第13話 本物VS偽物(後編)

「お前はあたしの――全員の敵だ!!」

 


 

 胸に残った未練を振り切るかのごとく、フェオリアは怒気を込めて叫ぶ。

 それを合図に、もう一人の増援が助走を始める。


 

「よ、く、も、今までっ、騙してくれたわねーーーー!!!」


 

 怒りの籠もった声にヒュプノクラウンは体制を立て直すが、とき既に遅く。

 持ち前の脚力で跳躍したクレアの鉄拳が、彼の顔面を直撃した。


 

「ぶっ――!?」

 

「ほんっと、最低!! 今すぐ地獄に堕ちなさい、このクズ!!」


 

 右フック、蹴り上げ、踵落とし。

 恨み辛みがふんだんに籠もったクレアの体術が炸裂する。


 

「……クレアとあたしで、少し時間を稼ぐ!」


 

 クレアが一人奮戦する中、フェオリアも援護のため杖を手に駆け出す。そんな彼女と入れ代わりで、両腕を負傷したアルクと疲弊したアリシアのもとへやってきたのは、最後のパーティメンバーである回復術師ヒーラー、アリシアだった。


 

「ちょっとじっとしててください。二人とも今すぐ全快にします!」

 

「アリシア……悪い、助かる」

 

「いえ……私に出来ることなんて、元々これくらいですから」

 

 

 二人分の治療を施しながら、アリシアはうつむき加減に呟く。

 その瞳は、心做しか涙で潤んでいた。

 


「ほんとは、悔しいです……いいように転がされて、騙されて――

 初恋だって奪われたのに、自分は何もやり返せないなんて……!」

 

 

 吐き出した言葉の節々に、悔しさが滲む。

 戦うことのできない自分の弱さを、アリシアは思い知らされていた。


 

「アリシアお姉さん……」


「弱い私のお願いですが……どうかあの人を、倒してください!」

 


 回復を終え、傷の癒えた二人は立ち上がった。

 去り際にアリシアの肩に手を置き、アルクは決意を新たに告げる。


 

「任せとけ。お前の悔しさは、俺たちがきっちりあいつにぶつけてやる」


 

 アリシアの思いを背負い、全快の兄妹は再び並び立った。

 アルクは拳を、セリカは杖を真っ直ぐ敵に構える。


 

「これで最後……最終ラウンドといこうぜ」





 

         ***



 



 少年少女の思いが入り乱れる、最終決戦の裏で。

 完膚なきまでに希望をへし折られた少女は、蚊帳の外だった。


 

「アル、ク……くん……」

 

 

 斬られた喉から出たのは、掠れきった声だった。

 

 自らの血溜まりに溺れるように、セラの身体はぐったりと鮮血の海に沈んでいく。もはや彼女に残っていたのは、致命傷を負ってもなお死にきれない魔族のしぶとい肉体と、そこに染み付いた執念のみだった。


 憧れの師から受けた失望。裏切り。

 愛を注いできた少年の、完全なる離反。


 頸に負った傷はもとより、彼女の心は既に修復不可能なほどの傷を重ね、崩壊していた。彼女のこれまでの行いから鑑みれば、この末路は神から与えられた当然の報いともいえるのかもしれない。


 だが、それでも。

 彼女の行いはどれも、『愛』をただ追求した結果に過ぎなかった。


 恋を知った彼女は、『愛』を模索した。

 その結果至ったのが、『支配』という独善的なものであっただけで。

 


(あたし……やっぱり、バカだな……)


 

 死に際になってようやく、彼女は自らの過ちに気づいた。

 戦うアルクの姿を眺めながら、最後に自分を嘲笑する。


 結局、洗脳による『支配』は本物の絆になり得なかった。

 どこまでも偽物で劣化品の絆は、本物の兄妹愛には勝てなかった。


 残ったのは、有り余った彼女の一方的な『愛』。


 

(あの身体……まだ、あたしの『支配』が残ってる……)


 

