第10話 初めての仕事(2)

 リルはテーブルに茶葉の瓶を並べると、指差しながら説明する。


「今回のお茶は、地属性の苔【安寧の日々】をベースに、【風乗り草】と【月の調べ花】と【儚凪草】と【閑なる刻】を加えます」


 想織茶は最初に基礎となる一種類の茶葉を選び、その味に合う別の茶葉を適宜加えて作っていく。

 宝石みたいに色とりどりの輝きを放つ、詩歌のような響きの植物の欠片を匙で掬い、ティーポットに入れる作業はいつだって心が踊る。

 でも、一番好きなのは、湯を注ぐ瞬間。

 ティーポットという小宇宙の中で煌めく茶葉達の香りが弾け、旨味が混ざり合う。個性が調和して生み出される新たな世界。その創造主になれることこそが、リルの至上の喜びだった。

 慎重に茶葉の量を決め、いざ湯を注ごう! ……と思ったその時、


「あ、お湯沸かしてない」


 リルは重大な準備不足に気づいた。


「スイウさん、お湯はありますか?」


 訊かれた魔法使いは深緑のローブを翻し、部屋の隅に鎮座するかめの前まで足を運ぶ。


「これが飲用水だ。お茶にはこの水を使うといい」


 リル一人を沈めてもまだ余裕のありそうな大瓶には、なみなみと透き通った水が満たされていた。家の中に飲み水が用意されているのは便利だなと感心しつつ、


「それで、お湯を沸かす場所は?」


「どこでも」


 リルの再度の質問に素っ気なく返すと、スイウは近くにあった鉄の水差しを手に取ると、ザブンと瓶に沈めて水を汲んだ。そして、滴る雫をそのままに水差しを見つめ「沸け」と呟く。

 すると、水差しから白い湯気が噴き出した!


「え? どういうこと!?」


 驚いて覗き込むと、水差しの中の液体はふつふつと気泡を上げながら煮え立っていた。


「すごい! これも魔法ですか?」


 昨日と同じテンションでキラキラな瞳で見上げてくる少女に、魔法使いはコクリと頷く。


「私にもできますか?」


「やろうと思えば」


「どうやって? 水差しと仲良くなればいいんですか!?」


 食いつくリルに、スイウは表情を変えずに答える。


「水差し云々うんぬんではなく、湯を沸かしたい意志が強いか否かだ」


「お湯を沸かしたい意志……」


 口の中で反芻したリルはぐっと決意を固めると、水瓶の前に立って、備え付けの柄杓で水を掬った。目を瞑って、深呼吸を一つ。それから目を開けて……!


「お湯になれ!!」


 気合の叫びは高い天井に木霊した。

 ――くわんくわんと細い残響が霧散すると、少女は涙目で魔法使いを振り返った。


「……何も起こりませんが」


「だろうな」


 当然とばかりに頷くと、スイウは冷静な足取りでテーブルに戻っていく。


「湯が冷めるから、早くお茶を淹れてくれ」


「はぁい」


 リルは肩を落としたまま、スイウの沸かした湯をティーポットに注ぐ。


(お湯を沸かしたいって気持ちは絶対あったのになぁ〜!)


 やっぱり、一般人リルには魔法使いスイウと同じことをするのは無理なのだろうか。

 しょんぼりしながらも、今は目の前の想織茶に集中しようと心を切り換える。


 ――そんなリルの手の中で、水差しの湯がふつっと小さく再沸騰したことに……彼女は気づいていなかった。

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