消えゆく灯、再生の唄
安食ねる
第1話 宣告
永遠にも思える待ち時間の末、レムはついに看護師に番号で呼び出された。
ウェーブのかかったアッシュブロンドの長髪の上からこめかみを抑え、痛みをこらえながら重い足取りで診察室へと向かう。
バリエーション豊かな検査を看護師の言うまま何度も受けさせられ、診察室の戸を引く気力さえ失っていた。
もはやこの痛みが病によるものなのか、ストレスによるものなのかさえ曖昧になっている。
「失礼します」
それでもなけなしの品性を引き出して、レムは挨拶をしながら戸を叩く。
ありがたいことに戸は自然に開いた。
「すみませんね、手間取らせちゃって」
厚ぼったい一重の垂れ目に黒ぶちの眼鏡をかけた、穏やかそうな医師がレムを出迎える。
隣りに立っている濃いアイラインの看護師が、丸椅子にかけるよう促してくれた。
「それで、検査をしてみてですけども……」
レムが丸椅子に座ると、医師は間延びした声で話し始めながらも、手をひょいとかざして開いた戸と仕切りのカーテンをまとめて閉じた。
それと同時に、デスクの上のデータボードとペンがわずかに青白く光る。
ペンがひとりでにデータボードの上を滑り出し、カルテを更新してゆく。
「やはり、脳に病変が存在しているようですね」
レムは目を瞑って大きく息を吐いた。
心のどこかで思っていた「どうせ大したことない」という希望的観測が泡と消える。
「症状は、頭が強く痛むばかりか、魔法もうまく出力できないということでしたね」
「はい」
医師は診察を続ける間、ペンが魔力による自動筆記でせわしなく動き続ける。
コツコツとペン先がボードを擦る音が、レムにとってはやけに耳障りに聞こえた。
医師は左の手のひらをレムにむかって差し出す。そこからは人の脳を模した、青白く光るホログラムの立体模型が生えてきた。
この脳が、検査によって投影されたレム自身の脳であるようだった。
医師はホログラムを巧みに操作しながら、レムにもわかるように簡便な言葉で病状の説明を始めた。
曰く、脳血管に絡んだ魔力の通り道である「回路」と呼ばれる部分が酷使され、ところどころ脆くなってしまった結果、膨らんだ脳動脈瘤のように今にも破裂しそうなのだという。
だが、医師の説明はレムの頭にはうまく入ってこなかった。
病気がどういうものなのか、脳や魔法の仕組みなどレムにとっては問題ではなかったからだ。
「それで、私はどうなるんですか」
それよりも、何をどうすればよいか、これからどうなるのか。それだけがレムの問題だった。
「このまま無理に魔法を使おうとすれば、最悪命を落としますし、助かったとしても魔法は一生使えなくなるでしょうね。当然すぐ入院ですよ」
「それは困ります」
困る、と言い返された医師の方が首をかしげて困ったような顔をした。
医師にとっては命より大事なものが存在することなどありえなかった。
だが、レムにとってはそうではなかった。
「来週コンサートがあるんです」
「コンサート?」
医師がピンとこない顔をする。
後ろに立っていた看護師が、即座に補足を入れる。
「あれ、先生ご存知ないんですか? この方、けっこう有名な方ですよ」
「へぇ、そうなんですか?」
医師はデータボードの端に触れ、ボードの機能に干渉する。
たちまちボードの端が光を放ち、壁面に患者情報が投影された。レムが問診票に記入した内容だった。
その間も魔導ペンはデータボードの上を滑り、記録を続ける。
歌声と増幅音波とステージライトが織りなす、魔法を駆使した楽劇芸術「パルスオペラ」。
そこで最近名を上げつつある新進気鋭、業界注目の弱冠17歳、若きソロ演者のレム・アスプレイ。
世間的な評価を言葉にするとしたら、こうだろう。
「来週だけじゃない、再来週、来月、1年後だって予定が詰まってる。そのために、練習だって死ぬ思いをしてやってきたんです! どうにかなりませんか」
レムは祈るような、切迫したような面持ちで医師に詰め寄った。
同時に魔導ペンが一際早く動き始めた。
声を荒げたことまで記録されるのだろうが、レムは無視した。
歌手としては、徐々に世間に名が広まりつつある。
この先を見据え、名実ともにパルスオペラのトップ奏者となって世間に自分の存在を認めさせるためには、ここで立ち止まってはいられなかった。
レムには、世界に自分と自分の歌を認めさせるという野望があった。
「落ち着いてください」
医師は机の上に脳のホログラム模型を移し、手でレムを制する。
レムが焦りの色を見せているのとは対照的に、医師はあくまで冷静で穏やかな声色を崩さない。
「おそらく脳回路の特定領域が脆くなっている原因は、先天的な回路強度の個人差に加えて、特定分野の魔法を使い続けて回路を酷使したからでしょう」
それを聞いたレムは頭を垂れる。
痛むこめかみに指を当て、もう一度大きくため息を吐いた。
医師の言わんとすることは明確だった。
まさにコンサートの予定を詰め、無我夢中で練習を続けてきたのが脳回路の異常の原因だと言いたいのだ。
だがそれは、パルスオペラに全てを捧げてきたレムにとっては皮肉としか言いようがなかった。
「率直に言って、緊急入院レベルですよ。しばらく魔法を使うこと自体がナシです」
手のひらを払うような身振りで、医師はホログラムを消した。
医師はただ事実だけを伝えていた。それが医師の果たすべき仕事であり、出力すべき「結果」だからだ。
光を出す術式を使えば、術式が機能して光を出すのと同じことだった。
「最終的には手術が必要ですが、今の時点では病変部が大きすぎて手術をするにはリスクが大きすぎます。入院治療で手術できるレベルまで回復したのち、手術、リハビリといった流れになるでしょう」
「……どれぐらいかかるんですか」
「まあ症例が多くはないのでなんとも言えませんが、1年前後の期間で考えるべきでしょうね」
レムはまた大きくため息をついた。今更医師の言葉を疑るのもナンセンスだった。
ゆえに、事実を受け入れるしかなかった。望むと望まざるとにかかわらず。
レムには自分が急にこの世に存在する価値のない、木偶人形のように思えてきた。
当然あると信じて疑わなかった未来。
人形のように虚ろになったレムの眼には、もう映っていない。
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