第39話 シリアスはあっという間に消え去るもので

 好き?誰を?僕?最初っからっていつ?


 あまりに急すぎる彼女の告白に思考が追いつかなかった。


 ――好き。


 彼女の言葉がずっと頭の中をぐるぐる駆け巡り、僕の思考を奪い取っていく。これがいつもみたいに酔っ払った状態で抱きつかれて耳元で言われたとしたら冗談で終わらせられた。終わらせられたはずだった。


 ――好き。


 また彼女の声が頭の中を駆け回る。いつもなら冗談で済ませてしまうその言葉が、声がまた僕の思考を奪い取る。


「ちょっと?聞いてる?」

「え?」


 腕を引っ張られて意識を現実に戻された。目の前には彼女の顔。吸い込まれそうな彼女の目に僕の顔が映っていた。


「わたしが聞くのもアレだけど、大丈夫?もう着くよ?」

「着くってどこに――」


 顔を上げるとアパートまでもう少し、最寄り駅から来るルートに合流していた。


「いつの間に……」

「ちょっと。ホントに大丈夫?」


 ここまでどうやって来たのかまったく覚えてない。覚えてるのは彼女が鼻歌まじりで車道に出て少し歩いては戻ってきてを繰り返していたことだけ。途中にあるはずだった神社も、コンビニも大きめのスーパーも、通った記憶がない。


 けれども、僕は彼女を安心させようと無意識で言葉が口から出た。


「大丈夫……だと思う」

「ならいいけど。案内もしてくれたし。ここまで来れば目を瞑ってても行ける」

「電柱に激突するだろ」


 反射的に出たツッコミに彼女が口を尖らせた。


「そんなアホじゃないから大丈夫だってば!ほら!」

「そんなアホだから言ってんだよ!!」


 ホントに目を瞑って歩き出した彼女を捕まえようと右腕に力を入れたところで違和感を覚えた。


 右手が重い。


 見てみると、右手にロング缶のアルコールが数本入った袋がぶら下がっていた。見覚えのあるコンビニのロゴが入ったビニール袋に首を傾げた。


「コンビニなんて寄ったっけ?」

「覚えてないの?さっき寄ったじゃん。道を渡る前に」


 と、彼女が僕の後ろを指した。コインパーキングの向こう側にあるコンビニで調達したらしい。


「全然記憶にないんだけど」

「記憶になくても買ったんだって。あ、ちゃんとお金は払ったよ?わたし持ちで」

「当たり前だろ。自分しか飲まないのに僕に払わせるな」

「ケチ。いいんだよ?アサカも飲んで。そのために買ってるんだし」

「絶対飲まない。酔って寝たらどうなるかわかんないし」


 こんないろんな意味でブレーキがぶっ壊れ気味の女の前で無防備を晒したら、ホントに既成事実を作られてしまう。それだけは絶対に避けなければ。


「別に取って食おうなんてしないって。まあ、いずれはするかもしれないけど」

「そんなことしたら出禁にしてやる」

「スズが泣きついてくるけど、それでもいいならどうぞ」

「僕の部屋の話だけど」

「そんなのアサカにできるわけないじゃん」


 ケラケラ笑う彼女。


 おかしい。部屋を提供してるのは僕で、間違いなく僕の方が優位なはずなのにまったくそんな気がしない。


 そんなくだらない話をしていたらアパートの階段までやってきていた。


「アルコール飲まないならなに飲むの?部屋になんもないでしょ」

「あ~……」


 言われて思い出した。いつも飲んでるスティックタイプのインスタントのカフェオレがちょうどなくなったんだった。すぐそこにコンビニはあるけど、わざわざカフェインをドーピングして起きてるよりも寝る方がいい時間帯。そんな時間に買いに行くわけないし、むしろこれから酒盛りをしようとしてる方がおかしい。


 とはいえ、この状況で寝るって選択肢はないわけで。


「水、かなぁ。あんまり好きじゃないけど――え?」


 階段を登り切ったところで僕は足を止めた。


「どうしたの?」

「……だれ?」


 僕が指を差す先には壁に寄りかかって膝を抱え込んでる人の姿があった。膝の上に頭を乗せているせいで顔は見えない。この時間に人が来るなんて心当たりはないし……。誰だろ?


