第13話 前編
「ありがとうございましたー」
本日最後の客を見送った後、私は閉店作業に取り掛かるため、完売の札を掛けようと外へ出る。
扉に掛けられている「営業中」の札をひっくり返し、「完売」に変えた。
「――幸希」
私が店内へ戻ろうとした時、突然声を掛けられた。
声の主は、――大貴くんだった。
私は大貴くんと目が合うと、思わず顔を俯かせながら店内に逃げ込む。
「おい、待てって」
私が閉めようとしていた扉を、大貴くんは無理やりこじ開けて中へ入ってきた。
「無視することないだろ」
大貴くんの声は苛立っているように聞こえる。
「ごめん、もう閉店だから」
私は俯いたまま、「帰ってほしい」ということを
「……お前、本当にこのまま凛といるつもりか?」
「……そうだよ」
私が声を震わせながら返すと、大貴くんは呆れたようにため息を吐く。
「どうしちゃったんだよ……。子供の頃のお前は、もっと賢い奴だっただろ」
「どうもしてないよ。私はずっとこうだよ。子供の頃から、ずっと……凛ちゃんのことが好きだった」
私がそう言うと、大貴くんは言葉を詰まらせた。
「あいつは、もう子供の頃の凛とは違うんだぞ?分かってるのか?」
「そんなことない!」
私は思わず語気を強めた。
「確かに、あの頃と変わっちゃったところはあるよ。でも、私が好きだった凛ちゃんは、今も変わってない」
――『大事な人を守るために、必死になれるところ』かな?
私が好きだった強くて優しい凛ちゃんは、今も変わっていない。
「変わってないって……。人のこと睨んだり、あんなふうに怒鳴ったりするような奴だぞ。まともなわけないだろ」
「だって、それは……。自分のことを、いじめてた相手を良く思うわけないじゃない」
「いじめてたって……、そんなの
大貴くんは呆れたように吐き捨てる。
その言葉に、私は耳を疑った。
「子供の頃?子供の頃だから何?大人になったら、子供の頃にしたことは許されるの?」
私は顔を上げて、大貴くんの目を見た。彼の目は、困惑の色を滲ませている。
――やめてよぉ。
大貴くんたちに殴られたり、蹴られたりして泣いていた凛ちゃんの姿が脳裏に浮かんだ。すると、私は当時の怒りを思い出す。
「凛ちゃん、いっつも泣いてたんだよ?大貴くんに殴られて、ゴミ箱に教科書捨てられて……。でも、凛ちゃんはやり返したりしなかった。自分がいじめられた時は、一度もやり返そうとしなかった」
――やめろ!!!
私は、凛ちゃんがうなされていた夜のことを思い出す。
もしかすると、あの日見た悪夢は、大貴くんのことかもしれない。凛ちゃんは、未だに当時のことで苦しんでいるのかもしれない。それなのに、大貴くんは「子供の頃の話」で片づけようとした。
そう思うと、ますます怒りと悲しみが込み上げてきた。
「だけど、私が大貴くんに髪を引っ張られた時だけは、『酷いことしないで』ってあなたに立ち向かってくれたの。凛ちゃんは、泣き虫だったけど、臆病な子じゃなかった」
私の話を聞いている大貴くんは、眉をひそめて、何の話をしているのか分かっていない様子だった。
「……大貴くんは、覚えてないみたいだね」
私は悔しくて涙がこぼれた。
「私は、大貴くんはあの頃のこと、反省してるんだと思ってた。けど、違ったんだね」
いじめのことを反省したから、大貴くんは中学校に上がると真面目になったのだと思っていた。しかし、当の本人は、当時のことを「子供の頃の悪戯」程度にしか思っていなかったようだ。
私は手で涙を拭うと、大貴くんに背を向けて「今日はもう帰って」と言った。
これ以上彼の顔を見ていると、本気で怒ってしまいそうだった。
私は俯きながら、背後から大貴くんの気配が消えるのを待っていた。
すると、――突然視界が傾いた。
ドサッという音と共に、私の身体は床に倒れる。
何が起きた?