 ヒュプノクラウンの乗り込んだ〈異形〉に、彼女の視線は移る。

 

 アルクたちとの総力戦に挑み、押し負けるどころか未だ優勢を保つ生粋の化け物。その歪な肉体には、制作者であるセラの刷り込んだ洗脳による『支配』が、核を失いながらも微弱に持続していた。

 

 自分を見限った師と、愛すべき少年。

 彼女の選んだ選択肢は、今や言うまでもなかった。

 

 

「もう、い゛いよ……」


 

 血溜まりに落ちた腕を持ち上げ、セラは〈異形〉を指差す。

 最期の力を振り絞って、彼女は『命令』を下した。


 

「――“止まって”」


 

 刹那、彼女が願ったのは『支配』ではなく。

 愛する少年の、幸せな未来だった。




 


「……? なんだ、なぜ脚が動かん――!?」


 

 死力を尽くした総力戦の最中、〈異形〉の動きが止まる。

 刃向かう者を蹂躙するように働いていた4つ脚が、石のごとく固まった。


 セラの下した、最後の『命令』によって。


 

「? なに、あんたもようやく活動限界ってわけ!?」

 

「だったら、この機を逃しはしない――!」

 

 

 いち早く敵の異変に勘付いたクレアとフェオリアは、軋む身体に鞭打って最後の抗戦を開始した。ヒュプノクラウンは彼女らの攻撃に6本の腕のみで対応するが、次第にその動きも緩慢になっていく。


 

「ちっ、小賢しい真似を――!」

 

「何だか知らないけど、いい加減っ、くたばんなさい!!」

 

 

 振り下ろされた大剣をクレアは側面から全力で蹴りつけ、刀身を破壊する。アルクの付与魔法もあって強化されたクレアの打撃を前に次々と武器類が無力化されていく中、フェオリアは残った魔力を収束させる。

 


「――魔力制限解除! 【神なる鉄鎖の束縛ディヴィニティ・バインド】!!」

 

 

 複数の魔法陣が、〈異形〉を取り囲む。そこから出現した何本もの黒い鎖が、〈異形〉の多腕を、ヒュプノクラウンの身体を、その場に縛り付け固定する。フェオリアに残された魔力をすべて注ぎ込んで構成された鎖は、たとえ怪物が相手であろうとも砕けることはない。

 


「動きはあたしが止める! 二人とも、とどめを!!」

 

「外すんじゃないわよ!!」


 

 クレアとフェオリア、そしてセラの決死の援護により、戦況はひっくり返った。

 皆が一丸となってようやく訪れた、最後にして最大のチャンス。

 

 

「よし……セリカ、いくぞ!」

 

「うん!」

 

 

 束縛された敵にセリカは照準を合わせ、詠唱を始める。

 彼女の隣に立ったアルクも左手を突き出し、大きく息を吸った。


 仲間がもたらした、最後のチャンス。

 失敗など到底許されない。


 アルクは意を決して、短文詠唱を開始した。


 


「――【疾風の加護ラピッド】」

 

 

 弾速強化。


 

「――【裂閃の加護ファルシオン】」

 


 切断力強化。

 


「――【戦鎚の加護ミョルニール】」

 


 打撃力強化。



 短文詠唱を重ね、着実に威力を底上げする。

 

 既に魔法陣は3重となり、一撃の威力アップとしては十全。

 だが、この一撃に懸ける思いはこんなものではない。



 

「――【煉獄の加護インフェルシア】!」

 


 炎属性付与。

 

 

「――【大海の加護アクエリーア】!」

 


 水属性付与。

 


「――【烈風の加護サイクローナ】!」

 


 風属性付与。

 


「――【冰瀑の加護フロステリア】!」

 

 

 氷属性付与。


 

「――【轟雷の加護ゲイボルーグ】!!」


 

 雷属性付与。

 


「――【常闇の加護アポカリプス】!!」

 


 闇属性付与。




 光を除いた、全属性の付与。

 重なった魔法陣は、9つ。

 