「だれってわたしに聞かないでよ。アサカん家でしょ」

「この時間に来る率が高いのはそっちでしょ」

「……それはそうかもだけど」


 僕を盾にするように肩から顔を出す。


「ん?あれ?なんでここに?」


 姿を見た瞬間、彼女の口からそんな言葉が出てきた。


「知り合い?」

「知り合いっていうか、アサカの方がよく知ってる知り合い」

「なんだそれ?」


 彼女は僕の横を通ってその人の肩を叩いた。


「通行の邪魔なんですけど~」


 反応なし。


 いや、ちょっと待って。


「そんないきなり行って大丈夫なの?」

「大丈夫大丈夫。っていうか、アサカこそわかんないの?」

「わかんないから聞いてるんだけど」


 遠まわし過ぎて余計わからなくなっていると、溜息を吐かれた。


「なんでわかんないかなぁ。アスナだよ」

「え」


 寝落ちしてるけど、と彼女が付け加えると、膝を抱え込んでいる人が顔を上げた。


「ん~うるさ……あれ?つきの?なんでここに?」


 ふにゃふにゃの声だけど、たしかにアスナの声だった。


「それ。こっちのセリフなんだけど。なんでここにいるの?今日来るって聞いてないよ?」

「ん~……アサカには言った。帰り際だったけど」


 アスナの声に彼女の視線が僕を向いた。


「って言ってるけど。聞こえた?」

「聞こえた。んで、聞いた。いいともダメとも返事できなかったけど」


 僕がそう返すと、彼女は大きなため息を吐いた。


「アサカさぁ……そういうのはもっと早く言ってよ」

「今思い出したんだからしょうがないでしょ」

「はぁ……なんでこんなの……」


 溜息になにやらぶつくさ言ってる彼女にアスナが頷く。


「わかる。なんでこんなのがいいのかわかんないよね。普通だったらキレてるはずなのになんかどうでもよくなっちゃったし」

「ね。立てる?っていうか、いつ来たの」

「ムリ。足に力が入んない。いつ来たかは――わかんないや」


 ん。と僕に向かってアスナが手を伸ばした。


「どうしろと?」

「動けないからおんぶ。手に持ってるのとドアを開けるのは月乃で」

「逆じゃない?」


 そういうとアスナは頬を膨らませて彼女を睨んだ。


「あとで絶対マウント取ってくるからイヤ」

「ふ。よくわかってるじゃん」

「?」


 なんのことだかわかんないけど、アスナがいいって言うならいいか。


 ドアの鍵だけ開けてアスナに背中を向けてしゃがむと僕の首にアスナの手がまわってきた。さらさらで柔らかい腕が僕の首を撫でる。遅れて肩甲骨のあたりに厚手の生地の向こうに柔らかいものがある感触が2つ。


「ゆっくりね。足しびれてるから」

「はいはい」


 よっこいしょ、と立ち上がる。


「いだだ!?」

「なに!?」


 言われた通り、ゆっくり立ち上がったつもりだったのに、急に大きな声を出されて落っことしそうになった。


「ちょっと!落ちる!落ちるからちゃんとして!しびれてるだけだから!早く!」

「はいはい」


 言われるがままドアの前からアスナを退かす。


「くぅ~……あ~……ビリビリする~」

「マッサージする?」

「しなくていい!ってかさっさと開けて!」


 ニヤニヤ顔の彼女にアスナがドアを指した。


「いいの?でもアサカはまだ開けてほしくなさそうだけど?」

「は?」

「いいから開けて。僕も腕が引っこ抜けそう」

「ちょっと?わたしそこまで重くないんですけど?」

「いだだ!?つねるな!そこめっちゃ痛いんだぞ!?」

「知ってる。だからやってるんだし」


 いや、やるなよ。めっちゃ痛いんだぞ。


「足のしびれをごまかすのにちょうどいい、か。たしかにアサカならちょうどいいかも」

「そゆこと」


 アスナさん。そこ、同意するところじゃないんですけど?


 僕がそうケチをつけると、2人とも鼻で笑った。


「それがそうでもないんだよねぇ」

「そっそ。ほら、いいからさっさと中に入る」

「言われなくても入りますよ……」


 はあ。なんでこんなことに……。

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