フィーメイル・ハイジーン 〜江戸時代にタイムスリップした私は生理用ナプキンで世界を救う〜

千鶴

第1話

 便所飯。それは日常の一コマ。用を足すわけでもない私は便座に座り、コンビニで買ったサンドイッチのテープを素早く引き剥がす。

 

 ああ、暑い。


 夏真っ只中の八月中旬、こめかみには薄らと汗が滲んでいた。空調のないトイレの暑さは異常でしかない。早いとこ食事を済ませて、何食わぬ顔で教室に戻らなければ。

 私はこれでもか、というほど必死に顎を動かして咀嚼を続けた。

 現在女子トイレに私以外の人間はいない。でも、いつ誰がやってくるかはわからない。

 

「……あー、四限しんど」

 

 ほーら。考えたそばからこれだ。私は口いっぱいにサンドイッチを頬張ったまま動作を止めた。今一番耳にしたくなかった声に、みぞおち辺りがドクンと波打つ。

 

稲葉いなばの生物の授業ってさ、クソつまんなくない? まじで、ぼそぼそしゃべんなっての」

「まあね。今や誰も聞いてないしね」

「陰キャだし空気読めないし。若くて顔はいいのに、本当残念」

「仕方ないよ。赴任しょぱなの授業で梨花りかにあんな態度とったんじゃ、うちの高校ではやっていけないって。今頃後悔してるんじゃない?」

 

 おそらく鏡の前でメイク直しでもしているであろう女子二人。声から察するに一人は松平朋花まつだいらともか、そしてもう一人は酒井梨花さかいりかだ。

 彼女たち二人は、私と同じ三年一組のクラスメイトだった。

 

「後悔とか今更遅いっしょ。ってか、いよいよ耐えられなくなって辞めるんじゃない? アイツがあたしに向かって言い放ったセクハラ発言、SNSで呟いたら速攻バズってたし。教育委員会とか校長とかも動いてるらしいから」

「梨花、今SNSのフォロワー何人だっけ?」

「あー、総数で言ったらもうちょいで一万人かな」

「ヤバいね」

 

 何がヤバいのかはさっぱりわからないが、私は便座に座りながら目の前の個室の扉を一点見つめ、ただただ時が過ぎるの待っていた。二人がトイレから立ち去ってくれないと、私はここから出られない。

 

「ぶっちゃけさ、遅かれ早かれ問題にはなったでしょ。男性教師が女子生徒に向かって『なにイライラしてんの、生理中?』はいくらなんでもアウトだって」

「あれは本当ヤバかったよね」

「なんか知んないけど、変な正義感出しちゃってさ。あれ何、教師に夢見すぎじゃない? 説教とかまじ萎えた。あんなことして先生ごめんなさい展開なんて学園ドラマじゃあるまいし、ないわ。かばわれた牧野まきのですら超キョトン顔だったよね」

「そうそう、あの顔は笑えた」

 

 たぶん、私は今現在もそのキョトン顔をしているに違いない。というか、あの時だって別にキョトンを意識したわけではなかった。私は元々とりとめのない、漠然とした顔なのだ。だからといって、梨花や朋花のように容姿に気を遣ってメイクをするわけでもないのだけれど。

 

 私は無音でゆっくり深呼吸をすると、唾をぐっと飲み込んだ。そのわずかな動作で、ギュッと縛った黒髪のポニーテールが揺れる。

 ああ。はやくここから出たい。なんだかお腹も痛くなってきた。

 

「っていうかさ。さっきからそこの個室一個だけ閉まってない? 誰だよ」

 

 突然向けられた敵意に、私は思わずヒュッと息を吸う。まずい。気づかれた。

 

「盗み聞きですかー。出てきて顔見せなよ」

 

 そう言われて出て行けるはずもなく。私が無言を貫いていると、キモいだのヤバいだのと小さな悪口を吐き捨てながら梨花と朋花が近づいてきた。

 隣の個室の扉が開く。便座に立って上から覗かれたらすぐにバレてしまう。

 

「マジで、これ篭ってるのが牧野だったらめっちゃウケない?」

「それ超やばい。あ、動画回そっと」

 

 ピコン、とスマホの録画音がなったその時。私は梨花と朋花が二人一緒に隣の個室に入ったことを確信して、勢いよくトイレの扉を開けると飛び出した。

 

「あ、待てよ! 逃げんな!」

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