第5話 ラッキーボーイ

 脳内は、とある感情で満たされていた。

 それは、亡き父への謝辞。


 その人生を賭し、命果てるまで戦った彼の決意、意地、そして願い。

 その全てが、今消えようとしている。


 獅子の牙に噛み砕かれ、親父の記憶を宿した俺の頭部が、ただの人肉に成り下がろうとしている。


(くそ、くそっ、くそっ!!! 死ねよ! お前が、死ねよおおおおっ!!!)


 人間、最後に抱くのは悔恨か怒りか、その程度の幼稚な感情だ。


 脳がスパークする。バチバチと、傷口から溢れ出る血液が爆ぜる。

 痺れた腕が、脳が、震え出す。


 今にも俺を喰わんとする獅子の怪物に、全神経が注がれる。


 迫る。終わりの時が、迫る。


(親父……、ごめんっ!!)


 俺は目を瞑らなかった。ずっと獅子の顔を睨み続けていた。だから。

 

 その頭部が突然消し飛び、視界が一気に開けた瞬間、俺は完全にフリーズした。

 直後、ぼんという破砕音が、遅れて耳を貫いた。


 獅子の腕から力が消え失せ、俺ごとずしゃりと地面に落ちる。


 「な……。死んでる?」


 獅子獣人は、上半身を欠損していた。腕も千切れている。


「はあ、はあ。あ……あ?」


 息も絶え絶えになりながら、突然の出来事に困惑して辺りを見回す。

 俺は何もしていない。俺には、剣奴にはそんな力はない。


 獅子の死体を調べて回ると、少し離れた地面に巨大な銃痕があった。

 煙を上げるクレーター。魔法攻撃ではなく、純粋な武器の火力で撃ち抜いたのか。


「一体……誰が? でも、助かった……」


 困惑しながらも、そこからの動きは迅速だった。

 後で回収してもらうため、獅子獣人の死体にデジタルマークを付ける。

 こういったエリアボスのようなモンスターは、その肉体にも無限の価値がある。


 続いて未発見の叡智箱ボックスを拾い上げこちらにもデジタルマークを付ける。

 これでこれは俺のものだ。ブロックチェーンで虚偽は不可能となる。


 なぜ調査したにも関わらず、エリアボスを見逃したのか。

 そういった原因究明は後でしよう。今はとにかく、生きてこの場を去らねば。


 俺はアドレナリンで痛みを無視しながら、来た道を戻っていった。


 口からも胴体からも血が溢れ出る。

 、俺はまだ気が付かなかった。




                  *




 ジャスカは、命中を確認してふっと息を吐いた。

 大口径ライフルから噴き出る煙を夜風に流しながら、携帯食の袋を開ける。

 チョコ味の固形食をもそもそし始めると、同僚に叱責を飛ばされた。


「おい、ジャスカっ!! サボってねぇで、仕事しろ!」


「うん、ごめん。射線上に助けられそうな人がいたから」


 ジャスカは鈴の音のような美しい声でそう呟き、同僚の呼びかけに答えて大口径ライフルを持って移動した。


 射撃位置に銃を固定し、必殺の一撃を撃ち込む。

 まだ十代に見える彼女は、しかし歴戦の狙撃手スナイパーの風格がこれでもかと漂っていた。


 ジャスカの言う射線上とは、彼女の現在地から約五キロ先。

 超高層ビルの屋上から、彼女は糸世を救うための狙撃を容易くやってのけたのだ。


「……奇跡みたい。あそこまで射線が通るなんて」


 ジャスカは僅かに捉えた青年の姿を思い返す。


「You're lucky. きっと生き延びて……」






                  *






 テリトリーに入るゲートを通過する頃には、午後十一時を回っていた。

 監視モニターが異常な状態の帰還者を見止め、ほどなくして係員がやってきた。

 

 傍から見れば大分と重症だったらしく、直ぐに治療室に連れていかれる。

 出費はかさむが、ここで死んでは仕方がないと諦める。


 最低限の処置に留めて貰いつつ、端末で今回の仕事の事後報告をしていく。


 チームメンバーは全員帰還。先に戻った彼らは、俺の死亡届を出していた。

 直ぐにそいつを修正する。届が受理させていれば、報酬も貰えなかった。


「あぶねー。ま、死んだと思うよな」


 処置を受けた後、足早にテリトリー管理室に向かい諸々の手続きを済ませる。

 エリアボスの死骸の回収依頼、そして叡智箱ボックスの発見、取得の報告も。


 俺には二つの選択肢がある。

 叡智箱ボックスの発見登録を俺一人にするか、チームにするか。

 通常の依頼報酬と違い、こういった新発見の報告はそれぞれの自由となる。

 

 あの状況で箱を諦めたチームと、偶然生き残って箱を手にした俺。

 どちらにしても、大手を振って自身の功績とは言えない。

 

 だから、俺はチーム登録をする事にした。


 だって、あの人たちは珍しく善人側の人たちだったから。

 多少の差別的要素はあっても、それは最早社会通念の域だ


 彼らは俺に意地悪もしなければ、酷使もしなかった。

 あの時逃げ出したのは、境界兵ファイターなら誰でもする合理的判断だ。


「だから、許すもなにもない……。俺が弱いせいだ」


 二日後。叡智箱ボックスの査定金が振り込まれ、俺はその日に借金を完済した。 

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