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先日、髪を切った。人生初のパーマもかけた。イメチェンである。見せる相手が今のところ家族しかいないので、面白い反応は見られなかった。
せっかくイメチェンをしたのになという気持ちと、見せる相手が少ない方がイメチェンをしやすいよなという気持ちがある。
多くの人と関わりがあるときにイメチェンをすることに抵抗がある。学校や会社に所属しているとき、見た目を大きく変えることで発生する、質問責めや陰口が苦手だ。自分のささやかな自信が削られていく気がする。辱められている、とも思う。
人の努力をちゃかす風習が苦手だ。例えば英語の発音。学校で少しでもネイティブに寄せた発音をすると笑われた。LとRの発音の区別をつけようと頑張っていると馬鹿にされた。
おしゃれもそうだ。髪の毛を整えたり、アクセサリーを身につけたり、化粧をしたり、突然自身の身なりを整えようとすると、「色気付いてる」と貶められる。
こと人間関係においてもそういうことは多かったように思う。初対面の人と話すとき、特にこちらがコミュニケーション下手で、下手に出るしかないとき、冷笑は強くなる気がする。
賢い人間は隠れて努力することを学び、愚かな人間は努力を放棄し、それどころか人を笑う立場に立つこともしばしばある。特にこの風潮は学生時代が一番強かった。
私は愚かで弱かったので、人に笑われ、努力をやめ、腐り、人との関わりをなるべく希薄にしていった。
すごく後悔している。あのときからちゃんと努力をしていたら、もっと違った人生だったかもしれない。少なくとも愚痴をここに書くような人間ではなかったはずだ。
人生は後悔の連続だ、という言説をよく聞く。昔はそんなことはないと思っていたが、まったくその通りだと今になって思う。
今をよりよく生きて、未来の自分の後悔に変えていくという不毛な連続こそ人生だ。
いつだって過去は恥と悔いで満ち満ちている。
学生時代のコミュニティでの立場は、その後の人生においても更新されない、というような言説もどこかで聞いたことがある。
これも真実だろうと思う。立場の向上を狙っても、どのようにすれば自分が軽んじられないのかの振る舞いが分からず、奇跡的に人から慕われることがあっても長くは続かない。背伸びにも限界があるのだ。
だからといって、向上するための努力を無駄だとは思わない。続けていれば、立場は変わるかもしれないし、いずれ型にはまるかもしれない。
もし何の結果が出なくても、努力をしたという事実は自信になるだろう。反対に、努力をしていないとそれすら自責の種になるから、できる限りは努力するべきだ。
今の髪型を友人に見せたときのことを考える。褒めてもらえたら一番いい。最悪バカにされてもいい。ただ楽しんでもらえたらいいと思う。
基本的に自分に起こったイベントは、幸不幸関わらず、楽しいこととして処理してほしいので、髪を切ってイメチェンしたことも楽しんでほしい。
短いがここで終わる。
ここ数日、何にもやる気が出ない日が続いている。いい文章も思いつかない。ただ生きているだけだ。情けない。
生活をなぞるような生活、とでもいえばいいのか、頭が使い物になっていないと感じる。
仕事もせず寝てばかりいる人間には無理なのだろうが、欲を言えば、もう少しまともに生きたい。
そのためには泥臭くても努力しなくてはいけない。ちゃんと生きられるように、変わらなくてはいけない。あのときの後悔をこれ以上繰り返してはいけない。
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