異世界ホストは帰りたい。〜異世界に来たのはいいものの、なぜか隣に俺を殺した奴がいるんだが〜

沙悟寺 綾太郎

プロローグ ホストの川流れwith天使

 やはりというべきか、順風満帆な人生とは行かなかったらしい。なまじやり残したことも多い。なんならこの前、レンタルビデオ屋で借りたB級サメ映画も結局返さずじまいだし、髪だって一昨日染め直したばかり。しかも、美容院で高い金を払ってまで、だ。

 理不尽、圧倒的理不尽。せめて、貯めに貯めた金を使い果たすくらいの時間は欲しかった。


 俺こと、獅子谷ししたにあきら25歳は沈みゆく川の中腹で尊い人生というやつの感想を述べていた。

 お天道から差し込む街の灯りは俺の体と共に水底に落ちていく。刻一刻と遠ざかる水面へと腹からは赤い血の狼煙が伸びていた。

 痛くはなく、むしろ内蔵深くまで突き刺さった短刀の刃先の方が、ちくちくと肌を刺すような冷水よりマシだ。

 ああ。これは助からないだろうな。

 多少足掻くことは出来そうだったが、既に肺の中にも川の水が入っている。それに、腕にも足にもあまり感覚がない。夜の闇のせいで方向感覚もない。

 俺は、何故だか未だにはっきりした意識の中で人生の最後を思い返してみることにする。


***


 確かその日の店にはジャズが流れていた。

 天井から吊り飾ったシャンデリアから伸びた白い光が豪勢な合計八つのボックス席、並びにバーカウンター、その奥の酒のボトルなど店内のあらゆるところに燦々と降り注いでいる。

 腰を下ろしていたのは革製のソファー。正面、大理石のテーブルの上には、もう中身の少ないボトルのウイスキーが氷の入った三つのコップと共に立っていた。

 ホストクラブ〜摩天楼天国〜。

 俺が勤める店だ。高校卒業からすぐにこの店に入ったから、七年目になる。


「レオさん、今週のジャンパー読みました?」


 左の眼鏡をかけた女性から、声が掛かる。

 ちなみに、レオというのは源氏名だ。

 獅子谷の獅子を取って、そのままレオ。


「お? 読んだ読んだ。まじで今熱いよな!」


 ジャンパーは所謂、週刊少年誌で連載されるだけで一流漫画家の仲間入りとも歌われる国内最大の少年誌だ。


「そーなんですよ! もうサウザンドピースの伏線回収が上手すぎて!」


「分かるわ、あの作者は天才だな」


「そうですよね! 私、つい三ヶ月前まだは興味もなかったのに、いつの間にか夢中になってて」


 ホストの心得、其の一。ホストたるもの、どんな話題にも着いていくべし。流行りの漫画、小説、スポーツ、ファッション、ありとあらゆる会話を極める。それがホストという職業だ。


