第3話
妻のエッセイ漫画は夜の営みだけでなく、日常についても描かれる。この日は日常編の更新だった。
『高校教師と妻』
1.旦那さんから、こんな話を聞きました。とある女教師が、一重の女の子にアイプチを推奨しているというもの。(ヒエエ、恐ろしい世の中)
2.その女教師は、SNSの使い方を指導していた新人教師にも噛みついたそうです。「若い子の楽しみを奪ってどうするの」
3.指導されていた女子生徒は、女教師に尊敬の眼差しを向けました。「Mセンセ、わかってるぅ」
4.(生徒に媚び売って何がしたいんだろう? 教育者の自覚がないのかな?)なんだかその夜は悶々としてしまいました。(一重の子、あなたはそのままでかわいいよ)
さすがに抗議した。
「これ、消してくれないか。昨日の話と全然違うじゃないか」
「違って当然でしょー、そんなのフィクションだもん。トシくんは架空のキャラクター」
妻は相手にしてくれない。
「でも実体験風に描いてるだろう」
案の定、コメント欄はお祭り騒ぎだった。「生徒の人生を狂わす害悪教師」「私にも高校生の娘がいるので他人事とは思えません」「二十年教師をやっています。そんな教師は即刻辞職させるべき」
意外と読者の年齢は高いのだなと、智史は場違いなことを思った。
「今更消すなんて無理だからね。信用無くすでしょ」
「信用って……」
寝ぼけたことを。たった今フィクションと言ったじゃないか。
智史は憂鬱になった。できればアカウントごと消して欲しいくらいだ。たまに入る日常編が、夜の営み編と温度差がありすぎてゾワゾワする。お前が何言っとんじゃいと、自分の化身に突っ込みたくなる。
学校では新たな問題が起きていた。住吉が同級生を殴ったのだ。担任教師から話を聞けば、相手の男子生徒が住吉を挑発するような発言をしたらしい。本人からも話を聞いてやって欲しいと言われ、部活中に呼び出した。
「お前がキレるなんて珍しいな。そんなに嫌なこと言われたか」
「別に、キレてなんかいません」
道場の隅で話しているので、部員がチラチラと視線を寄越してくる。
「じゃあ何があった。何か気に触るようなことを言われたんだろう」
早く解放されたいのか、住吉は部員の方を見る。
「お前が何も言わなきゃ、先生はアイツの言い分を信じるぞ。理由によっちゃあ、夏の大会も出場停止にするからな。お前だけの問題だと思うなよ」
智史が凄むと、住吉は頬を引き攣らせた。薄い唇を噛み締め、消え入りそうな声で言う。
「あいつ、由香里ちゃんとやったんです」
「やった?」
言ったと同時に理解した。なんだ、くだらない。智史は脱力した。
「槙野先生に言われたことがどうしても気になって、由香里ちゃんに聞いたら、あいつに無理矢理されたって言うから」
たちまち全身に力が入った。先にそれを言わんかい。
「無理矢理って……それ、飯島は誰かに相談したのか?」
「嘘ですよ」
住吉は乾いた口調で言った。また部員の方を見る。
「嘘?」
「由香里ちゃん、嘘つきなんです。同情を引こうとしてそういう嘘をつくみたいです。俺の時は、二股を誤魔化すためでもあったんだろうけど」
「それは、誰かから聞いたのか?」
住吉は一年生部員の方へ顎を突き出した。
「さっき、由香里ちゃんと同じ中学だった一年生から聞きました」
「そうか……で、どうなんだ。お前の気持ちは。あいつにまだ腹が立つか」
「いえ、もうどうでも良いです。由香里ちゃんのことも」
智史は頷いた。住吉は傷ついたかもしれないが、就職試験に集中する良いきっかけとなった。
しかし、いまどきの女子高生はどうなっているのか。住吉を部活に戻した後、智史は道場を回りながら考えた。二股をかけ、同情を引くためにレイプをでっち上げる。罪悪感はないのだろうか。それともなんらかの精神疾患があるのか。どのみちロクな大人になるまい。
いや、と思い直す。それを軌道修正するのが教師の役目ではないのか。教師は、学生が社会に出るまでに接する数少ない大人だ。時にはプライベートにまで踏み込んで、厳しく指導するべきなんじゃないか。
「森川先生、ちょっと良いですか」
部活終わり、智史は森川を呼び止め、駐車場で向かい合った。
「うちの部員が同級生を殴った件、わかりますよね」
「ええ」
「本人から事情を聞きました。飯島という生徒が原因でした。二股をかけていたんです。うちの部員が」
「槙野先生」
言葉を遮られ、ムッとする。
「そういうことを、他人に漏らすのはどうかと思います。住吉くんですよね。彼は槙野先生だから打ち明けたんじゃないんですか?」
漏らす? 報連相だろう。智史は完全に気分を害した。
「生徒の問題を共有するのは当然でしょう。飯島は森川先生の生徒だ」
「一体、何が問題なんでしょう。住吉くんが大倉くんを殴った、それだけのことです。大倉くんは絆創膏を貼って帰りました。本人も反省しているそうです。それで解決したと思いませんか?」
「思いません。飯島は二股をかけていたんですよ」
森川がクスッと笑った。珍しい。智史は不覚にもドキリとしてしまった。しかしここは怒るところである。
「何がおかしいんですか」
「いえ、槙野先生って純粋なんですね」
カッと頭に血が昇った。
「森川先生は、そうやって生徒のことも小馬鹿にするんですか」いや、それはないだろう。既婚の三十男だから笑ったのだ。しかし続ける。「二股をかけられた生徒は傷付いているんです。軽々しく考えないでください。もう一人は、無理矢理の罪を被せられたんですよ」
「誤解は解けたんでしょう?」
「まあ……はい」
「なら良いじゃないですか」
森川が車へ行こうとする。このまま終わりたくない。智史は咄嗟に言った。
「俺は反対です!」
森川が振り返る。
「目細工も、SNSも、生徒には必要のないものです。目細工に至っては心身に悪影響です。大人になったら整形に手を出しかねない」
森川が眉根を寄せた。
「槙野先生は、美容整形を悪いことだとお考えですか?」
面食らった。自分は何を問われているのか。美容への理解か、教師としての資質か。
しかしこの女のアンサーなら分かる。この女は整形賛成派だ。どうせ、コンプレックスを克服するためならやった方が良いと、浅い考えで生徒にアドバイスするのだ。だったら自分は反対だ。
「反対です。整形で顔を変えるより、本来の自分を好きになるべきです。顔は手を加えるべきじゃない」
「同じことを、あなたは整形をした生徒にも言えますか?」
森川が厳しい口調で言った。
「森川センセー、マッキー、ラブラブー!」
上から声がし、二人同時に校舎を見上げた。四階の窓から飯島が手を振っている。その隣には、また別の男子生徒がいた。
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