 この一撃に、すべてを懸けて。



 

「――【魔槍の加護グングニール】!!」


 


 最後にかけられた、貫通力強化の魔法。

 10枚の魔法陣が今、一直線上に重なり――




「――――【神なる威光セイクリッド・レイ】!!!」


 


 セリカの放った光線が、一気に魔法陣を通り抜ける。


 弾速、切断力、打撃力、貫通力、属性。

 どれを取っても過剰なほどの一撃が、放たれた。

 

 

「――ま、待て、まてぇえええええええええええええええっ!?」


 

 縛り付けられたヒュプノクラウンは、情けなく喚き散らす。

 だが身動きの取れない彼には、既に為す術はなく。

 


 

「「「「いっけぇえええええええええええええええええっ!!」」」」



 

 極限まで強化された一撃が、炸裂する。

 

 過剰なほどの強化で極太となった光線は、ヒュプノクラウン本体に直撃。

 彼の強靭な肉体をも、そのまま火力で焼き払った。


 

「――がっ、あああああああああああああああああああああああっ!?」


 

 彼の身体は跡形もなく、文字通り灰燼に帰す。

 光線――否、寧ろ砲撃に近い一撃が、すべてを終わらせた。

 

 文句なしの、連携プレーによる大勝利だった。

 



 


「……勝ったね、兄さん」


 

 杖を下ろしたセリカが、茫然と呟いた。

 

 目線の先では、またしても『核』を失った〈異形〉の肉体が、今度こそ灰となって崩れ落ちている。セリカによる洗脳がかけられ、アルクとヒュプノクラウンの二人に酷使された巨体は、既に限界を迎えていた。


 

「しぶとかったけど、ここで倒せてよかった」

 

「まあ、そうね……ていうか、アリシアはいつまで泣いてんのよ?」

 

「うぇっ……すみません、自分でもなんで泣いてるのかわかんなくて……」

 

「もー、アンタって子は……」


 

 激戦を終え、張りつめていた戦場の空気が少しづつ緩んでいく。

 残った5人は皆傷だらけだったが、辛くも掴み取った勝利とともに――仲間の裏切りと死という、残酷な現実にも改めて向き合うこととなった。


 だが、その中でただ一人、アルクだけが黙っていた。


 

「……アルク? ねぇ、どうかしたの?」


 

 彼の様子を見かねたフェオリアが訊ねる。

 茫洋としたアルクはそれに答えず、ある場所へと歩き始めた。


 

「兄さん……?」

 


 セリカは不思議そうに兄に呼びかける。

 一方、彼が向かった先は――。




「……なあ、まだ生きてるのか?」

 

 


 血溜まりに横たわったセラのもとに、彼は片膝をついた。

 セラは視線の移動だけで彼に反応し、ぎこちない笑顔を作る。


 

「うん……生き、てるよ……アルクくん」

 

 

 もうすぐ死んじゃうけどね、と笑いながら彼女はいった。

 

 それもそのはず、人間ならば即死するほどの致命傷を負っていたのを、彼女は魔族特有の生命力だけで繋ぎ止めていた状態だった。最後にこうしてアルクと会話ができたこと自体、奇跡と言っても過言ではない。


 

「っ……アルク、その子は――」

 

「ああ、わかってる。でも最後に、話だけさせてくれ」

 


 制止しようとしたフェオリアに、彼は静かに断りを入れる。

 セリカたちも見守る中、アルクはセラとの最期の会話を始めた。

 

 

「アルク、くん……聞いて」

 

「なんだ?」

 

「あたし、ずっと……アルクくんに、謝りたかったんだ……」


 

 アルクは驚いて目を見開く。

 それからぽつぽつと、セラは声を振り絞って語りだした。


 

「痛いこととか、ひどいこととか、いっぱいしちゃって……ごめんなさい。あたしはただ……アルクくんのことが好きだっただけなのに、それをどうやってキミに伝えたらいいのか……わからなかった。キミを洗脳して自分のものにすることだけが、あたしとキミとの、『幸せ』だと思ってた……」


