すみれの季節に


 大丈夫、大丈夫。ここまでうまくやってきた。

 高二の夏、好きな男子と二人きり、夏祭り——これ以上ないシチュエーションだと思う。お互い部活も午前中に終わって、身なりも気持ちも準備するゆとりがとれた。暑さは我慢するとして、天気も味方した最高に運が良い日。私から誘ってつくれた状況だ、自信をもっていい。


 それなのに、履き慣れない下駄が音を鳴らす度に、得体の知れない不安へ着実に進んでいるような気がしていた。ずっと彼の横顔を見ていたはずが、気づけば人混みの中の後ろ姿を追っている。


「ねぇ……」


 彼は振り向かない。


「ねえ! ちょっと!」


 私よりもごつごつしてたくましい左腕に無理やり掴まっては引いて、出店通りの脇道へ連れて行く。


「き、急にどうしたの」

「どうしたもこうしたもない! これじゃ、ちっとも——」


 デートっぽくないじゃない。勢い余って投げ出された彼に面と向かうと、人通りが少なくなったことで変に照れてしまって、続きは飲み込んでしまった。


「あぁ、ごめん。歩くのちょっと速かったよね」


 無数の提灯から数個の街灯へと明かりは変わって、彼の表情はまだはっきりとは映らなくて。


「ここ、俺の地元でさ」


 声色は、いつもより頼りなげで。


「幼なじみに見つかりたくなかったんだよね」


 生温い風も、その向きを変えた気がした。







 風の噂でしかなかった。

 同じクラスの彼は、間違いなく私と一番関わりが多くて。周りの子も、男女共にそれを茶化したりして。お互いにふざけ笑い合って、やっぱり楽しくて。

 でもそれ以上に、私の知らないところでもっと仲が良さそうにしている女の子がいて。それが部活も違う後輩で、実は幼なじみなんじゃないかって。


「……じゃあ、どうして誘いに乗ってくれたの」


 大丈夫、大丈夫。私が思っている最悪の言葉は、あなたの口からは出ない。出ないで。出さないで——。


「一番仲がいい同級生の誘いを、断るわけがないでしょ」


 頭上で響く轟音と共に薄ら光り始めた顔は、変わらない大好きな笑顔で。待ち合わせたときの『すみれ色の浴衣が似合ってるね』という言葉が遠くで何度も聞こえる。出会った季節が——時が違っただけで、咲き誇る権利すら与えられないなんて。



 綺麗だね、とはどちらも溢さず。着飾ったものと対照的な色をした夜空の花が、私よりもゆっくりと鮮やかに散っていた。


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