「とりあえず時給1800円の8時間勤務、週3~5日出勤(昇給・社員登用あり)という感じでいかがです?」

その日の夜。俺は周囲を警戒しつつアパートを出て、バイト先のファミレスに向かった。

人間、生きるためには働かなければならない。戦槌を振り回す女に終われていたとしても、ツチノコに噛まれた傷が痛んだとしても、シフトは守らなければならないのだ。


「……らっしゃーせぇー……」

「おやおや、接客態度がなっていませんねぇ。お客様は神様、ですよ? もっとも私は正真正銘の神様なのですが」


夕飯時だというのにガラガラの店内。唯一、客の入った三番テーブルにお冷を置く。

そこに座っているのはあの自称"福の神"、ハニオだった。


「なんでお前がここにいるんだよ」

「斗月さんを追いかけてきたに決まっているじゃないですか」


コイツに見つからないよう細心の注意をはらったつもりだったが、どうやら後を付けられていたらしい。

自宅はすでに知られている。そのうえバイト先まで特定されてしまったのでは、いよいよこの女から逃げ切るのも難しくなってきた。


「それにしても斗月さん、飲食店のバイトなんかしていたんですねぇ。本業は格闘家じゃなかったんですか?」

「格闘技だけで食ってけるヤツなんかそうそういねぇよ。特に、ウチみたいな地下格闘技団体じゃな」


地下格闘技団体・HOMURAは、そこそこ高い集客力と知名度を誇っている。しかしそれは、あくまで「新興の地下格闘技団体にしては」というレベルの話だ。

一試合のファイトマネーは約10万円。二ヵ月に一度というハイペースで試合に出ている俺でも、年収は60万円にしかならない。試合中に怪我をすれば、治療費でファイトマネーが吹き飛ぶことだって珍しくない。

ボクシングのようなメジャー格闘技ならともかく、地下格闘技の世界で金を稼ぐのは至難の業なのだ。HOMURAでは"絶対王者"として君臨する皇壱さんですら普段はサラリーマンとして働いているというのだから世知辛い。


「ふぅん。それでも辞めないなんて、よほど格闘技がお好きなんですねぇ」

「そうでもない。痛いのも苦しいのも嫌いだからな」

「じゃあ、なぜ格闘家なんてやってるんです?」


俺は親指で窓を指す。そこにセロハンテープで貼り付けられた紙には「閉店のお知らせ」と書かれている。

そう、このファミレスは今月いっぱいで潰れてしまうのだ。俺がバイトとして働き始めてから約半年……これでも俺の勤務先としては、まぁまぁ長くもったほうだと言える。


「普通に働こうにも、職場が次々に潰れるからな。収入源が多いに越したことはないんだよ」


HOMURAは「面白ければなんでもいい」をモットーとする地下格闘技団体。スポーツマンシップなんてものは二の次で、運営は常にエンターテインメントとしての試合を追求している。

選手が凶器を所持していようが、レフェリーが買収されようが、客ウケがよければ不問になってしまう。ハッキリ言って格闘技としての体を成していない、ろくでもない団体だ。

しかしそんな組織だからこそ、俺の"不運"が重宝されている。照明器具の落下に巻き込まれたり、カラスにつつかれて負けたりする「ネタ選手」の存在は、HOMURA運営にとっても貴重な人材なのだ。

どれだけ本気で戦っても報われない選手人生に不満がないわけではない。しかし現実問題、HOMURAは俺にとって重要なライフラインでもあった。


「このファミレスも今月までだし、また新しい仕事を探さないとなぁ」

「それでしたら斗月さん。私の仕事を手伝ってみませんか?」

「……罪のない一般人を闇討ちするお仕事はちょっと」

「失礼な。私を通り魔かなにかと勘違いしていませんか?」


勘違いもなにも、コイツが俺を闇討ちしてきたのは紛れもない事実なのだが。

ハニオはメニュー表をぺらぺら捲りつつ、「福の神のお仕事ですよ」と宣った。


「私、考えたんです。どうして斗月さんは、私の戦槌を必死で避けるんだろうなぁー……って」

「痛いからだが」

「それで気がついたんです。斗月さんはきっと、まだ福の神のパワーを信用できていないだけなんだって!」

「いや、殴られたら痛いからだが」

「福の神のパワーさえ実感できれば、きっと大人しく殴られてくれるはずだって!」

「話 聞いて???」


ハニオは「実際のところ、斗月さんはまだ私が本物の福の神だって信じていませんよね?」と言った。

コイツが普通の人間でないことは俺にも理解できる。ハニオの言葉には謎の説得力があったし、身の回りでおかしな出来事が起こっているのも事実だ。

しかし、だからといってコイツが福の神だとは思えなかった。なまじ人間じゃないにしたって、正体は悪魔や邪神かもしれないじゃないか。


「信用してもらうには、仕事ぶりを見てもらうのが一番だと思うんです。私の力で人々が幸せになる様を目の当たりにすれば、福の神だってわかってもらえるでしょう?」


俺に仕事を手伝わせ、福の神らしい働きを間近で見せつける。そうすることで俺の信用を得ようというのが、ハニオの狙いだった。

内心、俺もハニオの正体を見極める機会が欲しかったところだ。この不運な毎日を変えたいと誰よりも願っているのは俺だ。もしもハニオが本物の福の神なら、そりゃ開運にお力添え願いたい。

こんなヤツが福の神だなんて信じられないと思う反面、ハニオが本物の福の神だと信じたい気持ちも俺にはあるのだ。福の神の仕事を手伝えという提案は、ハニオの正体を見極める絶好の機会になるかもしれなかった。


「……でもなぁ、福の神の仕事なんか手伝ったって一円にもならんだろ?」


バイト先がひとつ減ろうとしている今、俺には新しい仕事を探すという急務があった。

先立つものは何より金だ。一円にもならん手伝いなんかに時間を割いていたら、いよいよ家賃の支払いさえ危うくなってくる。

しかし俺の言葉を聞いて、ハニオはきょとんとした顔でこう言った。


「え? 普通にお給料でますよ? 慈善事業じゃないんですから」

「え? 福の神って慈善事業じゃないの? 神さまなのに?」

「人を幸せにするには、まず自分が幸せにならなきゃです。誰かの不幸の上に成り立っている幸福なんて、健全とは言い難いでしょう」

「……ちなみに、給料はおいくらほど」

「とりあえず時給1800円の8時間勤務、週3~5日出勤(昇給・社員登用あり)という感じでいかがです?」


その言葉を聞いた瞬間、俺はきっかり90度に上半身を倒して「雇ってください!!」と叫んだ。

それは、それは、綺麗な最敬礼だった。


「おぁ……提案しておいてなんですが、ここまで食いつかれると若干引きますねぇ」

「俺をそこまで好条件で雇ってくれるとこなんか今までなかったから……」

「苦労してきたんですねぇ」


ハニオはにっこりと笑い「ま、宝船に乗ったつもりでいてくださいよ」と言った。


「斗月さんのことは、この私がかならず幸せにしてあげますから」


まるでプロポーズのようなその一言が、実際には「いつか必ず戦槌でブン殴ってやる」という意味であることには目を背けつつ。

俺はひとまず、来月からの食い扶持が見つかったことに胸をなでおろすのであった。

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