 

 でも、違った。


 横になったセラの瞳から、一筋の涙が流れ落ちる。

 彼女は泣きながら、さらに惜しげもなく本心を吐露していく。




「気づいたんだ。

 キミが『幸せ』じゃないと、あたしも『幸せ』にはなれないって」




 それはいわば、一方的な支配ゆえの欠陥。

 

 彼女がアルクを支配し手に入れても、アルクが幸せだと感じない限り、本当の意味で彼女の持つ愛が満たされることはなかったのだ。それはまるで鳥籠に飼われた小鳥と飼い主のように、両者の間に『支配』という関係性がある限り、対等な幸せは訪れることはない。

 

 

 愛の押しつけでは、本当の絆は生まれない。

 死の淵でようやく、セラにはそれが理解できていた。

 

 

「あたしはあのとき……アルクくんの幸せを、願ったの」


 

 彼が、生きて帰る未来。

 彼が、本当の妹と暮らす未来。


 それこそが、セラが悟った彼の幸せだった。


 

「だから、ごめん……もう、キミへの罪は償えないけど……あたしは、アルクくんに赦されなくても、キミに幸せでいてほしいんだ……ほんとの、妹と一緒に……」

 

 

 セラの声は段々と、掠れて聞こえなくなっていく。

 彼女の謝罪を聞き入れたアルクは、しばらく考え込む素振りを見せたあとでやがて口を開いた。


 

「確かに俺は……お前から色々酷い仕打ちを受けたかもしれない。俺がここまで頑丈じゃなかったら、どっかのタイミングで死んでてもおかしくはなかった」

 


 これまでの彼女との時間を脳裏に浮かべ、アルクは呟いた。

 だがそれは決して、彼女への恨み言などではなく。



 

「でも俺は……お前を憎むことなんてできないよ。初めて出会ったとき俺を助けてくれたのも、さっき俺たちにあいつを倒すチャンスをくれたのも、全部お前だから。俺はたしかに、お前の愛に助けられたんだ」



 

 それは、彼女から向けられた愛への、純粋な感謝。

 アルクが彼女を最後まで憎めなかった、ただ一つの理由だった。

 


「だから……最後にこれだけは言わせてくれ」

 


 アルクは目を閉じ、血で汚れた彼女の手を握った。

 瞼の閉じかけた彼女に、アルクは優しく語りかける。




「――ありがとう、“セラ”」




 彼の言葉に、セラは死に際ながらも大粒の涙を流した。

 それと同時に、彼女の身体がゆっくりと崩壊し始める。


 

「うん……アルクくんも、ありがとう……」


 

 セラの肉体は黒く変色し、灰のように崩れ、消滅していく。

 アルクの手を握っていた手が、指先からその生気を薄める。


 

「ずっと……ずっと、大好き、だから……」


 

 最期に、セラは泣きながら笑った。


 そしてついに、彼女の身体は完全に消失した。

 やり場を失ったアルクの握り手が、ただ空回る。

 

 

「そう、だな……」


 

 アルクは肩を震わせながら、彼女に届かぬ返事をする。

 

 セラの肉体が消失した今、その場所には、彼女が愛用していた催眠用のコインだけが遺されていた。アルクは紐のついたそれを拾い上げると、数秒見つめたあとでそっと腰のポケットにしまった。

 


「兄さん……」

 


 不安げに、セリカは兄に呼びかける。

 彼女らに背を向けていたアルクは、少し遅れて振り返る。


 

「おう、悪い」

 

 

 表情を取り繕って、アルクは笑ってみせた。

 セラへのやりとりは胸に仕舞って、本当の妹と改めて向き合う。

 

 

「ううん。帰ろう、兄さん」


 

 セリカはそれだけ言って、兄に微笑んだ。

 妹の提案に、アルクは頷く。



 

「ああ、帰ろう。俺たちの家に」




 


 

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