
-7月18日 PM 8:55-
「素人にしてはそこそこ楽しめたぜ、ダイキチ」
ストライカーの靴のつま先が、目の前にあった。
アスファルトの匂いと、口の中に広がる血の味が、喉の奥で交じり合う。
「俺の魔術『ハイテンション』は、俺のテンションが上がれば上がるほどパンチの威力が増すって代物だ。雑魚相手じゃテンションが上がらなくて使いたくても発動しねえのが難点でな」
威力だけではなかった。身体の回転もどんどん速くなっていった。上下左右に振るコンビネーションで、顔に一発、ボディに二発食らった。
最後に食らったボディは、ストライカーの言う『ハイテンション』で強化され、内臓を抉られるようだった。
「もういいな。仕事に戻れ」
「おう、そうだった。時間に遅れると怒られっからな」
羽子に言われ、ストライカーは車に戻る。
立ち上がろうとする。腰を蹴られ、仰向けにされた。
羽子。大吉の頭の横に片膝を突き、手を振り上げる。
その腕に異様に筋が浮き上がる。指の関節がパキパキと鳴り、爪が鋭利に伸び、獣じみた様相に変態する。
「オレの忠告を聞かなかったのは、お前だからな」
腕が振り下ろされる。その寸前。
「やめなさい」
凛とした瑞希の声。羽子が動きを止める。
「み、ずき」
「さっき私にどうしたいのかって訊いたわね。答えてあげる。私は自分の意思で、
「瑞希ちゃん」
「陽衣菜もよ。私のことは、もう忘れなさい」
瑞希が車のドアに手をかける。
「さようなら」
瑞希の姿は車に消え、ドアが閉められた。
「瑞希の命令を聞く義理はないんだが。あいつのことは嫌いじゃないから、見逃してやるよ。でも、今度こそ最後だ。わかってるよな。お前いま、助けようとしてたあいつに助けられたんだぜ」
羽子の腕が人間のものに戻っていく。その様子が視界の端に映るのを、ぼんやりと見ていた。
車が走り去っていく。
瞼を閉じた。
残ったのは、最低な気分だけだった。
◆
-7月19日 AM 6:05-
「またこんなんか」
目覚めると布団の中にいた。
二日前と違うのは、見上げているのが格子天井だということ。
腹に重さを感じた。首をもたげると、陽衣菜が腕を枕にして腹の上で眠っていた。
陽衣菜を起こさないよう、そっと布団から抜け出した。
擦り傷のあった膝や腕、頬が手当てされている。陽衣菜がやってくれたのだろう。眠っている横に、開けたままの救急箱が置いてある。
手当てを済ませ、疲れてそのまま眠ってしまったのか。
部屋を出た。
眠らされていたのは銭豆神社の宿坊の一室だった。玄関を探す。でかい図体が、通路を塞いだ。
徹平だった。
「起きたのか。森宮たちがお前を心配してたけど、一旦帰したぜ。瑞希のことは陽衣菜から聞いた」
気を失った自分をここまで運んだのは徹平らしい。春香たちが帰ったのなら、一時退院した春香の親父には心配をかけずにすんだはずだ。
そんなとりとめのないことを考えた。
「大吉?」
反応を返さない大吉を、徹平は訝しむ。
「通してくれ」
大吉は徹平の顔も見ず、歩き出した。徹平は通路を開けてくれた。
玄関で靴を履き、境内を出る。石段を下っていると、身体が痛み出した。
その痛みも、家に帰り着く頃には鈍いものに変わっていた。
部屋に入る。
束早の靴がない。束早に心細い思いをさせないために春香が家に泊める場面が、容易に想像できた。
シャワーを浴びた。それで昨晩の汗や、身体に残っていた汚れは洗い流せた。
温度をいつもより熱く、蛇口は目いっぱい開いた。それでも、悔しさは流れ落とせない。
自分の意思だと、瑞希に言わせてしまった。
助けようとしていた相手に、助けられた。
「くそ」
シャワーの水を飲み込む排水溝に、大吉は唾棄した。
瞼を閉じて、しばらくシャワーの流れる音だけを聞いた。
インターホンが鳴った。
一度は無視したが、二度、三度と鳴らされる。
大吉は蛇口を止め、ざっと身体の水分を拭うと、下着とズボンだけ身に付けて玄関に出た。髪からはまだ水滴が落ちてくる。
ドアを開けた。フェンガーリンが立っていた。
「なんちゅう恰好やねん。あれか、水も滴るいい男のつもりか」
「何の用だよ」
「神社に行ったら帰ったいうから来たんや。春香と束早はまだ家で寝とるで。なんや昨日遅くまで起きとったみたいやからな」
大吉はドアを閉めようとした。隙間に、足を差し挟まれる。
「服来てきいや。出かけるで」
フェンガーリンが外に顎をしゃくった。
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