第10話 禍根は今なお残っているようです

 仏頂面のトヨに案内された先は、町の片隅にある朽ちかけたビルだった。


 元々は一階にカフェが入っていたらしいそこは、今では大衆食堂として運営されているらしく、老若男女問わず、多くの市民が詰めかけて朝食を取っていた。


 だが、大勢いる客の中に厄獣は一人もいない。食堂の入口に『厄獣お断り』の看板が掲げられているからだ。


 食事中の彼らは、タマキが腕の中に抱いている『客人』を視界に入れると、話すのを止めて露骨に顔をしかめる。トヨがそちらを睨み付けると、叱られた子供のように客たちは縮こまるが、こちらに向ける嫌悪の目はそのままだ。


 それでも大きな騒ぎが起きていないのは、タマキとシータが一見するとただの人間に見えるからなのだろう。


「本当に、ここでは厄獣が毛嫌いされているんですね」


 苦々しい思いを抱えながらタマキが呟くと、先導していたトヨはフンッと鼻を鳴らした。


「当然だよ。この地区は人間至上主義者の最後の砦なんだからね」


「最後の砦?」


 尋ね返したタマキの言葉には答えず、トヨは足音荒く店の奥へと進んでいく。タマキとシータは控えめにその後ろ姿を追いかけた。


 厨房を通り過ぎ、かつては従業員の休憩室であっただろう部屋へと入る。その内装はボロボロの家具ではあるが整えられ、数人が居住する分には問題ない状態だった。


 トヨは部屋の奥に鎮座しているソファにどかっと腰かけ、懐からタバコを取り出して火をつけた。


 深く吸い込んだ煙を細く吐き出すトヨの向かいのソファに、タマキとシータは腰を下ろす。タマキは膝の上に『客人』を乗せると、犬猫を撫でるようにその毛並みに手を置いた。


 トヨは自分が宙に吐いた煙を不機嫌そうに睨んで黙り込んだ後、観念したかのように二人へと向き合った。


「さて、何から話すべきか」


 そうやって切り出され、タマキは咄嗟に答えられずに隣のシータと視線を交わす。シータは心得たという顔で頷くと、口を開いた。


「トヨさん、この地区の方々はどうしてここまで厄獣を嫌っているんですか。どれだけ忌み嫌っても現実に厄獣は市民として認められているんです。そもそも厄獣への過度な差別は『五芒協定』で禁止され――」


「シータさん!」


「――もごっ!」


 あまりに直接的な問いかけに、手のひらを使ってタマキはシータの口を塞ぐ。突然言葉を封じられたシータは不服そうにもごもごと言っていたが、首を細かく横に振るタマキに渋々言葉を続けるのを諦めた。


 そんなコントのような二人のやりとりを無表情で眺めた後、トヨはもう一度タバコの煙を吸い込んでから答えた。


「ここでは昔、厄獣狩りというのがあってね」


「厄獣狩り、ですか?」


「この町の人間は、汚らわしい厄獣を見つけては、生きたまま火あぶりにしてたのさ」


 タマキはぽかんと口を開けて固まった後、その言葉が意味する悍ましい行為に全身の産毛をぶわりと立てた。


 生きたまま火あぶりにしていた。火の中で生きられる厄獣でもない限り、それは惨い処刑方法でしかない。少なくとも、現代を生きる人間が行っていい蛮行ではない。


 この言い方では、それを行われたのは一人や二人ではなかったのだろう。


 厄獣とはただの駆除対象だと自分に言い聞かせていたかつての己ならまだしも、厄獣一人一人に尊重すべき理性があると知ってしまった今、その被害者が感じたであろう恐怖はありありと想像できてしまい、タマキは喉の奥にせり上げてくる胃液を必死で抑え込んだ。


「30年前、突然トコヨ市の中央に大穴が空いた。そこから溢れ出てきた厄獣どもを、最初は誰もが毛嫌いして追い返そうとした。その前線基地がこの地区にあったんだ。自然とここには過激な奴らばっかり集まってね。……他人事のように言ってるが、アタシもその一人さ」


 淡々と告げられる内容にタマキは相づちすら打てずに硬直し続ける。その膝の上で、『客人』は大きくあくびした。


 トヨは自嘲するように小さく笑った。


「厄獣どもも黙ってやられてるわけじゃなかった。殺された仲間の報復で人間を襲って、さらにその報復で人間は厄獣どもを襲って……今思えば本当に酷い有様だったよ」


 乾いた笑いとともにトヨは言葉をつむぐ。


「そんなある日、『五芒協定』とやらがどこか遠くで結ばれた。これ以上、人間と厄獣が争うのは止めましょうってな」


 苛立った様子でトヨは吐き捨てる。そこに込められた嘲りに、タマキは戸惑いの目を彼女に向けた。


「厄獣っていうのは、群れのリーダーの決定に従うものなんだね。あいつらはそれに従って報復活動をやめた。でも、アタシたちは放置されたままだ」


 トヨは視線を落とすと、拳を握りしめながら唸るように続けた。


「『五芒協定』なんて、アタシたちには他人事の綺麗事なんだ。どこか遠くで偉い奴らが勝手に決めただけのこと。アタシたちと厄獣たちの間の決着はついていない。この町にはずっと、そういう憎しみが渦巻いてるんだよ」


