第4話 化学室
「では次は、こちらの化学室をご紹介いたしましょう」
前を向くと、二人はもう橋を渡り終えそうなところまで来ていて、橋は石造施設の渡り廊下に繋がっていました。
施設は森の中と違って、快適な涼しさで温度が保たれています。注視してみたところ、床は結晶質の石種が使われているようでした。艶が乗ったグレーに、黒猫は魅入られてしまいます。
「ここでは薬の開発や実験を行っています。少々散らかっておりますが、ご容赦を……」
ライトが器用にアームを動かしてドアノブを引くと、そこは本当にありとあらゆる物で溢れかえった部屋でした。机や椅子や本棚など、家具だけでもかなりの数があるというのに、三角フラスコに試験管といった実験器具まで、そこかしこに置かれているのです。
そこではツノを四本生やしていたり、三十センチほどの大きな牙を覗かせていたりと、なんの動物かも分からない獣たちが白衣を着て慌ただしく動き回っていました。
「お見受けしたところ、いつもよりお忙しいようですが、どうされたのです?」
青色の液体を沸騰させるフクロウのような生き物に、ライトが声をかけました。
彼はこちらを一瞥すると、「原料が足りないのさ」としかめっ面で答えました。
「最近気候が変わって、夜の時間が長くなっただろう? だから空を暗くさせるための、闇染めの薬をたくさん作らなきゃいけないんだが、新入りのハンターが原料を規定量まで取ってこなかったようでな……。これじゃ、必要なぶんの薬が作れないかもしれん」
「それは困りましたね……。原料は、ほかのもので代用できないのですか?」
「そうだなぁ」と、フクロウは眼鏡を外して、眉間を揉みながら言いました。
「黒のチューリップとか、ヤツデの実とか、石炭とか……自然界の黒の成分があれば代用できないこともないが……。……そう都合よくあるかねぇ」
「第五番地下倉庫に行ってみてはどうです? あそこになら……」
フクロウとライトが難しい言葉を使って議論するのを、黒猫は二人の顔を交互に見比べながら聞いていました。いまひとつ全貌はつかめませんでしたが、それでも黒の成分が必要であることはそれとなく理解できました。
彼らの議論は終わる気配を見せず、むしろヒートアップした様子さえ伺えます。
少し考えた黒猫は、「ねぇねぇ」と言って、二人のあいだに割り込みました。
「それなら、ぼくの毛皮を使いなよ」
「……」
「……」
しばらくの沈黙の末、ライトは「今なんと?」と聞き返しました。
「みんな、黒いものが必要なんでしょ? ぼくの毛皮は黒いから、使ってもいいよ!」
「……それはつまり、あなたの毛を……むしり取ってもよいと仰っているのですか? ……ご冗談を。……あなたの美しい身体に、そんなことできるわけがありません」
「いいんだよ! だって、みんなの役に立てるんだから──」
──この無能が! 使い魔のくせに、ちっとも使えないやつめ!──
ふと、女の人の怒鳴り声が黒猫の脳内で響きました。
──これは……さっきおぼろげに浮かんだ人の声……?──
記憶を辿ろうとする前に、黒猫の頭に温かいものが触れました。
ライトが、黒猫の頭を撫でていたのです。
「……お気持ちだけで、充分ですから。どうか、ご自分を犠牲になさらないでください」
固い材質のライトの腕が、黒猫はやけに柔らかく感じました。
そして、このままずっと撫で続けてくれたら、頭に浮かんだ女性の声がちりになって消えてくれそうだとも。
「……ライト。お前、ちゃんとその子を送り届けてやれよ」
フクロウの一言に、ライトは「もちろんです」と返し、黒猫を抱きかかえました。
「あとのことは、彼らに任せておけば大丈夫ですので。……私たちは先に行きましょう」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます