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最近、Xの #短歌 #tanka のタグで短歌を見るのにハマっている。一日に2、3回はタグを検索して、新しいものが出るたび楽しく読んでいる。
自分でもいくつか作ってみたがどうも上手いものができない。途中まで短歌が五七五七七ということすら忘れていたくらいだ。
言い訳をさせてもらえるのなら、自分が見るもの見るもの、構成を感じさせない〈文章として〉のうつくしさがあったから忘れていた。
その後、五七五七七でも作りなおしてみたが、やはり自分が見ていた歌のようにはいかない。どこか無理やりこじつけた感じがあったり、当たり前のことを当たり前に言っているだけの文章になってしまう。これでは短歌とはいえない。
いつかこんな短歌を作ることができたらと空想をする。
とはいえ、全てがすべて気に入らないというわけでもない。手前味噌で申し訳ないが、いくつか個人的に気に入っているものを紹介させてほしい。
〈幸せと言葉に出すから四文字で、想いにすれば♾️(インフィニティ)〉
最後のインフィニティがいい具合にふざけていて個人的には面白い。エッセイタイトルをダジャレにするような人間だから、たぶんユーモアセンスが死んでいるのだろう。
〈二文字すら断られるからあなたとは会話ができない声も聞けない〉
叶わない恋を荒削りながら表せていると思う。初めは姿形にもフォーカスしていたが、二文字から声のみにフォーカスしてみた習作だ。叶わない恋ばかりしていると声すら聞けないことはよくある。悲しいが。
〈魂を削ってようやく半人前 骨身も削れば一人前か?〉
0人前という造語を使って、生きづらさを赤裸々にしようと考えたが、あまり格好良くなかったので解雇した。反語を使い、骨身も魂も削ったら人体そのものが残ってないということを示唆したかった。0人前という言葉を使い勝手が悪いという理由で解雇する自分も、誰かを生きづらくさせているかもしれない。
自分で解説するというのは気恥ずかしいものがあるが、自分が作ったときには気づいていなかった意図にも気づけて、勉強になる。小説でも一度やってみてもいいかもしれない。
学生のとき浅学ながら、短歌や俳句に触れる機会があった。自身の歌の後に紹介するとは烏滸がましい限りだが、そのとき出合った好きな歌を紹介したい。
〈
鞦韆とはブランコのことで、秋の季語らしい。ブランコを漕ぐような軽やかさで、愛を奪ってしまえという、清々しいほどの略奪愛の歌だ。悪女らしからぬ軽やかさと爽やかさが心地いい歌だ。声に出して読むと元気になる。
〈二つ文字 牛の角文字 直ぐな文字 歪み文字とぞ 君を覚ゆる〉(吉田兼好)
誰もが知る『徒然草』に出てくる、有名な歌だ。
二つ文字(こ)牛の角文字(ひ)直ぐな文字(し)歪み文字(く)
と暗号になっていて、「あなたを恋しく思っています」という意味になる。父を恋しく思う幼少の延政門院が詠んだ歌で、悪戯っ子ないじらしさと、素直な気持ちが伝わってくる、自然と口角が上がる短歌だ。
さらに恐縮だが、歌人をテーマにした小説もここで紹介したい。
一作目は『戻り川心中』所収作「戻り川心中」(連城三紀彦/光文社文庫)だ。
「戻り川心中」は連城三紀彦の《花葬》シリーズの代表的作品だろう。苑田岳葉という嘱望された歌人が起こした、二度の心中未遂事件の謎を追うミステリで、現在と過去から描かれる。
ストーリーやミステリはもちろんだが、連城ミステリといえば、情と詩美にあると私は思っている。触れればほつれてしまいそうなほど繊細で、しかし揺るぎない一本の背骨が突き刺さっている。連城三紀彦にしか描き出せない世界だ。
そう思っていた。
しかし、次に紹介する『禁断の罠』所収作「供米」(米澤穂信/文春文庫)にも、連城ミステリを彷彿とさせる、情や詩美を感じた。
「供米」は、詩人小此木春雪のらしくない遺稿集がなぜ出版されたのかを軸に、春雪の人間性を深堀りしていくミステリだ。
この作品には、まず無駄がない。簡にして要を得た文章と伏線のそつなさは特に際立って洗練されている。
重要な場面において、一文を印象づけるために、それ以前の文にまで気が払われている。なにより文体が格好いいのだ。
そして、情と詩美。
人を思うとき人はどういう行動をとるのか、が大きなテーマだったと思う。詩人の業が謎をうみ、解き明かされたとき、ようやく春雪もその妻も救われたのではないか。
そして先を想像させる終わり方には風情がある。盆の暮れ、夏の爽やかな風を浴びながら、読み返したい一作だ。
二作はどちらもお気に入りだ。ぜひ読んでみてほしい。きっと文章の美しさ、構成の美しさに目を奪われ、ストーリーに虜になるはずだ。
ここ最近、読み返すと笑ってしまうほど、暗い話ばかりをしていた。もともと暗い人間ではあるが、最近は輪をかけてひどい。
そうした現状を少しでも客観視できるようにというのが、短歌をやってみようと思った出発点だった。
はからずも功を奏している。
短歌を作り始めてから、精神が安定したというわけではない。ただ、つらい考えがよぎっても、つらいことを思い出しても、短歌として昇華してしまえばいいと思うようになった。
このエッセイを書いているのと、理由はほとんど一緒だ。私は自身の文章によって、自分を救おうとしている。
小説がもともとその立ち位置にあったのだが、ここ二、三年で、自分の人生の深くまで入りすぎていて、難しくなっていた。
小説は今や精神を崩す最たる理由といっても過言ではない。上手く小説を書けないことは、上手く生きられないことと同じくらい、つらい。
これからも短歌は作ると思う。見かけたとき読んでもらえたら嬉しい。反応をくれたらもっと嬉しい。
いつか短歌もエッセイも書く必要がなくなったら、と空想をする。
書く必要をなくすためにも、私は書き続けなくてはいけない。死ぬ理由をなくすため、生き続けなければいけないように。
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