 叫びだしたいのを堪えるように、トヨは言葉を吐き出す。タマキはそんな彼女の内側に荒れ狂う感情に、同調する思いと困惑する思いを同時に抱いていた。『客人』の体の上に置いていた手に知らずのうちに力がこもり、『客人』は不思議そうにタマキを見上げた。


 タマキは様々な感情を抱えたまま黙りこくった後、恐る恐る彼女に尋ねた。


「トヨさんは……今回の事件は、その報復だと思ってるんですか?」


「それ以外にあるかい。被害に遭ってるのは、揃って人間至上主義の集団ばっかりなんだよ?」


 彼女の言葉に、タマキは混乱していた思考が猛烈な勢いで回り始めるのを感じた。


 事件現場からは『客人』の痕跡が発見された。だから『客人』の仕業だと思っていたが違うのか?


 まさか、人間至上主義者たちに対して、『客人』を使ってテロ行為を行う犯人がいる?


 もしそうだとすれば、犯人の動機はやはり――


「トヨさん、僕は『托卵』です。厄獣に育てられた純血の人間です。そんな僕から、今の話への感想を言ってもいいですか」


 不意に口を開いたのは、それまで黙って話を聞いていたシータだった。その声にハッと正気に戻り、タマキは顔を上げる。


 トヨは突然の問いかけに不機嫌そうな顔のまま言い放った。


「好きにしな。聞くだけ聞いてやる」


「はい、好きにします。ありがとうございます」


 ぺこりと頭を下げると、シータはトヨに対して姿勢を正して話し始めた。


「知識としては知っていました。過去にこの地区で厄獣狩りが行われていたと」


 シータの言葉に、トヨは驚愕を滲ませた表情になる。そんな彼女の変化を気にせず、シータは淡々と続ける。


「でも、その因縁がいまだに存在していることは知りませんでした。昔は大変だったのよ、と母からこの町の歴史として過去形で教わっていました。……でも違ったんですね。この因縁は過去のものではなく、今にも続いていたんですね」


 後半の言葉は、シータにしては感情がこもった声色だった。自分が知らなかったことに対し、罪悪感を覚えている。それを伝えるには十分すぎる言い方に、トヨは気まずそうに目をそらした。


「アタシは、自分たちが間違っていたとは思わない。厄獣どもを殺して回ったことは、今でも正しかったと思ってる。たとえそれが悪いことでも、そうしなきゃ生きられなかった時代だった。だけどな……」


 トヨは一度言葉を切ると、消え入りそうな声で言った。


「母親が人間に焼かれてる前で、混じり者のガキがこっちを睨み付けてたんだよ。涙を流しながら、憎しみに燃えた目でな」


 その光景がありありと目に浮かび、タマキはぎゅっと拳を握りしめる。


 もし、自分の母親が自分の目の前で火あぶりにされたら。そんな想像をするだけで、己の内側にほの暗い感情がわき上がるのを感じる。実際にその場にいた子供の感情は察するにあまりあった。


「アタシは、あの目だけは忘れちゃいけないと思ってる。あの罪を、あの憎しみの目を背負うのが、あの時代を先導した人間としての唯一の義務だ。アタシはそう思ってる」


 誰にも譲る気はないという強い意志を込めた目で、トヨは宣言する。


「だとしても、アタシたちの世代の行いのせいで、今の若い奴らが報いを受けることを許すわけにはいかない。もし犯人が見つかれば、どんな規則も無視してそいつらに報復するさ」


 堂々と意思表示をするトヨに、タマキは何も言い返せなかった。隣にいるシータも同様に黙り込み、考え込んでいるようだった。


 そんな二人に、トヨは寂しく笑った。


「なぁ、半端者ども。人間でも厄獣でもないお前らはどう思う? こんな私たちを愚かだと笑うか?」


 自暴自棄にも似た声色で問いかけられ、タマキは何度も口を開きかけては閉じた。


 首都防衛隊で厄獣を殺して回っていた自分に、彼女たちを糾弾する資格はない。だけど、今なおこの地区にある憎しみの連鎖が、この先も続いていいものではないことは分かる。


 たとえ綺麗事でも、納得できなくても、かつて『五芒協定』に従った市民が正しいのだと断言できる。


 でも、それに従わなかった彼らを、間違っているとただ断罪してもいいのだろうか。個人の感情を完全に無視して、「あなたたちは間違っている」と告げて、それで何かが変わるのだろうか。


「俺、は……」


 いくら言葉を探してもふさわしい結論は見つからず、タマキは言いよどむ。ちらりとシータを伺ったが、彼にも答えが見つからないようで、困惑の眼差しと目が合うだけだった。


 その時――轟音とともに建物が揺れた。

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