天井を見上げると、鬼のような形相で私を見下ろしている大貴くんと目が合った。
「な、何……?」
喉から発せられた私の声は震えている。
私は起き上がろうとしたが、全く身動きが取れない。
よく見ると、大貴くんが馬乗りになって、私を押さえつけていた。
「いやっ、やめて!」
私は恐怖のあまり、
「誰か――!」
「静かにしろ!!!」
大貴くんは私の口を手で塞ぐと、もう片方の手でブラウスの襟を掴んだ。
私は必死に大貴くんの手を引き剥がそうとしたり、身体を押し退けようとするが、びくともしない。
大貴くんはブラウスの襟を思いっきり引っ張り、その弾みに胸元のボタンがいくつか引きちぎれた。
私の悲鳴は、大貴くんの手によって押さえつけられる。
そして、引きちぎれたブラウスの胸元に、大貴くんは手を入れようとしている。
嫌だ。怖い。
助けて、凛ちゃん――。
「何してやがる!!!」
突如店内に、鬼気迫る怒鳴り声が響き渡った。
驚いた大貴くんが後ろを振り返ると、何者かに胸ぐらを掴まれて、そのまま殴り飛ばされた。
「うぐっ――」
私は混乱して、まだ状況が呑み込めていない。
大貴くんの身体が吹っ飛ぶと、息を切らした凛ちゃんと目が合った。
床に仰向けで倒れている私の姿を見た凛ちゃんは、真っ青な顔になったかと思うと、見る見るうちに目を吊り上がらせて怒りを露わにする。
「テメェ、よくも!!!」
凛ちゃんは起き上がろうとしている大貴くんの上に覆いかぶさると、大貴くんに向かって拳を振り下ろした。
すると、ゴスッという鈍い音が響いた。
大貴くんは凛ちゃんを押し退けようとジタバタするが、凛ちゃんは微動だにしない。
凛ちゃんは何度も何度も、大貴くんに拳を振り下ろす。凛ちゃんが拳を振り下ろすたびに、大貴くんは潰れたカエルのような呻き声を上げる。
「よくもやりやがったな!ぶっ殺してやる!!!」
聞いたこともない凛ちゃんの罵声と、どんどんと血で赤く染まっていく彼の拳を見て、私はようやく状況が把握できた。
「だ、だめ……。やめて……」
私は起き上がると、か細い声で訴える。
このままだと凛ちゃんは大貴くんを殺してしまう。彼が人殺しになってしまう。
「やめて!」
私は振り上げた凛ちゃんの腕にしがみ付いた。彼は暴れる猛獣のように、私を振り解こうとする。
「殺しちゃダメ!凛ちゃん!!!」
私が必死に訴えかけると、凛ちゃんは我に返ったかのように動きを止めた。
そして、凛ちゃんはゆっくりと私のほうを見る。
凛ちゃんは、頬に返り血を浴び、獣のように歯を剥き出しにしてハアハアと息を切らしている。
しかし、私の目を見ると、徐々に人間の顔に戻っていった。そして、徐々に不安げな表情へと変わる。
「幸希……」
凛ちゃんは大貴くんの上から降りると、私に向かい合うように座り込む。
そして、ゆっくりと手を私のほうへ伸ばす。しかし、凛ちゃんは自身の真っ赤な血に濡れた手を見ると、その動きを止めた。それは、私に触れるのを躊躇っているようだ。
私は血で汚れてしまうことも構わずに、凛ちゃんの手を両手で包み込んだ。
「私は、大丈夫だよ」
私がそう呟くと、凛ちゃんは私を優しく抱きしめた。
「怖かったよな……。ごめんな」
凛ちゃんの優しげな声と体温を感じた瞬間、私は今更恐怖と安堵が同時に押し寄せて、涙が溢れた。
私が落ち着くまでの間、凛ちゃんはずっと私のことを抱きしめてくれていた。
その間、大貴くんがヨタヨタと這いずりながら逃げて行ったことに、二人とも気づかなかった。
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