異星人

 この宇宙は無限ともいえるほど広大で、そうなるとそのどこかには私たちと同じような知的生命体が存在するのではないかという話がある。

 近年の科学の進歩によって、さすがに宇宙戦争などのSFに代表される火星人は誠に残念なことに存在しなそうなことが明らかになってしまったが、何億光年先にいる何者かが我々にメッセージを送ってくる可能性はまだゼロではない。

 ここでそういった宇宙というもののロマンを語りたいのは山々なのだが、あいにく今日はそんな話をしに来たのではない。

 私がしたいのは、仮に異星人が地球にやってきて共存するとなった時、私たちにそれを受け入れる度量があるのかどうかという話である。

 近ごろ、我が国では少子高齢化を受けてか外国人の数が異様に増えた。あるいはグローバル化が進んだからというのもあるかもしれないが、そのあたりは今回あまり関係ないので割愛させていただく。

 何にせよ、街を歩けばさまざまな国の人々を見かけるようになった今日こんにちなわけだが、それは労働力不足解消などのメリットもありつつ、一方で諸問題も引き起こしている。

 まずは宗教上の問題である。例えばイスラム文化圏の人々は、私たちが日々何も思うことなく食べているものが戒律で制限されていたり、日に何度も祈りを捧げねばならなかったりする。しかしもはや私たちと共生している彼らをいつまでも特別扱いするわけにもいかず、彼らはイスラムに対して理解の浅い日本の文化の中で苦労を強いられている。

 日本には「郷に入れば郷に従う」という言葉がある。これはその場所にはその場所のルールがあるのだから、外からやってきたものはそのルールを守るべきだとう教えである。これは非常に便利な言葉であり、それゆえに少し危険な言葉とも言える。

 この言葉の威力は絶大で、日本で生まれ育った人々でこの言葉を知らぬ人はいないと言えるほど皆が知っている。だからこそ、ハラール給食などで日本のルールがイスラム側に少しでも偏ると、それに猛反発する人間が現れる。

 ここでくれぐれも誤解してほしくないのは、私が生粋の日本人であり、決して売国奴などではないということである。ただ、私はこのような話をする時に、こうして断りを入れなければろくに話を進められない現状を憂いているのに過ぎない。

 話を戻そう。要は我々(というのは少しアレだが)日本人は、自国の文化や慣習を非常に大事にしており、それを歪められることを嫌悪しているという話である。そのくせパンやらパスタやらを食っているじゃないかというのは、キリがないのでここではやめておこう。

 さて、ここ最近でも秋葉原(正確には違う)にモスクが建設中であるというのが大変話題になっていた。

 反発している人の意見をまとめると、どうやら日本が外国人たちにどんどん侵食されて、『日本人の国』ではなくなっていくことに危機感を抱いているようだった。何と壮大で興味深い話だろうと思いつつ、私がここで問いたいのはただ一つである。

 日本人とは一体何であろうか。

 近年いわゆるグローバル化というものが大きく進み、国際社会は例を見ないスピードで発展している。我が国も諸外国の協力なしでは国民の生活を維持していくことができないようになっている。

 だからこそたくさんの外国人が日本で暮らしているわけだし、反対に多くの日本人が世界中で暮らすようにもなっている。

 そうなったとき、何が私たちを日本人たらしめるのだろう。

 書類上の国籍は行政上で自分が何人であるかを定義しうるだろうが、いわば魂が何人であるのかを明確に定義するものはこの世に存在しない。それは結局は当人の考え次第で、されどそれは周りを納得する熱量をはらむものでなければならないように思える。

 例えば私がここでアメリカ人であると主張しても、アメリカで暮らしているわけでもなければそもそもアメリカに行ったこともないのに、それを認めてくれる人はいないだろう。これは書類上でアメリカ国籍を取ったからといって解決する類のものでもないと考える。

 さらに、国際化が進んだこの世界で、例えば生まれた後何ヶ国も点々と生活した人はどの国に自分のアイデンティティを見出し得るのだろうか。

 グローバル化とは、各国の国境が薄くなり地球という一つの集合体へとなることではないのか。

 であれば、もはや私たちは日本人というより、地球人として定義される方が正しいのかもしれない。

 もしそうなのだとしたら、私たちがいわゆるを破る人々に過剰に反応するとは、これほど馬鹿馬鹿しいこともない。つまり我々はいわゆるが崩れ去るのを黙って見るしかないのか。

 そうではない。むしろ、そうなる可能性をそこにみたからこそ、は躍起になってを守ろうとしているのである。

 なるほどその思想自体の正当性を私は疑いはしないが、そのやり方には異議を唱えざるを得ない。

 いま声高にその必要性を叫ぶ人間は、日本の文化を理解できていない人間を排除することで日本を守ろうとしている。プラトンが国家から詩人を追放したように、外国人を日本から追放するか。

 けれど国家から彼らを追放したところで、彼らはこの地球の外までは追放されないのである。ましてグローバル化の進んでいる現代において、彼らを追放するということはどれだけ意味を為すであろうか。

 最後に申し添えておくと、私は別に日本がなくなることを望んでいるわけでもなければ、誰かが誰かを差別することを容認しているわけでもない。

 ただ、を過剰に危険視する人々に一言、君たちが見ているのは本当に真実かと問いたいだけなのだ。

 だけで肩を組み、その他を排斥するのは容易いだろう。ただそのが何たるかを定義するのが困難なのである。ただ生まれた場所や肌の色などのステータスでそれを決めてしまう単純さに私は警鐘を鳴らしているのに過ぎない。

 国家を守るとは困難なことで、そう簡単に成せることではないと言うことを自覚するべきだ。


 これらの諸問題は非常に厄介で、未だ解決するそぶりを見せない。これからどうなっていくかを予想するのも難しいが、一寸先は闇とは今に始まった事ではないだろう。

 私たちがやるべきことは、アレルギー反応のように何でもかんでも排除することではなく、きちんと向き合うと言うことではないだろうか。わかっている、私は月並みなことを言っている。けれど諸君にはどうか、私がこんな月並みなことを言うために筆を取らねばならなくなった事態の深刻さを認識してほしい。

 私が今願うのは、いつか異星人が来訪してきた際、手を取り合い、それを祝福できる人類でありたいと言うことである。

 くれぐれも、宇宙戦争がフィクションではなくなってしまうようなことがないようにと言い添えて、駄文を締め括らせていただく。

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