「玲子ちゃんだけじゃなくて、私とも話しましょーよ」


 会話に熱中していると、右の女性がぷっくりと頬を膨らませながら、スーツの袖を引っ張ってきた。


「ごめんごめん。あ、確かみゆきちゃんは大阪ハンターズファンだよな?」


「え、覚えていてくれたんですか?」


「もちろん、確か三塁の大島が好きなんだよな? いや、この前の試合。とんでもないファインプレーだった」


「あ! 見てたんですか!? かっこいいですよね! まるで、ボールがグラブに吸い込まれるみたいでした!」


「分かる、あれは打ったバッターも可哀想だよな」


 ホストの心得、其の二。客の話してくれた情報は絶対に覚えておくべし。たったそれだけで喜んでくれるお客は多いからだ。


「でもまあ、俺としては? キャッチャーの笹川が好きだなぁ。あの髭、渋くてかっこいいし、捕球も上手いし、バッテリー組んでみたい」


「そっか、レオさんは元球児なんでしたっけ?」


「そうそう、元々は右の本格派として地元じゃ有名だったんだぜ?」


 ちなみに、嘘ではない。少しの誇張はあるが。


「すごい! レオさんがプロチームにいたらチームごと推しになっちゃいそうですぅ」


「そりゃ、ありがとう。あ、そういえば、玲子ちゃん。ジャンパーの新連載の野球スポ根ものあるじゃん?」


「え、あ、はい」


 ホストの心得、其の三。

 ホストの数が少ない卓の場合は、特にお客を暇にさせないべし。ホストなんて、所詮はお客が楽しむための舞台装置に過ぎないからだ。


「あれ、超おもろい。あ、そーだ。みゆきちゃんにもおすすめ。あの作品は現代の選手を意識したキャラ出てくるから、野球に詳しければ詳しいほど面白いぜ?」


「へぇー、それはちょっと気になるかも」


 時間は、そろそろか。


「二人共、お金は大丈夫?」


 ずばり俺は尋ねた。


「え、まあ、そろそろですかね?」


「うん。そろそろ……」


「分かった」


 手を挙げてボーイを呼ぶ。お会計の合図だ。


「今日はありがと。二人と話すの楽しいからあっという間だわ」


「もー、上手なんですからぁ」


 ホストの心得、終の章。

 お客に必要以上にお金を使わせてはいけない。基準としては、同じ客に月に二十万円以上。これはうちのオーナーが決めた基準だ。

 昨今、ホスト狂いという言葉が浸透したように、ホストクラブはイメージが良くない。

 ならば、クリーンな店にしようとオーナーは考えたのだろう。

 それに客ごとの単価が少ない分、回転が早く、元々来客は多いので意外と儲かる。だから、その仕組みに今ではホストの皆、賛同していた。俺だってそうだ。

 他人の不幸は蜜の味とも言うけれど、それは結局大して美味しくない。


「それじゃ、また来ますね? レオさん」


「おうよー、いつでもお越しくださーい」


 店外まで見送ってから、俺はほっと一息をつく。同時に、辺りを見回した。

 目の前は大阪ミナミの大通り。ネオンの燦々とした光が目に悪い。眠らない街とはよく言ったものだ。ただ付け加えるとしたら、とんでもなく汚い。

 ポイ捨ては日常茶飯事、ゲロも普通にある。吸い殻なんてもはや数えきれない。

 時は、既に午前3時を回っているが、まだ人通りは少なくなかった。


「んー、疲れたー」


 今のが今日の最後の客。これで勤務は終わりだ。今日は激動の5時間だった。

 今日から出勤の新人は来ないし、ボーイの一人は体調を崩して、早退。ハプニングだらけの一日。

 そのまま借りているマンションに帰ってもも良かったが、なんとなくに俺はとある場所はと向かった。本当にただの気まぐれ、偶然。その後、起こることを予感は勿論、ましてや当然知ってなどいなかった。


