第2話 始まりの予感

現在時刻七時五十分。

私の場合はいつも、ギリギリまで起きない。

就寝時間は二十三時と健康的だが、どうやら約九時間の睡眠では足りないらしく、基本的にはベッドから降りたくない。

目覚ましを止めて、無理やり体を起こす。

伸びをしながら、磨りガラスになっていて外の様子は何も見えない窓に目を向け、


「おはよう……今日も世界が輝いているわ……」


とプリンセスかぶれの台詞をもごもごと呟く。


そう、これが私の【プリンセス大作戦】である。

動物に愛される美しいプリンセスは、白馬に乗った美しいプリンスと結ばれる。ということは、私はプリンセスになればいい。私のビジュアルは、両親には可愛いと言われるし自分で洗面所の鏡を見ても二回に一回は可愛いと思うけど、逆に洗面所の鏡以外で見ると中の中といった顔立ちであるのでプリンセスとはかけ離れている。そこで、内面からプリンセスになろうとしたわけだ。プリンセスは夢みがちだから、一歩踏み込めば内面くらいはプリンセスになれるのではないかと思った。

大っ嫌いな虫が家に侵入してきても優しく声をかけて逃してあげたり、

通学路に毎日鎮座している野良猫に「今日もその毛並み、素敵ね」と笑いかけたり、

緑化委員に立候補してお花に水をあげたり、

ここ数ヶ月間の私は非常に努力を重ねてきたと思う。


二段ベッドの二階から降りて、リビングに向かうと、私の席にはたい焼きとルイボスティーが用意されていた。

着席して、寝ぼけながら「いただきます」を忘れず言って、

寝ぼけながらルイボスティーを飲んで、

寝ぼけながら咀嚼する。

テレビからは国宝級イケメンと称されるアイドルと数年前にお茶の間に引っ張りだこだった元アイドルが結婚を発表したというニュースが聞こえてくる。画面に目を向けると、二人が自身のSNSで公開した結婚発表の直筆の文面が大々的に映されながらアナウンサーがそれを読み上げる。著名人は結婚を発表するときにわざわざ『これからも精進してまいります』とか頑張る宣言をしなくちゃいけないから大変だな、っていつ見ても思うことを今日も思いつつ、「ごちそうさまでした」と手を合わせる。それと同時に弟がランドセルを背負って「行ってきます」と玄関に向かい、「行ってらっしゃい。気をつけてね」とママが見送る。


「私も芸能界に入ればイケメンと結婚できるのかなぁ」


「そもそも芸能界に入れるだけの武器がないでしょ」


ママはいつも私に辛辣だ。


「ひどい!でも確かにそう!」


スドウが三次元にやってこないかなぁ、なんて、考える。私のことを好きにならなくてもいいから、近くに存在していてほしい。


そんないつもと変わらない朝が、忘れられないものになったのは、私がたい焼きが乗っていた食器をシンクに置こうとしていたときだった。


『次のニュースです。今日午前五時ごろ、大人気アニメ青春怪奇譚の松陰文明役などで知られる人気声優の島田大輔しまだだいすけさんが違法薬物使用の疑いで逮捕されたことが分かりました』


アナウンサーが淡々と告げた声に、思わず「は!?!?」と寝起きとは思えない声が出る。

隣にいたママに「うるさい」と言われたが、それどころではなかった。シンクに置いた後で良かった。もう少し私が置くのが遅ければ手から滑り落ちて割っていたところだった。

報道によると、自宅から大麻が見つかったらしい。容疑も認めていて、完全に黒らしい。


「え……劇場版青バレどうすんの?スドウの声変わるの?え、待って無理すぎる」


物理的に右往左往していると、「スドウの人なんだっけ?どんまい」と全く揺らぎのないママの声が聞こえた。


「どんまいどころじゃないですって!劇場版なんてスドウが主役みたいなもんなのに声変わったらショックすぎて泣ける。私は島田さんが演じるスドウが劇場版で動き回ってるのを観るのを楽しみに一年間生きてきたのに……」


床に突っ伏すと、床暖の温もりを感じた。

このまま眠ってしまいたい、と思ったところに「遅刻するよ」と厳かな声が飛んできて、身支度をてきぱき行い始める。

学校に着くまで、私の頭の中は青バレとスドウのことでいっぱいだった。いつもの野良猫もいなくて、天気も曇っていた。


青バレこと、【青色バレーボール!!】のスドウこと【須藤紺次郎すどうこんじろう】に出会ったのは、去年の九月のことだった。特にともに苦を乗り越えたとか辛いときに寄り添ってくれたとかいう思い出があるわけではないが、いつのまにか推しになっていた。仲間に「ゴン」と呼ばれ、バレーに打ち込み、ときにはおちゃらけるその姿を見ていると、好きにならざるを得なかった。その声もすごく大好きで、特に理由もなく元気が出ないときはスドウの声を聞いたりしていた。島田さん以外が演じるスドウを、受け入れられる自信はなかった。


夢小説のスドウは女の子の扱いが非常に上手く、


「可愛い」


とか


「好き」


とか


「その服似合ってる」


とか素直に言っちゃう罪深い男だった。そんなスドウをみてきゅんきゅんして、私はイケメン男子高校生に愛されることを夢見た。

そこまで考えて、これじゃスドウを永遠に見れなくなるみたいだな、って思って、明るい方に考える。声が変わるだけで存在はそこにあり続けるから、大丈夫だ。島田さんが演じるスドウとの思い出に心の中でお礼を言ったころ、学校に着いた。

教室はいつも通り賑わっていた。


「おはようー」


前の席の愛衣ういちゃんに挨拶をして、窓側から三番目の一番後ろの席に教科書がいっぱい詰まったリュックを置く。


「おはよう!ねぇねぇ!!謳歌の隣、席一つ増えてるよね!?」


左側を見てみると、そこには確かに昨日まではなかった机が置いてあった。教科書を机にしまう手を止めて、愛衣ちゃんと目を合わせた。


「「転校生!?」」


「「だよね!?」」


二人の声が思いっきり被った。固い握手を交わして、ともに飛び跳ねる。

これは、イケメン転校生がやってきて恋が始まるやつではないか。


「謳歌、転校初日から隣の席とか勝ちすぎる」


「待って、どうしよう。分からないこととか教えてあげてくださいって言われても私説明下手すぎて無理だよ」


「そしたら私が助ける!!え、グループワークの班同じになるよね?」


「そうですね!!しかも二人組作るときに私余らなくて済むじゃん!!」


「良かったね!!」


イケメン転校生、ましてや転校生が来るとは誰も言っていないのに喜んでいる私たちははたから見ればめでたい頭なやつだったかもしれない。愛衣ちゃんの隣の席の堀北さんに冷たい目で見られた。

チャイムが鳴るまであと二分だったので飛び跳ねるのをやめて、テンションが高いまま席について、転校生を連れた担任がやってくるのを待つ。

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