和奏姉さんが変態にNTRされた
「あ、2人はもう霧香ちゃんに会ったんだー! あの子、めちゃくちゃ良い子だよね! 来週から寮に入るんでしょ? すっごく楽しみだよねー!」
それは余りにも長すぎる1日を終え、変態極まる珍生物だった下冷泉霧香の襲来から数時間後が経過し、僕たちは疲れに疲れた身体を労わるべく、新しい住処となった百合園女学園第一寮……通称、椿館で夕食を食べている最中の出来事であった。
僕と茉奈は下冷泉霧香に会ったという報告を兼ねた会話をしたのだが、その際に和奏姉さんの発言に対して『この人、頭おかしい』という文字で頭の中が埋め尽くされてしまい、図らずとも僕たち2人は全く同じタイミングで箸を床に落としてしまった。
「……
「今やってる! 電話かけてるから静かにして! あ、もしもし⁉ 急患です! どこが悪いって、頭です頭! 助けてください! 僕の姉なんです! 絶対に死んで欲しくない大切な人なんです……! お願いです! 早く、早く、早く……! 早く助けてくださいよ……!」
「え、ちょ、何やってるの2人とも? むー、何か面倒事になりそうだし、止む無し。ごめんね唯くん、スマホ奪うね?」
そう口にした和奏姉さんは笑顔のまま超人的な速度で僕のスマホを奪うや否や、優しい笑顔を保ったまま、電話の応対を続けてみせた。
「容態が変化したので詳しく説明できる自分に代わりました。救急隊員の方ですか? 急患の人、なんだか意識を取り戻したみたいで……えぇ、はい、はい……分かりました、様子を暫く見てみます……はい、はい……本当にありがとうございます。また何かありましたらお願いします。お手数をお掛けしました」
ふぅ、と息を吐き出した和奏姉さんの立ち振る舞いは本当にいつも通りで、異常というものが見られなかった。
「こら、2人とも駄目でしょ。病院さんにそんないたずら電話をしたら……って、嘘、2人ともガチ泣きしてる」
「だってぇ……だってぇ……! わかねぇがぁ……! わかねぇがしんじゃうとおもってぇ……!」
「はいはい死なない死なない。私、そんな簡単に死んじゃう人に見えるのかなぁ。ちょっと心外だなー。まぁ、誕生日当日に交通事故に遭いそうになって死に掛けたけどさー」
「そんな冗談みたいに言わないでよ姉さんっ……! あの時の僕らがどれだけ心配したって思ってるの……⁉ 姉さんが病院に送られたって聞いた時、僕は、僕はっ……う、うっ、うぅ……! ねえ、さっ……!」
「うんうん、ごめんごめん。全面的に私が悪かったね。ほら唯くんが折角作ってくれたご飯が冷めちゃうから早く泣き止んで食べよ?」
そんなこんながあった泣き止んだ僕たちは春キャベツの豚肉巻きに春キャベツの回鍋肉を黙々と鼻水を啜りながら食べ、3人揃ってご馳走様と食事に対する感謝を捧げた後、和奏姉さんは落ち着いた僕たち2人に対して微笑みながら疑問を投げかけてくれた。
「それで……さっきはどうしてあんなに取り乱しちゃったの? 確か、私が霧香ちゃんの話題をした時だと思うけれど」
「……霧香……ちゃん……⁉」
茉奈が臓器か何かを絞り出されたような声を出したのに対して、僕は頭を金棒か何がで全力でぶん殴られたような衝撃に襲われて絶句していた……というか、言語脳が一時的に死滅していた気さえする。
何で、何で僕の自慢の姉が、あんな変態をちゃん付けで親しく呼んでいるんだ……?
「これが噂に聞く……寝取られ、というヤツですか……ふっ……下冷泉霧香は絶対殺す……」
「ネトラレ? 何それ? まぁそれは置いといて……ほら、霧香ちゃんってば3年生じゃん? で、私は高等部3年生担当だから彼女と何度か接する機会があってね。というか、同じクラスだったから。それとなーく会話してみたらね? めちゃくちゃに気が合っちゃってねー! あの子とは魂レベルのソウルフレンドになれそう!」
確かに和奏姉さんは高等部3年生を担当するのであれば、同じく高等部3年生である下冷泉霧香と接触する機会があるというのは頷ける話ではある。
それは分かる。うん、分かる。
だけど、分かりたくもない事が僕たち2人にはあった。
「姉さん⁉ 下冷泉霧香はヤバい変態メス豚だよ⁉ 親友とかそういうのになっちゃ駄目だよ! 変態にされちゃうよ⁉ 僕は嫌だよ⁉ 変態になってしまった和奏姉さんなんて⁉」
「えー? 霧香ちゃん、下ネタが大嫌いな淑女の中の淑女だよ?」
「ご冗談でしょう和奏姉さんッ⁉」
「騙されてます! すっごく騙されてます! 本当なんです騙されてますってばわか姉! 義兄の言う通りなんですよ、わか姉⁉ アレは三度の飯よりも下ネタが大好きなセクハラ大魔神なんです! 下ネタが嫌い⁉ ご冗談でしょう、わか姉⁉」
「あはは。その様子だともう霧香ちゃんに会った感じっぽい? でも安心して? 霧香ちゃんってば、慎ましやかで、礼節があって、頭が良くて、人柄も性格もいい美少女だからね! んー。あんなに頼りがいのありそうな女性の先輩がいて羨ましいな2人ともー!」
「わか姉! 早く正気に戻ってください! わか姉は騙されているんです! それはそれは物凄く騙されてます! アレが⁉ 慎ましやかで⁉ 礼節があって⁉ 頭は……まぁ良いとしましょう! あんなにスラスラと卑猥な言葉を出せるんですから頭は良いんでしょうね認めたくはありませんけど! 人柄以下略! わか姉が知る下冷泉霧香と私たち2人の知っている下冷泉霧香との人物像に相違がありすぎなんです!」
「姉さん放して! 頭の病院に電話できない!」
「大丈夫大丈夫。霧香ちゃんは物凄く優しい娘だから。うん、この将来有望なエリート女教師の和奏先生が断言してあげましょう、えっへん」
駄目だ。
僕の姉は頭が良くて、顔も良くて、何もかもが良い自慢の姉なのだけど、致命的なまでに人を疑うという事を知らなさすぎた。
恐らくきっと、下冷泉霧香は学園内では真面目でまともで下ネタの下を言わないような人物像を意識して演じる事で僕の純粋無垢な姉を騙したに違いない。
そして、下冷泉霧香が僕の銀髪に紅眼に対して発情し、求愛行動を求めてきた以上……ヤツの目的は火を見るよりも明らかだ。
下冷泉霧香は、僕と同じ銀髪紅眼の超絶美人である姉さんを性的に襲うつもりで、その為に警戒心を解くためにわざと善良な学生を演じて姉さんを騙そうとしているのだ――!
「なんて最低なんだ、あのメス豚……!」
「義妹、義兄の気持ちが分かりますよ。えぇ、ヤツは最低です。生きてちゃいけないレベルで最低です。やはり下冷泉は滅ぼすべきです。まさか性行為のせも知らないようなわか姉にそんな下劣な行いをするだなんて……! でも私ちょっとアレ苦手なので何かアクションを起こすのであれば義兄がやってください。私は後ろから石を投げる係をします。怪我はしないけれど絶妙に痛い石ころを見つけるの得意なんですよね私」
「2人ともー? 偏見は駄目よー? 2人は私が絡むとすぐにアホになって暴走してアホになる悪癖、直しなさいねー?」
「姉さんは偏見をしなさすぎなんだよっ……⁉」
和奏姉さんは真面目だし、人格も性格も良いし、僕の自慢の姉ではあるけれども、どこか少しだけぽややんとしているというか、世間一般で言うところの『抜けている』箇所が少々あったりする。
もちろん、それは欠点ではなく和奏姉さんの数多くある美点の1つであるのだが、その美点に付け込もうとする輩がいるのであれば、僕たち2人は義理という関係を超えて一種の共闘戦線を張る覚悟は出来ていたりするのだ。
そして、僕にとって頼れる存在である茉奈は僕の袖をつんつんと引っ張ってはひそひそと小さな声で意思疎通を図ってきた。
「……義兄、どうするんですか。ここであの変態発言マシンガンクソ女の情報を口に出していいんですか……? 先の発言から顧みるに絶対わか姉、信じてくれませんよ……?」
「……だろうね。一体、下冷泉先輩は和奏姉さんにどんな擬態で接してきたのやら……」
言われてみれば確かにあの変質的な発言を繰り返すメス豚キャラであれば教室内で浮く……いや、絶対に浮く。十中八九浮く。100%いじめられる。うん、男子校でいじめられた僕が言うんだから間違いない。
ともあれ、ここで重要なのはあの下冷泉霧香が教室で一体どのようなキャラクターを演じているかなのだが……ここで1つの疑問に思い至った。
「……ところで茉奈」
「何ですか義兄」
「いや、率直な疑問なんだけど……下冷泉先輩って、どっちが本当の性格だと思う? もしかしたら、あの変態性格が嘘かもしれないかもって、何となく思って」