「今日も濁ってんなぁー」


 道頓堀の戎橋えびすばし。大阪の中では有数の観光地であり、大坂ミナミの中心と言える。

 おいおい、せめてペットボトルは投げ捨てるなよ。そんな風に水面に浮かぶゴミを流し見てから、俺は戎橋の手すりにもたれ掛かった。

 なんやかんやと自分でも意外なくらい生活できている。

 昔とは大きな違いだ。

 疲労感を払うよう体を伸ばしていると、胸ポケットに入れたスマホが鳴った。


「もしもし?」


『もしもし、私だけど』


 そう言ってきた時点で誰かは分かった。


「おやおや、これはこれは。俺のお姫様。あかりちゃん」


 伊野村あかり。お客ではなく、かれこれ十年近い付き合いになる女性。

 恩人の妹だ。


『あんたにお姫様なんていないでしょ。 それより、再来週の話だけど』


「ん、あー、それは……」


 しまった。言い淀んでしまった。バツが悪くなって、俺は川を眺めた。なんとなく気がまぎれる。


『──姉さんも、多分寂しがってると思うけど』


 心の底から賛同する。

 あの人ならば、きっとそうだと思った。

 あの人は底抜けに明るいくせに、随分と寂しがり屋だったから。


「まあ、その……仕事もあるし、行けたら行くみたいな?」


『そう、無理なのね』


「いや、行けた行くって」


『そう言って去年も一昨年も来なかったじゃない』


「まあ……その……ん、は?」


 会話の途中、そんな疑問符が口から溢れたのは何気なく、振り向いた時だった。

 静かだった。普段ならば、こんな時間でも、なんやかんやと人が歩いているはずのこの街が。


『晶? どうしたの?』


「ごめん、ちょっと切る」


『え、ほんとにどう……』


 ありえない。こんな様子を見たのは、初めてだった。


「誰も、いない……?」


 まるで、自分以外の人全てが消失してしまったのではないかと錯覚するほどに、静寂は長く、不安を煽る。


「ちょ、ちょっと、待て待て」


 俺は咄嗟にスマホを開いて、『大阪 ミナミ 人がいない』と検索をかけた。

 しかし、該当は無し。交通規制や歩行者規制の類ではないらしい。


「おいおい、どうなってんだこりゃ」


 なんだ、なんでだ? ここは大阪のミナミ。大の都会だぞ。人が突然誰一人としていなくなるはずが……。

 

「──獅子谷晶さんとお見受けします」


「っ!?」


 風鈴のような背筋が冷える声。すぐ正面から聞こえた。俺は、恐る恐る視線を向ける。

 立っていたのは、向こう側の手すり。黒いローブで全身を覆い隠し、目深にフードを被った人物。

 顔は帷とフードのせいで見えなかったが、体躯、声音から少女であると分かった。


「そうだけど……誰?」


「お気になさらず、私はただの根無草です」


「おいおい、ここは人情の街だぜ? 挨拶する時ぐらいフードは取れよ」


「……」


 なにか考えている素振りだった。

 数秒の間が空いて、少女はため息を吐く。


「それがこの世界の礼儀ですか。面倒臭い」


 フードが取り払われると同時に、中から溢れた白い髪がばさりと揺れた。

 白磁機のように白い肌、金色の瞳。その容姿はまるで。


「……天使、みたいだな」


 その表現が妙にしっくりくる。


「天使……天使。ああ、天の使いにして、死者を天国。つまりは別の世界へと連れて行く者とも言われる存在、ですね」


 一人、少女は頷く。


「……なるほど。ええ。ある意味、そうとも取れるかもしれませんね」


 まるで、覚えたての言葉を思い出すような口振り。

 何者か。いや、それはどうだっていいか。どうせ、想像したところで答えは得られないのだから。


「そんで、使ちゃんは俺に何の用? てか、この現象もお前の……」


「──*****」


「っ!」


 少女は何かを言った。それは間違いなかった。けれど、聞き取れない。いや、恐らく理解が間に合わないのだ。

 その言葉を、脳が文字に変換できない。いくら置き換えようとしても、文字化けのように狂い、その意味は愚か発音すらも分からない。

 そして。


「──死んでください。私と共に」


 その言葉は、ちょうど顎の先、ほんの数十センチ前方から聞こえてきた。

 いたのだ。手を伸ばせば、抱きしめられるほどの距離に。少女は。


「ちっ! 何者……」


 視界が一瞬、ぐちゃぐちゃに歪んだ。

 強烈な痛みと、燃るような熱さが腹部を穿ち抜く。


「なんっ、だよ。お前!」


 咄嗟に腹部に触れると、手はべっとりと生暖かい赤一色に染まった。


「天使。私はそれでいいと思っています」

 同時に、体が浮いた。背後の川へと蹴り飛ばされたのだと、手すりが遠かってから理解した。


「──ごめんなさい」


 最後に聞こえた少女の言葉を皮切りに、耳に届くものは川の流れに歪み曇り、手足は痺れ、目は水面を捉えながらも、ついには暗澹たる水底へと沈んでいった。

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