第20話
あの日から、僕と牧野の間に、奇妙な関係が生まれた。
学校にいるときは、牧野梨花は「天才」として、僕は「殺人鬼のクローン」として、周りに扱われる。彼女は羨望の眼差しで見られ、僕は常に、嫌悪と畏怖の眼差しを向けられるのだ。
二人の間になんの接点も無く、言葉を交わすことはしない。例え話しかけても、彼女は頑なに無視をした。しつこく話しかけると、周りが「僕が牧野を襲っている」と勘違いして、よく先生を呼ばれた。
だが、放課後になると、その関係は変わった。
牧野梨花は一直前に僕のアパートにやってきて、扉を激しく叩く。部屋に入ると、ローファーも制服を脱ぎ捨て、僕のクローゼットからTシャツとハーフパンツを強奪して着た。そして、糸が切れた人形のように布団の上に倒れ込み、夜になるまで眠った。彼女が安らかな寝息を立てる横で、僕は制服を洗濯したり、水や茶菓子を用意したりした。
この関係は、友達と言うよりも主人と従者だと思った。
目を覚ました牧野梨花は、来た時よりもすっきりとした顔をしている。そして、必ず僕に「ありがとうね」と言った。そう言われれば、今までの横暴も水に流されたようで、怒るに怒れなかった。本当、ちょろい男に育ってしまったと思う。
早くに目が覚めても、彼女は十一時まで僕の部屋に留まった。気まぐれで神経衰弱をしたり、オセロをしたりしたが、彼女が強すぎて相手にならず、結局、盛り上がることは無かった。そのため、ほとんどは会話をすることで時間を潰した。
会話…と言っても、牧野の一方的な質問だったが。
「あんたはさ、どうやって生まれてきたの?」
「牧野と同じだよ。母親の子宮の中で育って、膣を通ってこの世に出てきた」
「粘土をこねて作ったのかと思った」
「まあ、受精卵を一度取り出して、別の遺伝子を移植するっていう点では、粘土を捏ねて何かを作る作業と通じるところがあるのかもな」
「冗談よ馬鹿」
そう辛辣な言葉を浴びせ、別の質問をした。
「親は、いるの?」
「静江さん。僕はクローンだからね、もちろん血は繋がっていないよ」
「それって、棚の上の写真の人?」
「うん、綺麗だろ。大好きな人なんだ。だけど、半年前に死んだ。交通事故だよ」
「ああ…、なるほどね」
人のことを「殺人鬼」呼ばわりするくせに、そのときだけは、気まずそうな顔をした。
「じゃあ、その静江さんが、あんたの受精卵をお腹に入れて産んだの?」
「いや、静江さんは育ての親で…、生みの親とは違うよ」
親はいるの? という質問に対し、生みの親ではなく、育ての親を先に述べたことに関して、彼女はある程度察したように頷いた。
「受精卵に、幸田宗也の体細胞を移植したのが、尼崎翔太って男で、その受精卵を着床させて産んだのが、赤波夏帆って女。まだ刑務所の中だけど、狂った人間さ」
笑いながら言った。
「あいつらは、本気で死者蘇生を願っていたんだ」
もう、彼らの記憶は殆ど残っていない。
「生まれた間もない僕に、『幸田宗也』って名前を付けて育てたんだ」
肩を竦める。
「静江さんには感謝してるよ。あの人がいなかったら、『篠宮青葉』って名前ももらっていないだろうし、こうやって高校に通うこともできなかったから」
言った後で、俯いた。
「まあ…、おかげで、孤独な日々だけど」
自虐気味に言った。
「いっそ、殺人鬼として生きた方が、幸せかなあ?」
ふいに洩れた言葉に、牧野梨花がきょとんとした顔をしたので、僕は慌てて取り繕う。
「だって、そうだろ? 僕がこうやって、周りから罵詈雑言を浴びせられるのは、僕が殺人鬼のクローンだからだよ。僕がどう足掻いたって、その事実が変わるわけじゃない。だったらいっそ、最悪な人間は最悪な環境に身を投じた方がいいのかな? って…」
言っていて、悲しくなるのが分かった。
「どぶ川に住む鯉と一緒だよ。きっと濁った水の方が住みやすいんだよ。いっそ、生まれなきゃよかったかも…」
こんなことを言っても仕方がない。
「変な話をしたな、悪かった」
僕は頭を掻きながら、その話を強引に終わらせた。
それから、牧野に言った。
「僕ばっかり喋るのも不公平だ。なんかお前も話せよ」
「やだ」
牧野梨花は、きっぱりとそう言った。
でも、言った後で、顎に手をやり、少し考えた後、これだけは教えてくれた。
「私、出来損ないなの」
その答えだけで、僕は嬉しくなって、笑った。
「そりゃあ大変だ」
僕と牧野の日々は、二週間ほど続いた。
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