夜の旅
杏藤京子
第1話 スプルースの森の中
その黒猫は、少し変わった見た目をしていました。
彼はまっさらなシャツの上にチャコールグレーのジャケットを羽織り、それとセットのパンツも穿いて、首には赤みがかったブラウンの蝶ネクタイを身に着けていたのです。
重厚な生地でできたそれらの衣服が乱れることも気にしないように、彼は苔と雑草だらけの道で眠り込んでいました。
彼を取り囲んでいるのは、幹を中心として円錐形に枝を生やした無数の樹木。そう、ここはスプルースの森の中なのです。
月明かりが届かないために、辺りは木の根元と土の境目も分からないほどの暗闇でした。
しかし、どこからやって来たのでしょうか──枝葉のあいだを縫うように飛ぶ一粒の光が、黒猫のまわりで大きく回り始めたのです。
それは寝息を立てる彼の胸の動きに合わせて上下したり、小さな彼の額の上でケンケンパをするように跳ねたりしたあと、やがて彼の鼻先に静かに止まりました。
「……ん……? ……なぁに……?」
黒猫が薄くまぶたを開けると、光は金の粉をまき散らしながら、密生した木々のほうへと飛んでいきました。
「……ホタル、かな?」
顔を起こした黒猫はお尻を上げて四つん這いになり、背中を気持ち良くなるまで反らしました。そして、そのホタルらしき光に向かってわき目も降らず走り出しました。
「よく分からないけど……面白そう!」
溢れ出る好奇心が、彼の身体を突き動かしたのです。
光は森の奥深くへと進んでいき、それにつれてスパイシーな葉の匂いがいっそう濃くなっていきました。空気もさっきよりしっとりとしていて、なんだか気味の悪い冷たさがあります。
それでも、黒猫は後を追うことをやめません。
彼は入り組んだ木の根を易々と飛び越え、地面に落ちている鋭い枝を軽やかな音を立てながら踏みつけてゆきました。
光はもう、立ち上がって手を伸ばせば届きそうなほど近くにあります。
思い切って、黒猫は後ろ足のバネを使って高くジャンプをしました。
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