声?



(……ああ、本当に可愛い人間だ)


 テーブルを挟んだ向こう側。

 青ざめた顔をカップに向け、言葉を失った男――浜九里颯太を見ながら思う。


(それにしても……この口調で合っていただろうか。宿主たるこの女の記憶を読み取って再現してみたが、いかんせん不安だ)


 宿主の記憶を、感情を、精神を読み取り、模倣する。

 それは地底から発掘された古代遺跡を、現代の技術で復元するという行為に似ている。

 当時の記録や文献を紐解きながら、かつての姿を緻密に再現する。


 言うなればトレース――いや、擬態と呼ぶべきか。


 言葉のチョイス、口調、声色、表情、挙動、視線の動かし方。

 無意識に取っていたであろう行動ですら、完璧に履行してみせる。

 

 人間への寄生。そして肉体の簒奪。


 今まで何度か経験しているが、やはり楽しいものだ【楽しい?】。

 ……ああ、そうだ。これが楽しい。楽しいという感情だ。


 眼球で物を見て、肺臓で呼吸し、五本の指で把持し、二本の足で地面に立つ。

 これは以前寄生し、宿主とした男の記憶から読み取った『アニメ』に登場した、巨大な人型の機械を動かす感覚に近いのだろう。


 肉体、あるいはそれに準する物体への、感覚の拡張。

 自分の肉体ではないはずのものが、訓練や練習を重ねることによって自分の意志で動かせるようになる。


 人間で言うところの、車に乗った時のそれに近いだろう。

 かつてはハンドルやギア、ブレーキ、アクセルといった内部機構を操作するので精一杯だったのに、いつの間にか、そういった操作をほぼ無意識で行えるようになる。

 まるで、車が自分の肉体の一部になったかのように。


 この感覚は、多分それだ。

 私という存在と、田淵怜という存在は一つとなった。

 

 私は田淵怜だ。

 誰が何と言おうと、既になってしま【違う】ったのだ。


(さて……)


 改めて浜九里颯太に目を向けてみる。

 彼は未だに思い悩んでいるらしい。

 多分、あの桃色の髪の女――コヨミの正体について、気持ちの整理が付いていないのだろう。


(コヨミ……あれは多分、私と同類の生命体だな)


 一目見ただけで分かった。あのコヨミという存在は、人間の理を超えた上位存在だ。


 人間の見た目。人間の声。人間の人格。

 だが、あれは全て擬態だ。人間社会に溶け込むための、単なる隠れ蓑に過ぎない。

 本性はきっと、あんなものではない。


 傲慢で、偏屈で、自分勝手。自由奔放。自己中心的。

 多分、この惑星に存在する生物は全て自分の思い通りになるとでも信じているのだろう。


 人類は例外なく自身の配下で、自身に永遠の愛と忠誠を誓う『道具』か何かだと。


 ひどい思い上がりだ。

 きっと、浜九里颯太にも同じような感情を抱いているに違いない。


 本人は否定するだろうが、私には分かる。

 上位存在としての力が、プライドが、無意識が――ほぼ自動的にそうさせるのだろう。


 どれだけ願っても、祈っても、求めても、渇望しても。




 コヨミは、歪んだ愛しか得られない。




(……尊くない、な)


 一方的な偏愛など、醜く汚いだけだ。

 歪な形の愛は人間同士の絆を発展させることはなく、むしろ悪化させてしまう。

 愛の押し付け――それは多分、逆に人間社会を崩壊へと導いてしまうに違いない。



 私の求める愛の形には、程遠い。



 私にとってコヨミの価値はほぼゼロ。あんな哀れな上位存在を調べるのは、時間の無駄だ。

 だが厄介なのは、コヨミが浜九里颯太に執着しているということ【浜九里くん】だ。


 コヨミには私のような上位存在の接近を知覚する能力がある。

 先ほど、コヨミに対して『処置』を施そうと接近してみたが、その寸前で勘付かれてしまった。

 この惑星に住む生命体の眼球と脳機能では、私のような高次元存在の姿を知覚することはできないにも関わらずだ。


 目には見えないはずの私を、コヨミは『ニオイ』だと称した。

 だが、おそらく即物的なものではない。

 上位存在としての特異な感覚が、私の存在を感知したのだ。


 あの後、咄嗟に本体を引っ込めたことで事なきを得たが、かなり危なかった。


 コヨミがどれほどの戦闘能力を持っているのかは分からない。

 だが、私に詰問してきた時の姿勢は、まさに歴戦の猛者のそれだった。


 私の肉体は田淵怜のもの。身体能力は、全て宿主である彼女のそれに準拠している。


 肉弾戦となれば、確実に私はこの肉体を破壊されていただろう。

 別に死ぬ訳ではないが、浜九里颯太との関係を観測できなくなってしまうのはかなり困る。

 

 今一番優先するべきなのは、浜九里颯太の身辺からコヨミを引き離すことである。

 


 ……そういえば、昔何かの本で読んだことがある。



『例えばかぐわしい香りを放つ料理を密室に置いて、その後撤去してみる。部屋には何も残らない。

 だが、その後部屋に入った人間はすぐさま、その部屋に料理があったことを認識するだろう。

 それだけではない。中には、そこに置かれていた料理の種類、それに使われた食材まで正確に言い当てることができる者もいるだろう。

 こうした芸当はなぜ可能なのか?

 匂いだ。匂いによって、過去の情報を読み取ることができるのだ――』



(『――臭いは時空間を超える、唯一の感覚なのだ』…………か)


 確かあの本は、コンビニの本売り場の片隅で売られていた、取るに足らないゴシップ雑誌だった。

 ああいうのを粕取り雑誌、と言うのだろうか。まぁ、今はどうでもいいことだ。


 だが、コヨミの一件の後だと、途端に信憑性が湧いてくる。


 これからは図書館にあるような学術雑誌や書籍だけではなく、ああした書籍も読んでみるのもいいかもしれない。

 そんなことを頭の片隅で考えながら、じっと浜九里颯太を観察してみる。


(……田淵怜なら、こういう時なんと言うのだろうか)


 コヨミが上位存在だということをほのめかしてみたが、きっと彼はそれを認めはしないだろう。

 しかし、思い当たる節もあるから完全に否定することもできない。


 彼の頭の中は、今やぐちゃぐちゃだ。

 混乱と恐怖で満ちている。


 ここだ。


 ここでどんな言葉を与えるか【お願い】が肝要だ。



 浜九里颯太との関係性を進展させられるかどうかは、これからの数分で決まる。



 だから、選択を間違えてはいけ【なんでもするから】ない。




 私は、私の愛を見つけるのだ【誰か助けて】――!!




【ここから出して】

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