コーヒーとシロップ


 彼女といると、いつも記憶の中のダレカを思い浮かべてしまう。コーヒーの暗い液面には、何も映らない。


「今、私以外のヒトのこと考えていたでしょ」


 下がっていた視線をなんとか持ち上げて、詫びの言葉を聞かせる。定型文をわざわざ口にする君を、べつに嫌いになることはない。むしろ、そうやってわざとらしく嫉妬心をむき出してプク顔をされると、心置きなく笑うことができる。


「ごめんね、変でめんどくさい女で」

「いやいや、こちらこそ」


 トラウマまでとはいかずとも、彼女も過去のダレカを思い出しながら話している。それを僕から指摘することはなかった。

 凛とした美貌を崩すのは、いつだって相手に笑顔でいてほしいとき。そんなこと、少し想像すればわかるはずなのに。そっちの過去のヒトも、随分と酷い仕打ちをしたものだ。


「ねえ、またダレカのこと考えてるよ」

「いーや、今は君のことを考えていたよ」


 一瞬だけ感じるシロップの甘さを口に流して、残る苦味を舌で転がす。カップを少し自分の方に寄せると、ようやく見慣れた野郎の顔が現れた。


「私ってやっぱり重いのかな」

「めちゃくちゃ軽いでしょ。もっと食べてほしい」

「いや、流れ的にそっちの意味じゃないでしょうよー」


 返し方一つで、ポップなトーンに変えてくれる。こちら側が配慮するだけで済むなんて、楽なことだと思うんだけどな。

 君のことをめんどくさいと思ったことはないし、たとえ思ったとしても感情的になることはないと誓える。嫌いになったら、突き離してくれて構わない——お互いにフラれる側を望んで始まった付き合いがどこまで続くか、結構楽しみではあるんだ。


「思いやりが多い、ってことで」

「またウマいこと言ってるよー」


 複数の声が入り混じって、脳裏で響く。自分はそういう人なんだって、また教えられた気がした。


「でも、そういうところがヒかれる理由のひとつだと思うよ」

「——そっか」


 その含みのある言い方は、結構好みなんだよね。これもまた、伝えるべきではあるんだろうけど。


「ここで意味もなく君の頭を撫でようとしたら、嫌いになってくれるかな?」

「うーん……今の私はびっくりして渋い顔するけど、帰ってからにやけちゃうかも」


 冷めきったコーヒーを飲み干し、底に残った嫌味とお別れする。彼女の隣に移動すると、宣言通りの表情で迎えてくれた。


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