「何を言うかと思えば……いや本当に何を言うんですか。絶対にあの変態発言を繰り返す方が素ですよ素。え、何ですか義兄。義兄って女に夢見るタイプなんですか? きっしょ」
「言い過ぎじゃない?」
「これでも控えている方です。義兄は少女漫画の見過ぎです。私は人を見る目には長けてますので絶対に間違いありません。もしあの変態メス豚が素じゃなかったら、私を生きたまま女子寮の裏に埋めて貰っても結構ですよ、ふふん」
それ明らかに死亡フラグというか、失敗フラグというか、どうしてそう自信満々にそんな事を言ってのけるのだろうか、この義妹は。
「じゃあ、あの下冷泉霧香に好意を向けられている義兄に質問しますけれど、逆にあの変態すぎる性格が嘘じゃないっていう根拠は?」
「そ、それは……」
「無いでしょう? つまりはそういう事です。確かに義兄が考える内容は可能性としてはあるかもしれませんが、可能性はあくまで可能性。人間は自分がどう感じたかどうかを考えるべきです。そして、それは女装をし続ける義兄が意識するべき事でもありますよ」
「む、むぅ……」
まぁ、色々と思うことはあれども、先に和奏姉さんの方から下冷泉霧香の学内での情報を提供してくれたのは実に有意義なモノだったと思う。
もし仮に下冷泉霧香の学内での姿が嘘で、学校外の時間での姿が本物であるとするならば、学校がある時間帯……即ち、人の目がある時間帯において、彼女は少なからず無害化できそうではある。
そう考えるのであれば、僕は学校内において下冷泉霧香の魔手に襲われる可能性は極めて少ないのかもしれない――となれば、1週間後にこの寮に単身突入してくる彼女がとんでもない程に厄介である訳なのだが。
果たして、1週間後にやってくる下冷泉霧香は正真正銘の変態なのか、常識人を演じる変態なのか……それだけが分からないのが実に難儀であった。
「……そう言えば、明日も学校か……」
「そりゃそうでしょう、義兄。義兄は理事長代理である以前に生徒じゃないですか」
「まぁ、そりゃそうだけどさ」
「……大丈夫? 学校、行けそう?」
「そんな心配そうな表情をしないで。本当に大丈夫だよ和奏姉さん。幸いというべきか、ここでの僕はある意味では百合園の苗字で守られている訳だし、前いた学校のようにいじめられはしないと思うから」
とはいえ、まぁ、学校に行きたいか行きたくないかで聞かれたら、どうしても学校に行きたくない方が余裕で勝ってしまう。
それは僕個人が学校に対して良い思い出が無かったのが大きな原因だとは思うけれども……僕が此処にいて良いのか、と自問自答してしまうからだろうか。
だって、普通に考えてもみれば分かるだろう?
いくら顔が女性だからと言って、女装した男子が周囲を偽って、学校生活を謳歌するのは致命的なまで間違っていて、許されない事だと思うから。
でも――。
「……まぁ、家族に心配されたくないし、程々に頑張るよ」
僕には家族がいた。
幼い日に生き別れなかった実姉と、こんな僕を実の兄のように慕ってくれた義妹が。
祖父の遺言書で色々と脅されたからというのが一番の要因ではあるけれども、それでも僕は家族を守りたかったから女装して女学園に登校する道を選択した。
だから家族を守る為ならば、僕はいくらでも嘘をついてやるつもりだ。
周囲にも、世間にも、自分自身にも。
本当は学校に行くこと自体が怖くて怖くて仕方がないけれども、その恐怖に気づかないフリをして、僕は明日も学校にへ登校してやる。
「そうですよ、何事も程々が良いんですよ程々が。学校生活だとか理事長代理生活なんて適当にやっちゃえばいいんです。あ、でも女装生活だけはガチでやってくださいね。バレたら本当に不味いんで」
「程々にしろって言った矢先に発言を撤回するのは流石にどうかと思うよ、茉奈」
笑い声が絶えない食卓での団らんを過ごしながら、僕は明日も上手くやっていけるだろうという謎の、不思議な、自信のようなモノを得られたと思う。
「それにしても、唯くん。顔が今朝よりも数倍も良くなったね。今朝まで女装して女学園に潜入するだなんて、そんなのは変態のやる事だって死んだ顔してたのに」
和奏姉さんが若干心配そうな表情でこちらを見据えてきたけれども、僕は苦し紛れの作り笑いを浮かべるよりも先に、あの変態メス豚先輩の『フ』と笑う表情が先にやってきた。
「……そう、だね。うん、今でもそれは思ってる。だって、そうでしょ? いくら僕が女の子っぽいからって女学園に行くだなんて正気の沙汰じゃない。けど、僕なんかよりも救いようがないぐらいの先輩がいたから……うん、僕は案外マシなんじゃないのかな、って」
まさか、あの変態セクハラ発言を連呼するあのメス豚先輩の所為で、相対的に僕が変態ではないのではないのかと思わされるだなんて、夢にも思わなかった。
きっと、こういう何気ない日常が、これから先の見えない毎日を過ごす為の動力源になるのだろう……そんな事を今更ながらに思う女装生活1日目の僕なのであった。
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