第7話 古典とクソ
奴隷の首輪と「動くな」の命令で何もできないまま、魔王討伐に出発する準備だけは周囲で着々と進んでいく。
「では頼んだぞ」
「「はっ!」」
と、身勝手国王に送り出されて、騎士団が敬礼する。
どうやら王子の警護役らしい。
「生きて帰れ。逃げても構わん。お前は死んではならん。いいな?」
「心得ております、父上」
身勝手国王が、身勝手王子に身勝手なことを言っている。
クソがクソを垂れている。クソだからクソを垂れるのか? クソを垂れるからクソなのか? クソの本質とは何だろうか? クソでなければクソを垂れようとも思わないだろうが、クソはクソを垂れていることに気づいていないのだからクソを垂れようと思わない事は共通してしまう。従って、仮にクソを教育し更生させるとしたら、まず最初に「お前が垂れているのはクソだ」と認識させることが必要になる。いったい、どうやって……? 指摘したところで本人は「クソではない」と思っているのだから難しい。では試しに逆を考えてみよう。クソを垂れないクソがいたら? どこぞのマフィアは殺す相手にプレゼントを贈って殺意を隠すという。だがそのまま殺さなかったら、ただのいい人だ。クソではない。するとクソを垂れなければクソではないのか。でも最初にクソを垂れないクソ……つまり「垂れないだけでクソである」という前提で考え始めた。矛盾してしまう。しかもクソを更生させるヒントにならない。そうか「逆」の方向性が違うのか。x軸からy軸に「逆」の考え方を切り替えよう。つまりクソを垂れるクソにそのクソを浴びせるのだ。これは効果的だろう。問題はクソを浴びせる方法がないことだ。奴隷の首輪。忌々しい枷だ。これもまたクソが垂れたクソに他ならない。
「では、勇者には伝統に従い、ひのきの棒と100Gを与える」
木の棒とコインが差し出された。
俺は動けない。
「……おっと、そうか。『動いてよい』そして『受け取れ』」
体が勝手に動き、木の棒とコインを受け取った。
古典が過ぎるぞ、クソ国王め。こんなのでどうやって魔王を倒せと? などという怒りや批判や呆れよりも……マジかよ、伝説のアレかよ。というオタク的な感想が先に立ってしまう。
一種の諦めだ。
こんなクソな状況でこんなクソな事をされたら、笑うしかない。
木の棒が実は世界樹の……とか。
100Gが実は非常に価値の高い……とか。
そんなミラクルは絶対に期待できないだろう。
ちくしょう。こんなクソ展開が続いたんじゃ、読者が離れちまうじゃねーか。
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