第18話 悪い話
「……ザ・ヤードからの依頼は、切り裂きジャック互助会における世話役の除去だ」
マーティンの口元からは、苦虫が何匹も零れ落ちていた。チャールズは小首を傾げた。
「だってニーモが逮捕されたんだから、これで終わりでしょう?」
「……ニーモが本当に世話役かどうか、現時点で確認できていない」
「劇場の大爆発から一週間経って、新しい事件だって起きていないじゃない。もう切り裂きジャックも、その互助会も消えちゃったんじゃないの?」
「残念ながら事件が起きていないのと、世話役の除去は同じ意味では無いんだよねぇ」
ラッセルがヘラヘラ笑いながら、口を開いた。
「一週間、追加で事件が起きて無いのは、偽切り裂きジャックたちが鳴りを潜めて、様子を伺っているのかもしれないよね。ニーモも言っていたでしょう? 『我々の会は今日で一時解散する』って」
そう言えば、そうだった。しかし互助会が解散したとしても、快楽殺人依存者たちが居なくなる訳ではない。各々個別で活動を重ねる筈である。一週間、異常な殺人事件が発生しなかったのは大部分の互助会員が、ホワイトチャペルの大爆発で抹消されたからなのだろう。
チャールズは目をパチクリとさせる。何時になったら、この厄介な案件から解放されるのだろう? 彼女はジンワリと痛む頭を抱えた。
コンコン
その時、玄関ドアがノックされる。誰に指示されたわけでもないのに全員、身動きを止め気配を消した。これまでの経験なのであろうか。青年たちは別として、チャールズの生長具合が著しい。
マーティンは刀を手に取り、足音を殺して玄関に歩き出した。チャールズはドアから直接見えない場所に身を隠す。ラッセルはウィンクをしながら、ベランダに移動する。どうやら彼は外に出て裏から、玄関へ回り込むつもりのようだ。
「マーティンさん、いらっしゃいますか? ザ・ヤードの者です。スコット警部からの緊急依頼です」
その声を聞いて、チャールズは一人でズッコケた。ドアを開こうとするが、直前でマーティンに留められる。恐らく本物の警官かどうか、判断できない為の用心だろう。
永遠に続きそうな沈黙。今なら通り過ぎた天使の、クシャミでも聞こえそうだ。
声の主は、この事務所に人が居ないと判断したのだろう。玄関ドアの下の隙間から、紙切れが差し込まれた。足音と共に玄関の気配も消えて行く。時計の秒針が二周する位の間を置いてから、闇の青年はドアを開く。
外にはヘラヘラと笑う、ラッセルだけが立っていた。
「ザ・ヤードの制服警官だったよ。何枚も同じような手紙を持っていたから、心当たりの場所にコレをバラ撒くつもりなんだろうね」
玄関から入って来た光の青年が、手紙を拾いながら部屋に入って来た。
「……この事務所を使っているのが、ザ・ヤードにはまだバレていないという訳か」
幾分ホッとした表情のマーティン。一つの案件に手持ちの隠れ家を複数軒使用するには、経費が掛かり過ぎる。何とかこの事務所に居られる間に、依頼解決しておきたい所だった。苦悩する家主は手紙に目を通すと、それを机の上に投げ出し立ち上がった。
(緊急事態発生。至急、連絡求む。 スコット)
その紙切れには、それしか書かれていなかったのである。
夜のザ・ヤード。
通常であれば、人通りも少なくなり喧騒も遠のく。しかし今夜は違った。行き交う人々で、ガヤガヤと立て込んでいる。
「おい。そこを退いてくれ!」
「周辺閉鎖の手続きは済んでいるのか!」
「記者会見の場所? そんなもの総務に聞いてくれ!」
庁内に残っていた私服・制服組の区別なく、ほとんどの署員がパニック状態に陥っていたのである。
「ねぇねぇ、スコット警部は……」
「邪魔だ! 色男の兄ちゃん」
乱暴に肩を押されたラッセルは、後ろからも誰かに体当たりされ、クルクルと回って尻餅を付いた。通り過ぎた人物の謝罪の声も、後から聞こえて来る。凄まじい混沌。通常のザ・ヤードではありえなかった。かの組織のモットーは
『いかなる時にも紳士たれ』
であり、常時は物静かで聞き上手な捜査員が多かった。
「……戦争でも起きたようだな」
マーティンは比較的落ち着いていた、受付の女性に声をかけた。落ち着いているとはいえ、比較的である。彼女は声をかけられた瞬間に、全ての物が凍り付くような視線を飛ばした。
「あらヤダ!」
氷の視線は闇の青年の顔へ、衝突する前に呆気なく溶解する。
「……
「今なら、三階の会議室で…… ちょっと待っていて!」
女性は壁に備え付けられた伝声管へ取り着いた。何度か声のやり取りをすると、風のようにマーティンの元へ戻って来る。
「警部は会議中だけど、直ぐに会いたいって。二階の取調室で待っていて欲しいとの事よ。それより貴方、これから……」
「……助かった。これで失礼」
「あ、あ。取調室まで案内するわよ!」
「……大丈夫だ。場所は分かる」
取り付く島もない乾いた謝礼の言葉。それすらも彼女にとっては、ご褒美だったらしい。顔を上気させて、その場にペタリと座り込んでしまった。
「待たせたな……」
お決まりの取調室で、自宅の居間のように寛いでいた三人。それ程待つまでもなく、スコット警部が現れた。
「あれぇ、警部。何か老けちゃった?」
ラッセルのオチョクリにも、彼は無反応である。この数時間で確かに、めっきりと老け込んでいた。机に置いてあった灰皿を引き寄せると、無言でシガリロに火を点ける。禁煙などクソ喰らえと紫煙を大きく吐き出すと、やっと口を開く気力が搾り出せたようだ。
「悪い話と悪い話と悪い話がある。どれから聞きたい?」
「えー? じゃあ、真ん中の悪い話にしようかな」
お気楽な光の青年の返答に、警部は頭を抱えた。
「切り裂きジャックの、新たな犠牲者が発見された」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます