百鬼霊峰
Hurtmark
常夜への片道
根も葉もない伝説と言うものは、いつの時代にも廃れない人気があるようだ。中には殿堂入りして、数十年もネタにされている話もある。縫い包み相手の一人遊び、正視すれば狂う水辺の怪奇、呪われた電話番号や存在しない駅だとか、特に心霊ものは文化として中々成功しているだろう。
僕はホラー映画が好きだけれど、現実のオカルトについては何ら興味がない。信じていないし、仮に実在したとしても何が怖いのか。どんな面白みがあるのだろう。幽霊は人を殴れない。ナイフを持った殺人鬼の方が遥かに脅威だ。未知だからこそ惹かれる?大自然にはまだ人類が解明していない物理現象がいくらでもあるじゃないか。
それなのに、友達の遊びに付き合わされてしまっている。さっさと帰りてえよ。
「ちょっとは楽しんでくれんか。お前のための冒険でもあるんやぞ」
真っ白に照らす懐中電灯を手に、揚々とした意気で先頭を歩くマサトが言う。僕はお前を一人で行動させるのが心配で付いて来てやったというのに、勝手な言いようだ。
「この山の
友人のマサト、アユミと三人で真っ暗な山道を注意深く歩いている。発端は今日の放課後、マサトが僕とアユミを悪い遊びに誘った。『“忌み山”の言い伝えを確かめに行こう』と。
この村では何百年も前から言われているらしい。『風景を見渡せば見える、
心霊スポットを探検して、いくつも前の時代から続く伝説をぶち壊してやろうと彼は言った。全く阿保らしい。同じことをやろうとした奴がどれだけいたことか。
都市伝説を反証するようなつもりでいるのだろうか。守り神とやらは、辺境であるとは言え一つの“信仰”だ。そう簡単に廃れることはない。ネット上の娯楽作品とは訳が違うということだ。
ホラー映画好きな俺なら誘えると思ったのだろう。乗り気ではない僕を見て、マサトは意外そうな顔をしていた。止めてもこいつは一人で行ってしまいそうで、普通は親に連絡すべきだろうが、僕もそう真面目な人間ではない。彼は一度怖い思いをして、今後の行動に慎みを持つべきだと思った。本意じゃないけど、僕は一緒に行くことにした。
アユミは人から駄目だと言われたことをするのが好きな奴だから、恐れを知らずに乗ってきた。彼女は賢いというのに、行動は見ていて危なっかしい。帰ったら、自分が山に入ったことを隠さず親に告げるそうだ。どれだけ怒られるかと期待する彼女の口元は楽しみで歪んでいた。
「“忌み山”の高さは登山口から500mくらいかな。けど噂では、半分も上らん内に真っ黒な装束着た女たちが出るそうや。皆それでビビってもうて、山頂まで登った人は居らんって聞くなあ」
言い伝えについて何も調べていない僕とアユミにマサトは説明するが、愉快な作り話だなとしか思わない。アユミは面白味すら感じていないだろう。それぞれ目的はバラバラ、僕としては、暫く歩いた彼が帰り道を心配し、自分で判断して引き返せばいい。もちろん、現在位置を把握できない危険な標高まで行きそうなら無理やりにでも連れ帰るが。
「アスファルトも敷かれてないけど、道と言えるものがある。不思議だな、獣道って訳でもなさそうだぜ」
分析するようにアユミが不自然を指摘する。それについては僕も気になっていたことだ。登ってはいけない山であるのに、今歩いている道は綺麗に平らで、人の手で
「誰かが歩き回ってるみたいじゃねえ?」
怖がらせるように、意地悪くアユミがデタラメを言う。悔しいが、少し背が寒くなってしまった。馬鹿げた想像を振り払って言い返す。
「この山で工事が行われたことはない。何らかの自然現象で出来たんだよ。そうに違いないって」
「お利口に澄ましたお前の怖がる顔、珍しくてウケるな」
「状況に未知の要素が絡んでるんだ、怖がるのは仕方ないだろ」
「そっかぁ。意味不明なことが嫌なら、私たちは今すぐ下山するべきだ」
嘲るような声音で言われた意味深な言葉に、僕とマサトは足を止めて彼女を振り返った。照明を受けた彼女の目は、こちらを見てはおらず、僕たち二人の後方に続く暗い山道の先へと向いている。
「気付かなかったか?道中で、“黒い切れ端”がいくつか落ちていたんだが」
さっき聞き流したことが頭に過る。
――真っ黒な装束の女たち――
「お前っ...何で直ぐに言わんのや!」
言い伝えを多少なりとも信じていたのか、マサトは怯える余り怒り出してしまった。信じていない僕でさえ恐怖を覚えるが、きっと子供ゆえの臆病だ。こんな
「以前に通った奴が悪戯で落としていったんだろ。それかお前が嘘を言ってる。冗談なら大概にしておけよ」
「嘘なんて野暮なこと、私は言わない。
思わず言葉に従った僕は、彼女に疑問を持たず引き返せば良かったと後悔する。
『おにげ』
ほんの数歩先に、異様なモノが居た。奇怪なほどに低い声で何かを言っている。
黒ずくめの着物姿で髪を結い上げた、三人の女性に見える。だが、顔を照らして見えた正体は人間とは掛け離れた異形だった。目、鼻、耳が無く、顔を斜めに裂くようにある唇の無い口。茎まで剥き出しになった歯は黒く染まっている。
この世に在る筈がないモノだ。オカルトなんて信じないが、目の当たりにしたものは否定できない。異常と出遭った人間の行動は決まっている。逃げなければ。
『おにげ』
『おにげ』
『おにげ』
言葉が連ねられ、道を塞ぐように立っている三つが一歩こちらへ近づいた。マサトは今にも闇雲に逃げ出しそうなくらい震え上がっている。
「いいか、真っ暗な中本気で走ったりしたら危険だ。慌てず引き返すぞ」
彼を落ち着かせようと言い聞かせる。僕も怖いし、理解できない事象に混乱しているが、冷静な思考は問題なく働いている。
アユミはへらへらと笑うことをやめない。
「言い伝えだと、アレは守り神様の遣いなんだろ。私たちを追い返すだけで、危害は加えてこないんじゃねえの?」
「そんなこと知るか!何も理解ができない事態なんだぞ、どうして無警戒でいられるんだ」
「危機感は大事だが、お前らは怖がり過ぎなんだよ――ッ...!!」
余裕の態度が一転、突然息を呑んだアユミ。
次に現れたモノが、何も話には聞いていない、本当の“異常”だったから。三つが塞ぐ山道の向こうから、咀嚼するような粘性のある音を立てながらこちらへ向かって来る。
『 अहं गृहं गन्तुम् इच्छामि 』
聞き取れない言葉を発したソレは、化け物としか言えなかった。ヒトの限られた語彙では正確に描写できない存在だ。
窮屈そうに道幅を占める大きな体躯で、背にラクダのような凹凸がある獣。首は短く顔は分厚い脂肪らしきもので覆われており、目元は見えないが、開いた口にはナイフよりも鋭い牙が夥しく並ぶ。皮膚には透過性があるようで、内側に流れる血液が浅紫色であることが分かる。脚は無く、宙に浮遊しており、胴体に巻かれた四本のベルトから八本の縄が伸びて、地に打たれた杭に結ばれていた。だが、縄と杭はまるで脚の代わりであるかのように、地面から抜いては刺してを繰り返しながら歩き近づいて来るのだ。
『おにげ』
言葉の意味を理解した僕たちは、悲鳴を上げることもできずに一心不乱の様で逃げ出した。今まで余裕に気取っていたアユミでさえ同じだ。当然のことだろう。あの化け物は、“オカルト”なんて生易しい次元にはない。この世に来てはいけないナニカだ。
「くそがっ、この山はどうなっていやがる!」
素早く先頭を駆けるアユミは、驚いたことに悪態をつける正気を保っているようだ。
「あんまりや、こんなん...話に聞いてへん!」
僕の後ろを走るマサトが息を荒げて叫ぶ。そうだ。村の守り神というのが本当にいたとして、そこまでなら、百歩と言わず千歩も譲れば呑み込めたかもしれない。だがこの危機は、言い伝えとは全く異なる狂った力が創り出している。
完全にパニックとなって走っているが、幸いにも足を踏み外して斜面を落ちてしまうことはない。しかし、これだけ走っても山を出られらないのはどうしてだ?
