桑乃瑞希 ⑥
-7月18日 PM 7:15-
瑞希が来た。
陽衣菜は春香にも連絡したらしく、数分後に春香からも電話がかかってきた。
陽衣菜は喜びをかみしめている感じで、受話器越しに相談に乗ってもらった礼を言われた。春香も嬉々としていた。
自分はなにもしていない。
大吉には、無力感が強い。
それでも、瑞希が外に出て来られたのは素直に喜ばしい。
これで桑乃家の問題が好転していくのなら、自分の抱く無力感など掃き捨ててしまっていい。
「大吉、ここ、押さえてもらえる」
「ああ」
藍色の生地で、水面に広がる波紋のような柄がある。帯は薄い山吹色に千鳥格子の柄が入っている。
大吉は普段着で、通学にも使うシューズを履いて出た。
夏祭りは銭豆川を渡った先、銭豆神社の鳥居へ繋がる通りで開かれる。
出店が立ち並ぶ通り一帯は、今日の昼頃から交通規制がされている。花火が打ち上がるほど大きな祭りではない。
春香とは銭豆川にかかる橋の袂で合流した。フェンガーリンも一緒だ。
「春香も新しい浴衣買ったのか」
「そうなの。去年までのはサイズ合わなくなっちゃって」
「桜の柄が入ってたやつか」
「覚えてるんだ」
「夏の度に見てりゃな。陽衣菜たちを待たせちまう。行こうか」
大吉が先を歩く。
「束早、浴衣姿とってもかわいい!」
「そんな。春香も浴衣、よく似合ってるわ」
後ろで春香と束早が話しながらついてくる。フェンガーリンが肩を寄せてくる。
「大吉も感想言いや。女子っちゅうんは訊いてこなくても気にしてたりするで?」
白地に赤い椿の柄。無地の緑帯を腰の後ろでリボン結びにし、結び目にすこし角度を付けている。
「うるさいな。似合ってると思うよ」
「ウチに言ったかて仕方あらへんがな」
どつかれた。他人からこうせっつかれると、言う気が失せる。
ちなみにフェンガーリンは白いタンクトップに黒のパンツ、華の飾りがついたサンダルをつっかけている。メリハリのある体型のフェンガーリンは、浴衣よりこういう恰好の方が様になる。
祭囃子が近くなってきた。
陽衣菜と瑞希は橋を渡った先の交差点で待っていた。
「瑞希っ、夏祭りに来られてよかった!」
春香が駆け寄る。
「ちょっと春香、あんまりくっつかないで! 浴衣が崩れちゃうじゃない」
「あ、ごめん」
「もう」
ぷんと頬を膨らませるも、まんざらでもなさそうな瑞希。
いつもの瑞希だ。
瑞希が菫色で陽衣菜がひよこ色の、同じ柄の浴衣を着ている。
「色んな出店があるのね」
「瑞希ちゃんは来るの初めてだもんね」
「陽衣菜もでしょ」
「任せて、今日は私が二人を案内するから」
「春香が? 心配だわ」
「だ、大丈夫だよ。ほら、束早もいるし、ね」
束早は瑞希たちとは初対面だ。
「束早です。その、よろしくね、桑乃さん」
束早の人見知りが発動している。
「瑞希よ。私、名字で呼ばれるの嫌いなの。だから名前で呼んでもらえる?」
「わかったわ。瑞希」
「私も束早って呼ぶわ。いい?」
「ええ」
瑞希の歳上にも物怖じしない態度が、人と距離を置きがちな束早にはかえって良かったかもしれない。
陽衣菜とも自己紹介を済ませ、祭の喧騒に入っていく。
尚継は祭を運営する青年団の手伝いに駆り出されている。神社の息子はこういう地域の催しではなにかと忙しそうである。
「お、ちびすけじゃねえか」
通りかかった屋台から声がかかり、瑞希がむっとした。
「なんであんたがいるのよ、デカ男」
徹平は金魚すくいの屋台で、もなかで作ったポイを売っていた。
「手伝いだよ。ほれ、一枚サービスしてやっからやってけよ」
「え、いいんですか!」
瑞希がなにか言う前に陽衣菜が食いついた。徹平がにかっと笑い、ポイを渡す。
「瑞希ちゃん、やろやろ」
「しょうがないわね」
二人が広浅の水槽の前にしゃがむ。金魚が活発に泳ぎ回っている。朱に混じって、白っぽいのや黒いのもいる。
「くっ、このっ」
やりはじめると、言い出した陽衣菜より瑞希の方がムキになる。
「下手だなぁ」
「なによ、あんたはできるわけ」
「おう、いいぜ。見てろよ」
徹平は売り物のポイを取る。
「金魚すくいはこうやんのよ」
一息で金魚を小鉢に掬い上げてしまった。
陽衣菜とその後ろで見ていた春香が歓声をあげる。瑞希は悔しそうだ。
「祭の遊びうまそうだもんな、お前」
大吉は徹平の小鉢の中で泳ぐ金魚を覗く。
「おう、射的に輪投げ、型抜きにひもくじ、なんでもいけるぜ」
「ひもくじって技術関係あるのかしら…?」
束早が顎に指を当て考える。真面目だなぁ。
「あれ、フェンは?」
瑞希と陽衣菜の金魚すくいを見守っていた春香が、フェンガーリンの姿が見えないのに気づく。
「むこう。たこ焼きと焼きそばと串焼きとチョコバナナと綿あめ買ってくるってよ」
「フェンも祭り楽しんでるみたいでよかった」
春香が笑う。
陽衣菜がその場で飛び跳ねた。瑞希が朱色の金魚を一匹掬い上げていた。
「やったね瑞希ちゃん!」
「ふん、コツさえわかれば楽勝ね」
「あれ、返しちゃうの?」
瑞希は小鉢をそっと水槽につける。
「貰っても飼えないもの」
瑞希の穏やかな横顔。
狭い小鉢から、金魚がちょろりと泳ぎ出る。
祭の夜は更けていく。
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