栄光たる信濃

霜月葵

プロローグ

1937年11月4日。

大日本帝国海軍は、史実とは異なり、戦艦ではなく空母を起工した。

その理由は、山本五十六を含む反戦艦派の増加によるものだった。


世界では、未だに大艦巨砲主義が主流であり、空母は主力艦ではなく補助戦力として扱われている時代。

そんな中、戦艦よりも空母を優先する動きを見せた大日本帝国に、列強諸国が注目しないわけがなかった。


勿論軍内部からの反対もあったが、山本五十六らにより空母『信濃』建造は推し進められていった。


それから3年後。日本の軍部は支那事変に頭を悩ませていた。

それは、連合国による中国への支援、所謂援蒋ルートである。

どうにかしてこのルートを遮断しようと画策しているとき、ヨーロッパから朗報が飛んできた。


世界の反対側で第二次世界大戦を戦っている盟友ドイツからである。

彼らはフランスを降伏させ、親独政権であるヴィシー政府を立ち上げた。

軍部はフランスの植民地だったフランス領インドシナへと進駐することを決意する。

その後、日本軍は1940年に南部仏印へ、1941年には北部仏印へと進駐した。

さらに、ドイツとイタリアと日独伊三国同盟を結んだ。


これらの行動は、太平洋の反対側に存在する超大国、アメリカとの関係を非常に悪化させることになる。

次第に増していくアメリカからの禁輸政策や、ABCD包囲陣による石油の全面禁輸措置。

アメリカとの戦争は回避にできないものとなっていった。


そこで、日本政府はアメリカとの開戦を決意。

アメリカと戦争となれば、海軍の増強は必須とされ、空母『信濃』の建造が急がれた。

そうして、1941年10月9日。

信濃型航空母艦一番艦、『信濃』が就役した。

基準排水量は約63000トン、全長約260mと、世界最大の空母となった。

就役後、信濃は第一航空戦隊へ配属とされた。


1942年1月7日。

アメリカ軍の基地が存在する、オアフ島真珠湾が火の海となった。

帝国海軍が奇襲を仕掛けたのだ。

この日は偶然にも米海軍の空母『ホーネット』『ヨークタウン』が入港していた。

帝国海軍航空隊は的確に敵戦艦、敵空母を攻撃し、戦艦5隻とホーネットを真珠湾内で撃沈。

ヨークタウンは運良く出港準備がほとんど済んでいたため、出港し、日本艦隊の迎撃へと向かった。

しかし、真珠湾沖にて交戦中、接近していた戦艦『長門』の主砲弾が命中、航空用燃料に引火したことで轟沈していった。

続く第二波、第三波攻撃によって石油タンクや修理ドックを破壊し、真珠湾基地は瞬く間に使用不可能となった。


さらに、同日に行われた英領マレー半島に対する攻撃も大成功を納めた。


その後、珊瑚海海戦、マレー沖海戦でも連合国の主力艦を数隻撃沈する大戦果を上げる。

そんな中、初代信濃艦長が病気により急死。

二代目艦長として、歴代最年少で中将に昇格した長代ながしろいつきが指名された。

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