「なあ、ここは本当に“忌み山”なのか?」
嫌なことに気付いた、そんな心地を感じさせる冷え冷えとした声で、アユミが意味の分からないことを言う。
「何を言ってる。そうじゃなきゃ何処だって言うんだ」
「周りを見てみろ。さっき通った道よりも、ずっと広いじゃねえか」
懐中電灯で周囲を照らしてみると、確かに道幅が広くなっている。だから必死の勢いで走っても転落事故に至ることがなかったのだ。地形が違うなら、僕たちは何処に居るんだ?辺りには暗黒があるばかりで、全く答えを得られない。
「空間がイカレたってのか...いや、考えるのは止そう。マサトのやつ、無事か?」
自分のことを先ず第一に、全力で駆けた僕とアユミに付いて来れているだろうか。後方に照明を向けると、泣き叫びながら走る彼の姿が見えて胸を撫で下ろす。愚かだった。安堵して良いほど状況は優しくないのに。
『 कृपया प्रतीक्षा। किं त्वं मार्गं जानासि 』
曲がり角から姿を現した化け物が僕たちを追って来る。逃げ遅れているマサトは今にも喰われてしまいそうだ。杭を抜き差しする化け物の動きはゆっくりだが、どういう訳か、より速く走っているマサトとの距離が縮まっていく。僕たちを惑わす壊れた空間に順応し、距離の概念を無視しているかのよう。すぐに追い付かれてしまうだろう。
ごめんな、僕はお前を友達として大切に想っているつもりだが、自分の命を犠牲にしてまで助けてはやれない。恨まないでくれよ、人のために命を懸ける英雄なんてほとんどいないんだ。
...本当にそれでいいのか?あいつを見捨てたところで、僕とアユミが生き残れるとは限らない。思い出せ、僕は何のためにここに来たんだ。
マサトが無事帰れるようにと、高尚なことを言っていたよな。僕は無責任に友情を騙った臆病者になるのか。
このままではどうせ死にそうだ。自分で言ったことには、筋を通して終わろう。僕はマサトが走る方へ駆け出した。
「馬鹿っ!使えるお前が死んだら私もやばいだろうが!!」
アユミは僕を止めようと追いかけて来たが、僕とマサトがすれ違う方が早かった。彼と化け物の間で立ちはだかり、その牙で嚙み砕かれるのを待つ。
『 इदं दृश्यते यत् भवन्तः मम वचनं न अवगच्छन्ति 』
僕を捕食しようと、大きな頭部が目の前に下がってくる――
『無作法なるぞ』
後ろから、僕の更に一歩前へと歩み出たモノがあった。
艶のある髪が黒煙のように揺らめく。厳粛とした女性の声。ソレは、いけない子供を懲らしめる母親のような、優しい仕草で片手を伸ばし――化け物の頬を張った。
『 गुआ ――!? 』
揮われたのは人智を遥かに飛び越えた“一撃”。化け物の姿が視界から消え、同時に重たい轟音が鳴り響く。
現実、なのか?走馬灯のように、死に際に見ている都合の良い幻覚ではないのか。それとも現実の方が最早狂ってしまったのか。
人型でありながら全くヒトには見えないモノが、こちらを振り返る。照らして見るまでもない。情報を捉えられない闇の中でも、ソレの姿は知覚に焼き付くように鮮明である。
「いとらうたし哀れかな、
格式ある花嫁を思わせる
繊細に編まれた帯が全身を飾っている。帯は部分によって色調が様々なモノトーンであり、多種の花々が写実的に描かれている。菊、桜、椿、その他見たことのない不思議な花々が絵の中に咲き乱れて、手で触れられそうなくらいに本物そっくりだ。仄かだがうっとりしてしまうような甘い薫りを錯覚する。
目元まで覆う大きな頭巾を被っているので、正確な顔立ちは分からない。血の気を感じないほど真っ白な肌の上に映える真紅の唇には、生涯に見る全ての美貌への感動を奪う残酷がある。女性らしき姿だが、背が高く大人の男性くらいあり、化け物を素手で殴り飛ばしたこともあって、強靭な武人にも近い印象を受けた。適当な比喩になってしまうが。
僕は彼女から距離を取って、マサト、アユミと合流した。そしてどうするべきかと考える。敵には見えない。僕たちを明確に助けてくれたのだから。村へ帰る方法を聞いてみようか?だったら、先ずは誠心誠意に感謝を述べるべきだろう。
「私はアユミだ。この二人と一緒に、帰り道に迷ってとても困っている」
一早く言葉を決めたのはアユミだった。突然の自己紹介に、人型は指を一本小さく動かすという反応を返した。興味を示したのであれば、“続けろ”だとか意思表示かもしれない。
「連れを助けてくれてありがとう。さて、私は名乗った。あんたも素性を明かしてくれないか」
なるほど、相手が何者かを探るのは基本か。尋ねて信頼できる答えが返ってくるとは限らないが、疑念を持ったところで意味はないと思う。彼女にどれだけの力があり、何ができるかが知りたい。
微動だにしない姿勢を崩さないまま、人型は冷たく穏やかな声音で告げる。
「称するはユウヅキ。“守護神”と言はば、汝らや喜ぶ?」
つまらない無駄口でも叩くように、呆気なく明かされた正体は途方もないものだった。
虫の鳴き声一つ聞こえない暗闇に絶望が湧く。ここには化け物しかいない。頼れる者がいるとすれば彼女だけ。
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