23

 日々いろいろなことはあるのだろうが、葛城は平常運転で高校二年の二学期を終えようとしている。

 私はあまり首を突っ込めない立場だが、兄の切羽詰まった表情や、テレビの音をぎりぎりまで絞っている祖母の態度に、受験生とその家族の苦労が垣間見えた。

 

 今年の年末年始は浮かれている場合じゃないと考えながら、母と一緒に夕食の片づけをしていたら、目の下にクマでも飼っているような顔の兄が降りてきた。

大学入試共通テストは年が明けて二週目だ。

 ずっと努力を続けていた兄にとっては、最終追い込みというより確認作業が主だろう。


「洋子、ちょっといい?」

 

 母を見ると頷いた。


「うん、なに?」


 兄が階段を上がっていったので、すぐに後を追う。


「どうしたの?」


 兄の部屋は少し寒い位の温度に設定されているようだ。


「まあ座れ。お前にもとばっちりが行くと思うから先に話しておこうと思ってね」


 兄が困ったような笑顔を浮かべた。


「志望校なんだけど、やっぱり北大も入れたんだ。もし受かったら俺はこの家を出ることになる。そうなると残ったお前に相当な負荷がかかるとは思うんだが、やっぱり諦めたくはない」


「うん、私は応援しているよ? 負荷がかかるって言っても家事が増えるくらいでしょ?」


「そんなことなら心配はしないさ。そうじゃなくてお前の志望校に口を出してくる可能性があるということだ。経済学部とか家政科とかを勧めてくるはずだから、お前が希望している教育学部は反対されるだろう」


「マジで?」


「いや、あくまでも可能性だし、俺が受からなかったら問題はないんだ。でも俺は自分の夢を叶えたい。でもそうなると洋子に負担がかかる。まあ言ってみれば板挟み状態というわけだ」


「なるほど。この時期にきてそれはきついね。でもお兄ちゃん、心配してくれて有難いけど、私はお兄ちゃんの夢を全力で応援するよ。おばあちゃんが何を言ってきても負けないから。それより全力で頑張ってよ。その方が私は嬉しい」


 兄が笑った。


「俺の妹はなかなか逞しいみたいだ。うん、そうだよな。洋子の思いは受け取ったぞ。これですっきり北大を目指せる。ありがとうな」


「頑張ってね。私も全力で頑張るよ。そう言えば北大の獣医学部って偏差値高いの?」


「高いか低いかの基準が良く分からんが、最難関と言われているところで77くらいだ。北大で67くらいだから、地方大学の医学部くらいかな。ちなみにお前の目指している桜花女子大はもう少し低くて50くらいだ」


「……そんなところを真剣に目指せるランクにいるお兄ちゃんはすごいね。絶対に頑張って! 受かったら三日連続で肉祭りにする」


「お! 良いねぇ。最高の援護射撃だ」


「1日目はステーキで、2日目がしゃぶしゃぶ、そして最終日は焼肉だぁ!」


「よしっ! やる気が出てきた! お前もがんばれよ。俺はどこにいてもお前の心配をしているし、必ずここに戻って来る」


 兄の笑顔から陰りが消えた。

 それにしても、わざわざ部屋に呼んでまで話すほどのことなのだろうか?

 まあ、後顧の憂いが消えたのなら良かったが。

 階下から風呂に入れと声がかかり、私は兄の部屋を出た。

 この季節は部屋を温めてから風呂に入らないと、すぐに風邪を引いてしまう。

 私は部屋のストーブにスイッチを入れてから風呂に向かった。


 廊下からガラス越しにリビングを覗くと、まだばあちゃんがテレビを観ていた。

 あれほどまでに兄を優先し、後継者としての期待を一身に背負わせているこの人は、兄の希望を知っているのだろうか。

 知っていて知らんふりを決め込んでいるのなら、少々たちが悪いと思う。


「おばあ様、お風呂をいただきます」


 わざとらしく声を掛けると、ばあさんは振り返って頷いた。


「風邪を引かないようにするんだよ。優紀さんにうつりでもしたら大変だからね」


 安定のソルティアンサーだった。

 我が家の風呂は入る順番が決まっている。

 一番風呂はばあさんだ。

 二番が兄で、三番が父。

 基本的には母がその次に入り、私は風呂掃除をするので最後になる。

 私は季節を問わず、この風呂掃除が好きだった。


 勉強もそうだが、やらされていると感じると辛いものだが、やりたくてやるなら楽しい。

 今の葛城はやりたくて勉強をしている感じがヒシヒシと伝わってくる。


 ガンバレ葛城! 負けるな葛城! 


 いや、お前もがんばれよ? という声が聞こえたような気がした。

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